見出し画像

冒険ダイヤル 第1話 カニかまと幼馴染

「ねえ、ふかみ。あの子、なんて言ったっけ?望遠鏡が好きな男の子。野田マートの近くに住んでる」
お姉ちゃんはそう言いながら振り向いてソファの背もたれにあごを乗っけた。手には缶ビールを持っている。いくらお父さんとお母さんが親戚の家に出かけているからといっても、ブラもつけずにタンクトップ一枚でほろ酔いとはだらけ過ぎではないだろうか。
 深海はお姉ちゃんの持ってきたお土産の包装紙を剥がしているところだった。
「駿ちゃん?」
「ああ、そう、その子。さっき帰って来るときに会ったよ。久しぶりだったけどちゃんと覚えててくれたみたいでさ、挨拶してくれた。いい子だよね、真面目で。あんなにかっこよくなるってわかってたら前から手なずけておけばよかった」

確かに彼はかっこよくなったし、これからもかっこよくなりそうな予感がするし、そう言いたくなるのもわかるがアシカやイルカじゃないんだから。
「そりゃ当然覚えてるよ。私らの中でお姉ちゃん有名人だから」
「へえそうなの?なんか嬉しい」
 私ら、というのは深海と同い年の近所の幼馴染たちのことだ。どうして有名なのか本人は知らないのだから黙っていよう。深海は笑いをこらえながらお土産のロイヤルうなぎパイをかじった。
「ツマミ足りないなあ。ふかみ、カニかま買ってきてよ。残りで自分の好きなもの買っていいから」
そう言ってお姉ちゃんは千円札を深海に渡した。ようやく就職して初めてのお盆帰りだからなのかお姉ちゃんは気前がいい。

お財布を持った両手を半袖フーディの前ポケットに入れて深海は裸足のままスニーカーをつっかけた。最近また足が大きくなり、かかとを踏まないと履けなくなってしまった。高校生になってから背もさらに伸びた。
クーラーのきいた部屋から出ると、生ぬるい湿った空気が短く切った襟足をなでていく。陽が傾いてきたから早く買い物を済ませようと小走りに野田マートに向かう。途中、角を曲がると花壇に囲まれた塀沿いに数人の男の子がたむろしているのが見え、ちょっと足を止めた。

そこは駿の家の前の路地だった。花壇の縁に何人かが腰掛けてお互いのスマホをのぞきこんで何かしゃべっている。一人は自転車にまたがったまま足をぶらつかせてバランスをとっていた。カメラを首から下げている子たちは駿と同じ写真部なのだろう。体は大きいのに全員が飲むアイスをくわえているせいで妙に子供っぽい。

一歩進むと玄関前の階段に直に座っている駿の姿が見えた。部屋着らしき地味なスウェットだったが彼が着ると高そうな服に見えるから不思議だ。きっと部活仲間が駿の家に遊びに来て、そろそろ帰る時刻なのに解散するのが名残惜しいのだろう。見送りに外に出てからもまだ雑談に付き合っているのがいかにも駿らしかった。背中のほうから頭をわしゃわしゃ触ってくる友人を笑いながら押しのけたりしていた。 声をかけにくいので黙って通り過ぎようとしたが、駿はこちらに気付いてこっそり手を上げて目で挨拶してきた。誠意ある幼馴染マナーだ。

深海は鳩のように首を突き出して軽い敬礼を返した。周りの男の子たちにあまり注目されたくなかったのでさっさと野田マートに駆け込んだ。こんなとき遠目には自分が男の子にしか見えないことがありがたかった。

このごろ、駿の周りには友達が多い。中学校の時はほとんど誰とも話さず全身から悲劇のオーラが出ていてうっとおしいくらいだったのにずいぶん明るくなった。それは嬉しい。ただ、明るくなってからの駿とほとんど話したことがないので、さっきみたいに他の友達といるときに中途半端な距離感があってどう接したらいいのかわからなくなることがある。こういう気持ちをわかりやすく表現すると〈寂しい〉になるのだろうけど、もっと別の言葉があるような気がして最近モヤモヤする。いつもより少し時間をかけて買い物をした。

