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冒険ダイヤル 第4話 フェイクニュースノート

「パソコンのパスワードにバーカバーカベロベロバーと入力すると爆発する、だって。はなまる十個くらいついてるね」
それは野田マートの店長の娘が書いたものだ。彼女はとても優秀で、県外の全寮制高校に進学してしまった。今どうしてるんだろう。深海はそれを読み返しながら、書いた子供たちを一人ずつ思い出していた。それぞれ新しい友達ができたり学校が分かれたりして次第に会わなくなってしまったけれど、みんなはこのノートを覚えているだろうか。
 
その他にも、六丁目の公園で暮らしているおじさんは実は大企業の社長で空き缶拾いの仕事は世を忍ぶ仮の姿だとか、学校の裏のため池に巨大魚が棲んでいて人を食べるとか、駅前広場のデジタル時計に深夜にスパイの暗号司令が映し出されるとか、なかなか不穏なニュースが書き連ねられていた。
「冷蔵庫のプリンが毎晩消える怪現象が発生。夜中に見張っていたら宇宙人を発見した。プリンを食べた犯人は宇宙人だったのだ。宇宙人には歯がなかった、だって」
「これ書いた子のおじいちゃん、入れ歯だったよ」
ふたりは笑い転げた。一度こうなるとたいして面白くないことでも笑いが止まらなくなる。指を汚さなくて済むようにポテトチップスを箸でつまんで食べながら読んだ。気がついたらほとんどなくなっている。
「文房具屋のレジのおばちゃんには双子の妹がいて、ときどきすりかわっている。そっくりだから見分けがつかない。妹のほうは手のひらに歯があるからおつりをもらう時かみつかれないように注意…これはもうホラーじゃない?」
「それがね、ほんとに顔が似てる妹がいるらしいって後でわかってちょっとした騒ぎになったの。ノートに書いたことが本当になるっていう、そういう漫画があるでしょ?」
深海はしゃべりながら持っていた箸を振った。お母さんにはやめなさいとよく叱られる悪い癖だ。

絵馬は箸を口にくわえたままページをめくった。
「えっと次…うちのお姉ちゃんが今話題のカニ送りつけ詐欺にひっかかりました。いくらカニが好きでも知らない人からカニが送られてきたら食べてはいけません。カニが届いたら家族に相談しましょう。これがふーちゃんの書いたやつだね」
さっき居間を通ったときに、お盆休みが終わり勤務先へ戻ったお姉ちゃんが忘れていった変なカニ柄の靴下が干してあるのを見られてしまったようだ。
「それがウケて、うちのお姉ちゃんのカニ狂いが有名になったの」
その証拠に、はなまるがびっしり書いてある。
「人がいやがることは書かないっていうおきてを破ってるんじゃないの」
「お姉ちゃんは大人だから見せてないもん。それに、悪口じゃないもん」

もちろん、詐欺の話は嘘だ。
それを書いた頃にお姉ちゃんが遠くの大学に通うために一人暮らしを始めた。アパートへ遊びに行った時に部屋の雰囲気がよそよそしくて、どうしようもなく嫌な気持ちになってしまった。それを打ち消すための作り話だった。
カニが大好物のお姉ちゃんは家では遠慮してたくさん食べないけれど一人暮らしに浮かれて自分だけお腹いっぱいカニを食べている姿を想像したらおかしくて、でも悔しいから詐欺にあったということにしてみたらなんだか気分が晴れた。自分の知らないところで知らない人と楽しく過ごしているかもしれないという想像を打ち消したかった。でも彼氏がいるらしいことにはちょっぴり気付いていて、だからこんなひねくれた書き方をしてしまったのかもしれない。

「私ってすごく子供っぽかったんだなあ」
「子供は子供っぽくて当たり前じゃん。ふーちゃんてお姉ちゃん子だったんだね」
「そうだったんだね。自分でも気が付かなかった」
五年間でいろんなことが変わったのだ。
夕食は二人で作ってみなさいとお母さんに勧められたのでカレーの材料を買いに行くつもりだった。
「ふーちゃん、このまま外に出ない?」
「うーん、どうしよう。こういう可愛い服に合う靴がないよ」
スニーカーと学校用のローファーしか持っていないのだ。
「わかってるよ」と絵馬がリュックから取り出したのはシンプルな形のサンダルだった。これなら少しくらいサイズが違っても履けそうだ。

エコバッグを片手に表へ出ると、陽は傾き始めているもののまだ蒸し暑かった。
柔らかいスカートの生地に優しく足首をなでられて、自分まで優しくなっていくような気がした。
毎日歩いている商店街なのに絵馬が一緒にいるのがとても不思議な感じがする。いつものスーパーがどこか別の場所みたいに見え、違う次元が交差しているような奇妙な感覚にとらわれてそわそわした。
駿の家に近付くと、その感覚は一層強くなった。
ちょうどそのとき、玄関からあまりにもタイミングよく駿が出てきたので、びっくりして棒立ちになってしまった。

玄関先の柵に小さい靴が逆さまに引っかけて干してあった。彼は中に手を突っ込んで乾いているのを確かめ、持ち帰ろうとしているところだった。四歳下の弟の靴だろう。
深海の見慣れない格好のせいで駿は靴を両手に履いたまま固まってしまった。
沈黙の後で駿はようやく我にかえった。
「おう…ふかみ…姉ちゃんカニ食ってる?」
「…うん」
こんなときにカニしか出てこない駿もどうかと思うが、そうつっこめるほどの心の余裕がなかった。
絵馬はきょとんとして駿と深海のやりとりを聞いていたが次の瞬間すべてを理解したらしい。彼女は控えめに頭を下げて「ふーちゃんの友達です」と挨拶した。
「ふーちゃん、か」と駿はつぶやいた。この呼び方をするのは絵馬だけなのでさぞかし違和感があったのだろう。
深海が恥ずかしさで何も言えなくなったのに気付いた絵馬は、そっと手を引いてその場から立ち去れるようにうながしてくれた。ひやかしたりしないところが優しいなと思った。
 
駿に背中を向けた途端に深海は走り出したくなった。さっきまでノートの中にいた幼い自分とロングスカートの自分が先を争って前へ進もうとしていた。無意識に早足になる。
履き慣れていないサンダルで坂を登るのは思ったより難しかったが、むきになって速度を上げた。
「ふーちゃん、待って」
絵馬があわてて後を追ってくるのを振り返ったらサンダルが脱げてつまずいてしまった。
「痛たた」
裸足のつま先だけアスファルトに置いたら熱くてやけどしそうだった。
「そんなに急がないでください、姫」と絵馬は冗談めかしてサンダルの片方を拾うと買い物袋を置き、足元にしゃがんで履かせてくれた。
深海はなんとか笑って、ひょこひょこ足をひきずりながら絵馬と手をつないで帰った。

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