のん

ただの主婦です

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最近の記事

「そばにいる」

「そばにいる」 春になると、散りたくなる。 小さい時からそうだった。 咲いている花もステキだけど。 散ってゆく花に安堵感を覚える。 ツボミをみると、ドキドキした。 そのドキドキは希望と恐怖があいまって、そのパワーは小さい私には受け入れるに勇気がいる。 大正から平成を生きて、初めて私の手の中で散っていった大輪は多くを語らなかった。「ようみて、ようきいとき。」 彼女からは、その言葉だけ記憶している。 名前も知らない、何者でもないおっちゃんとも、何も言葉も交わさずキャッチボー

    • おかん毒をはく

      おかん毒を吐く ~2024年京都市長選の足音がきこえてくる~ ※この文章は何の根拠も確かな情報もなく偏見の塊なのでご気分を害するかもしれません。 恐怖の京都市長選の足音が聞こえてきた。 門川さんがやっと辞めるらしい。無駄に市役所豪華にしやがって。税金の使い方、行政改革案に文句を京都新聞に投稿したこともあった。あの投稿から京都新聞と契約することにした近所のおばちゃんとか言い出して、今だ、私に京都新聞からお礼はない。 門川さん、いつも着物でセレブですねというイメージしかな

      • 主権者は私

        マイナンバーカード、インボイス、ついには処理水放出。 どうゆうことですか。 軍拡、物価高、増税。 なぜですか。だれのためですか。 また政治家がやりたいようにやってはる。 どうせ私たち市民の苦しさや声は届かない。絶望感とあきらめ。 政治へのあきらめが投票率の低さにあらわれている。 投票率が低いのは権力者には嬉しい。 私たち市民に欠けているものがある。 それは私たち市民が 主権者だ という自覚。 みんながみんな市民活動やデモに参加できるわけじゃない。 声をあげられるわけじゃな

        • クレイジー主婦のくそ思考

          民主主義的な共存の未来の見えない政治や社会活動にうんざりする。 与党だ野党だ、 右派だ左派だ、 反対反対、 批判批判のシャワーの情報が飛び交う。 みんな自分たちが正義だと勘違いしているんじゃないか。 本来、政治も社会活動もみんながより良い社会で生きていけるためにはどうしたらいいか、どうするかというものだと認識しているが。 自分たちの主張と違うものを排除するのにものすごい労力を使っているように受け取れる。 戦争がダメだ、あの党がダメだ、反原発だ、環境問題だを考えるのが正

        「そばにいる」

          お金と命の価値

          お金がたくさんあればいいんだ。そう思いながら大人になりました。 大人になり、お金があればたいていのことは解決してくれることを知りました。   でも、子どもを産んだときや、祖母がお金ではなく大勢の家族を残して他界したときに感じました。 お金で手に入る幸せは一時的なもので消えてしまいます。人の生きる力はお金ではありません。   自分が選挙権をもって18年になります。今の社会や政治のこれからに不安がいっぱいです。 戦争、原発、物価高、子どもの貧困、格差、自殺、気候危機、なぜこんなに

          お金と命の価値

          絶望からひらきなおり

          ひらきなおり パートナーから 「もっとちゃんとしろや‼️家族大事にしろや‼️」 と怒鳴られて、数日。 目の前で手首切ったろうか悩んだ、数日。 閉鎖病棟に逃げようか悩んだ。 求人情報を検索しまくった。 通帳と睨めっこ。 逃げることしか考えなかった、ここ数日。 どの選択肢も、子ども達が犠牲になってしまう。できない。 事の経緯(いきさつ)は 我が家には8年前から、私の実母が居候している。 母はトイレとお風呂以外ほとんど動かない。外出なんてとんでもない。 だが、孫に対して超絶

          絶望からひらきなおり

          子ども達のため 選挙へいく

          私が選挙に行くようになったのは、子供ができてからだ。それまで無関心層だった。 とゆうか、選挙がわからなかった。 行く意味もわからなかった。 最近になって、選挙活動に少し参加させてもらってやっと、野党とか与党の区別がついた程度。 一生懸命、選挙に行こうと呼びかける立場の人達の想いと、まだどこかで、どうせ、、、と思う自分。 真逆の気持ちが混ざり合って複雑な今の心境。 選挙ってなんだろうと今一度考えてみる。 選挙って何か。誰のためか。国って何か。社会って何か。 私達のことなんだ。自

          子ども達のため 選挙へいく

          できない自分 受け入れて

          2016年の相模原殺傷事件から7年たちました。私は19歳の時に発病し、障害者として生きることになりました。病気になったことで私は救われました。 「できない自分」「世の中の普通ではない自分」を受け入れる試練を与えられました。 優生思想とか難しいことはわかりません。 ただ私は子どもを「命」を産み出した母親として、殺されていい理由がある「命」はないと思います。 コロナや災害、紛争なので毎日のように「今日は◯人死亡」など一人一人の命がそんな簡単なひとことや数字で表現されます。そ

          できない自分 受け入れて