レジ袋をぶらさげて店から出てくると駿と自転車に乗っている子がひとりだけ残っていた。
目が合うと駿の方から声をかけてきた。
「よう、ふかみ。今日お前の姉ちゃんに会ったよ」
彼の目がいたずらっぽく光った。
「姉ちゃん、カニ食ってる?」
深海は思わず吹き出してしまった。
「うん。命令されて、カニかまを買いに来たとこ」
駿は喉の奥で笑った。

お姉ちゃんの異常なカニ好きは小学生のころから幼馴染たちの間で有名な笑い話で、おはようとかいい天気だねと同じ使用法で、姉ちゃんカニ食ってる?と言うのが一時期流行った。中学生になってから気安くおしゃべりする機会はなくなった。
今年の春、同じ高校に進学し奇跡的に同じクラスになったというのに深海は長いこと駿とまともな会話をしていない。このやりとりはずいぶん久しぶりだった。

隣にいた男の子が深海をよく見てから「あ、女子なんだ」と言った。淡々とした調子だったのでほっとした。驚かれるのにはうんざりしている。
その友達は自転車のサドルに腰掛けていることを差し引いても深海より小柄だ。童顔で少し下がり眉で、くせっ毛らしい暴れた髪型には見覚えがあった。休み時間に駿に会いに教室に入ってくるのでたぶん同学年だろう。

「これ新しい味出たの知ってた?」
深海は買ったばかりのものを取り出して見せた。チョコレートでコーティングされた一口サイズのアイスが詰め合わせになっている人気のおやつだ。
「メロンパインプリン味?うまいのかこれ?」
駿は階段にしゃがんだままで上目遣いに言う。彼は立ち上がると同級生の誰よりも大きくて相手を見下ろすかたちになってしまうので、友達といるときは可能な限り目線を低くしていることに深海はずっと前から気付いていた。

「まだ味はわかんない。季節限定だったからつい買っちゃった。一個食べる?」
勢いでそう言ってしまってからひやりとした。これは馴れ馴れし過ぎたかもしれない。
あわてて付け加える。
「今アイス食べたばっかりだからいらないかな」
焦って早口になってしまった。
小柄な友達の方がにこにこしながら「おれ新商品好き。ちょうだい」と返事してくれて、深海はまたほっとした。
箱を開けてあげると彼はまず一個とって「お前が毒見役な」と言って、油断していた駿の口に放り込んだ。駿はびっくりして彼を軽くにらんで、それから仕方なさそうにゆっくりと口の中でアイスを溶かしはじめた。その様子をあとのふたりは静かに見守った。しばらく間があってから駿は目を見開いて「うま」とつぶやいた。それを聞くなり、ふたりともそろってアイスに手を伸ばした。

彼は隣のクラスの生徒で、陸と名乗った。鉄道研究サークルなのだそうだ。駿は天文部と写真部をかけ持ちしているが、鉄道の写真を撮るのが好きなので鉄道研究サークルにもまぎれこんでいるうちに親しくなったらしい。夏休み中に一緒に旅行するという。
「大井川鉄道の撮影しに行くんだ」
そう言って笑う駿を見て、ふいに嬉しさで泣きたい気持ちに襲われたけれど友達の前だったのでごまかした。

結局三人でアイスを全部食べて、バイバイと手を振って別れた。腕いっぱいにふんわり綿菓子を抱えているような気分だった。
家に帰るとすぐキッチンにカニかまを置いて、お姉ちゃんの背中に「先にお風呂入るね」と声をかけておいて素早く風呂場に向かう。顔を見ると爆笑してしまいそうだったし、そうでなくてもにやけがとまらなかった。タオルを振り子のように揺らして廊下をスキップしたら古くなった床板が変な音をたててびっくりした。自分は本当に体が大きくなったんだなと気が付く。
湯船の中で深海は、早く親友にこの話をしなくちゃと思っていた。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?