「そばにいる」
「そばにいる」
春になると、散りたくなる。
小さい時からそうだった。
咲いている花もステキだけど。
散ってゆく花に安堵感を覚える。
ツボミをみると、ドキドキした。
そのドキドキは希望と恐怖があいまって、そのパワーは小さい私には受け入れるに勇気がいる。
大正から平成を生きて、初めて私の手の中で散っていった大輪は多くを語らなかった。「ようみて、ようきいとき。」
彼女からは、その言葉だけ記憶している。
名前も知らない、何者でもないおっちゃんとも、何も言葉も交わさずキャッチボールをしてた。時が経っても、おっちゃんとのキャッチボールがある。
気配を感じさせず、すっと横に来て、私の頭をポンポンとして、すっと去る人。
スキだらけで、弱そうで。
そんなんだから、私に背後から跳び蹴りされるんだ‼︎
でも、その人はよけない。
今度こそあいつの骨の一本、2本折ってやる‼︎ オラーって叫んで跳び蹴りしてくるやつがおったら、ふつうよけるだろ‼︎
でも、よけない。
そんな、スキだらけの弱いやつの骨おる気にならんわ💢
14歳で絶体絶命がやってきた。
その時、その人は初めて私の前に立った。
でも立っただけ。何も言わなかった。初めてみたその「人」の瞳。
その人は先生と呼ぶ人じゃなかった。
「人」だった。
24年経って、その人がピンチだと噂が流れてきて。尋ねた「生きてるか❓」
「ごめんな。心配かけて」
の、一言が返ってきた。それだけ。
おい、なんやねん。
おまえちゃんとやってるか❓
とか、周りに迷惑かけたらあかんぞ。
とか言わんのか❓
なんやねんそれ。私は一回もあんたを「先生」って呼べへんやんか。
スキだらけで、弱くて、
言葉にせえへんってずるい。
でも、そんな花達は私の39年の中で咲いている。
季節がきたら、咲いて、そして散ってゆく。
最近になってツボミをみるのも悪くないなぁと感じだしてきた。
散りゆく姿に、安堵感より、焦りを感じてきた。ちょっとまってくれー。
みんな置いて行かないでー(;_;)
散るとき、せめて
「ありがとう」ぐらい言わせてよ。
もう、一緒に散りたいとか言わないからー。
人が人を生かす
人が人を殺す
人が人を生む
でも魂は失われない
ずっとずっと。
先生でもなく、
警察でもなく、
弁護士さんでもなく、
政治家さんでもなく、
カウンセラーさんでもなく、
研究者さんでもなく、
お医者さんでもなく、
私が今日生きてるのは
何者でもない人達
そばにいてくれた花達がいたから。
花、新芽やツボミにせめて、水やりしてやりたいけど、
それも叶わないときもある。
でも。
私は
あなたのそばにいます。
うわ、私きっしょっ笑笑
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