1999年(1)-雫

1999年、大学4年時。
予てから言われていた「ノストラダムスの大予言」、不確実な世界の最中での就職活動。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」感覚でやっていた。
なんとなく流れで、「ふんわり」と、真剣とは程遠く。
そんな中選択したのが、プログラマという職種。
当時インターネットは「テレホーダイ(23時から翌日朝8時まで一定料金)」が主流。
講義の合間にコンピューター室に入り浸り、ネットサーフィンやチャットに明け暮れる日々。
触発されたように情報系に舵を切り、「モノ作り」、何かを作りたいという欲求に動かされての活動。
当然、そんな曖昧な感じでは上手くいかない。
大学は卒業できたが、決まらないままに春に。
が縁あって、とある情報システム会社にアルバイトとして就職する。
ちなみに現在(2023年)、その会社は存在していない。
解雇された数年後には、無くなっていた。
後述するが、なくなって当然だろう。
朝9時から夕方5時まで、週5日勤務。5年半程在籍。
汎用機系を扱う会社で、言語はCobolを使用。
交通費は自費、3か月で4万円程。

解雇の理由は推定。
会社はいくつかのプロジェクトを同時に進めていたが、予算が足りなくて人件費を削減した、らしいということ。
仕事なので当然、ミスもしたし迷惑をかけたこともあるがクビになるような失敗をした覚えはない。

解雇通知書を受け取ってから有給を申請したが、「アルバイトに有給はない」と人事に突っぱねられる。
それ以前に、5年間働いて有給は一日も貰っていなかった。
正社員と非正規、ただそれだけのことで。
最終的には有給を認めさせたが、当然1年分だけ。
今考えるとありえないほどのブラック。
予兆はあった。
在籍していた5年の間に、管理職が何人も辞めていく。
現役でバリバリ働いていた人間が、だ。
直属の上司も会社に嫌気がさし、追い込まれるような形で辞めていった。
プログラマというのは、泥臭く地味な仕事。
やってみてわかったが、向いていなかった。
計算より感覚で生きている、それが自分だったからだ。
キャリアは終了し、プログラマとしての自分に見切りをつけた。

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