科学古典読書時代スタートのための記録(読書論エッセイ)

中学校に入学した直後に科学部に入部したことを今でも記憶している。
わたしは、科学に憧れていた。

好きなテレビ番組はDiscoveryチャンネルの宇宙シリーズ。学校から帰るとそれを見るのが楽しみだった。天体現象を迫力溢れるCG映像で再現し、天文学者や宇宙物理学者のナビを交えた宇宙ロマンに満ちた番組だった。

そして、一番のお気に入りはナショジオのCOSMOSシリーズである。セーガン博士を継いだタイソン博士の『時空と宇宙』シリーズ。それによって、科学の広大な世界の存在を知り、足を踏み入れた。その感動と興奮は忘れられない。
COSMOSシリーズは、「いくつもの世界」もすべて鑑賞した。大ファンだと言えるかもしれない。

私自身は、自然科学に魅了された経緯があるとはいえ、科学教育は全く受けていない。大学は、文科系を卒業した。
面接か何かで、文科系、理科系、どちらの出身ですか?と聞かれたら、文系だと答えてしまうことだろう。
けれど、そこまで意識しているわけでもなく、文理の境界線など、虚構だと考えている。
人生100年時代、生きる知恵を得るのに、科学を学ばないでいることなどできるだろうか。少なくとも、サイエンスの面白さや魅力を体験せずにこの世界を生きるのは、あまりにももったいないと思う。

「自然科学を教育機関で専門的に学ぶことはないけれど、科学を読むことによって、科学を生きること。」

この視点を教えてくれたのは、編集工学者の松岡正剛さんである。
千夜千冊のファンである私は、大学に入ってから、千夜千冊で、科学書の魅力を再発見した。実を言うと、自分が読みたいと思う書物の軸は、千夜千冊で8割から9割は固まったといっていいかもしれない。千夜千冊は、エンサイクロペディックなブックナビゲーションサイトで、知的耐久年数が高い、良質な書物や貴重であまり知られていない書物がたくさん登場する。
読むだけで、読書の愉しさにふれることができるインターネット上の図書街ともいえる。
千夜千冊に取り上げられる書物はどれも、人類の知的遺産・知的達成を網羅しようとしているので、価値基準が、大きな座標系に基づいている。
まさに、人類が他の惑星に移住して、図書館をつくるときに、あるいは、地球知を継承するために日本人の移住者が参考にしたいと思うような本の森なのである。

その千夜千冊で、松岡さんは、科学書を多く取り上げている。そして、「三徳荘というアパート」に住んでおられたときに、科学古典の読書時代をスタートされたというエピソードを書いていた。
この話が文庫版のエディションでは、『宇宙と素粒子』の「マッハ力学」の回に収録されており、とても印象に残っていた。


ところで、エディションの『宇宙と素粒子』は大宇宙をイメージさせる漆黒のブックカバーに包まれ、棚に収まっている。このブックカバーが売られていたときは、これはこのエディションにぴったりでは!と思ったものである。数年かけて、そうとう読み込んだので、いまは丁寧に保管し、在宅で時折読んでいるのである。

千夜千冊に触発され、科学古典の読書を自分もしてみることにした。といっても、科学書には、普段から興味があり、少し集めていた。
けれど、千夜千冊で紹介されていた、『シンメトリー』を買ってしまったときは、足が震え、迷いがでてきた。ワイルのような大数学者の著作を、この自分が買ってしまったことに対してである。果たして、理解できるのか?と。
しかし、カントの『純粋理性批判』に挑むよりは、自分に適しているような気がしたし、何よりも数学的思考に関心を深めたいという正当な目的があった。しかも、上のエディションで一番感激したのがワイルなのである。

【 読書とは、理性の灯をリレーすることである。書物を手に取り、読み、共有すること自体が、人類の偉大な文化を未来に継承することと、イコールなのである。私は、読書が人類の進歩に貢献すると本気で信じている。書物は人間をより善く変化させる。】


ご清聴ありがとうございました。



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