灯台もとくら主人公
おはようございます(・ω・)
創作の勉強になりそうな記事を読み漁っていたところ、『当たり前過ぎて、考えていなかった視点』を発見しました。
今日も備忘録的に書いていこうと思います。
『なぜ、小説には主人公が必要なのか?』
俺は、上の問いに対してこう思っていました。
"読者が感情移入する視点が必要だから?"
間違いではなかったかもしれません。
ですが、圧倒的に足りないと感じます。
今回は、物語の主人公について学んだことを書いてみます。
・もし、小説から主人公がいなくなったら
きっと、それは風景だけが無感情に書かれたなにかです。
小説には『視点』が不可欠で、一人称、二人称、三人称、神視点などがあります。(それ以外は知らない……)
書き手は、読み手に物語を想像してもらうため、なにかしらの視点を提供することで、物語の世界に引っ張り込むという事をします。
それが、主人公(という視点)です。
主人公のいない小説を想像してみます。
視点というものが提供されないので、そもそも、物語自体が見えないことになります。
物語があったとしても、見ることができないのです。
例えば、あらすじのように、物語を説明することはできると思います。
でも、それは『小説』と呼べる代物ではありません。
小説は、説明文になってはいけないのです。
例えば、物語の冒頭に永遠と世界設定を書く人がいます。
書き手は、世界設定を読み手に説明することに成功するでしょう。
でもそれ、面白いですか?
なんのために小説を読んでいるのでしょうか?
「物語を面白くするために必要なことだ」と書き手の声が聞こえてきますが、読み手側からすれば、どっかの世界の風景や文化を何ページにもわたって、勉強させられている気分にしかなりません。
多くの読み手が、早く読みたい! と思っているのは、ドキドキ、ハラハラ、ワクワク、できるような展開です。
読み手が無意識に求めているのは『感動』だと思います。
人気のあるライトノベルのレビューに、『展開が面白い!』『主人公がかっこいい!』などよく見かけます。
恐らく、読み手が一番印象を受けたシーンはそこです。
主人公の視点で物語が進行する(展開)シーンに一番惹きつけられた。
そう、俺は解釈します。
なにか事件が起こった、ことに対して主人公が、対処する(主人公という視点で物語を感じ、観る)。
この展開によって、本を閉じる人もいれば、夢中で読み進める人も出てくる。
以前、noteで『キャラクターを書き手の価値観で思い通りに動かすのではなく、書き手の価値観や考え方に合わないキャラクターに何かを語らせる時も、そのキャラクターの思想に忠実でいなくてならない』と学んだ事を覚えています(下記にリンクあり)
物語を読み進め、主人公の性格がなんとなく分かってくると、この主人公ならこう行動するのではないかという予測を読み手がしはじめます。
つまり、主人公の人柄を知ることは、読み手に、この先の物語の展開を予想させて、読みたくなるかどうかにも影響を与える。
そう、今回、学びました。
なので、物語の序盤は早めに主人公(視点。人柄など)を登場させ、行動させ、読み手に「君が物語を体験する相棒はこういうやつなんだよ」と伝えて置くことが大切だと感じました。
言葉を置き換えるなら『共感できる主人公』でしょう。
共感できない、追っていて辛くなる主人公に着いていきたいでしょうか?
人の好みはそれぞれですので、物語にも多様性が出ますし、多かれ少なかれ、書いた作品を求める読み手は、きっと現れるでしょう。
ただのニーズが多いか少ないかの話しかな? 知らんけど。
一方、普遍的に愛される物語もあると聴きます。
まだまだ、勉強不足でなにもかもが、足りていないのを痛感させられる毎日です。
また、アウトプット頑張ります(・ω・)
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