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SFを読むことの意義・読書論エッセイⅡ

歴史学者のユヴァル・ハラリは『21Lessons』で「二十一世紀には、SFはおそらく最も重要なジャンルになるのではないか。」「政治的な視点からは、SF映画の佳作は、「ネイチャー」誌や「サイエンス」誌の論文よりも、はるかに価値がある。」と書いた。言い換えるなら、SFはこれからの時代において、最高の芸術ジャンルであり、最高の教養なのだと思う。私は、そう解釈する。

優れたSF作品は、先の時代を先見的に示すものがある。『地底旅行』や『海底二万里』の生みの親、SF界の巨匠、ジュール・ベルヌは昔から好きだった。とくに『地底旅行』には思い入れが強い。映画『センター・オブ・ジ・アース』には、子どもの時に心を踊らされた。自分のことをヴェル二アン(ジュールベルヌの作品世界が実話をもとにしていると信じる人々のこと)だと思ったぐらいである。ちなみにベルヌ作品は、挿絵も素晴らしい。ある友人は、複数の版のなかから、挿絵が気に入るかどうかで選ぶという話をしてくれた。

要するに、多くの少年の御多分に漏れず、物心ついたときから、SFが身近にあったのである。

しかし、私はSFオタクというほどではなかったことは明言したい。今思えば、SFのオタクに魅力を感じるが、自分の場合、洋画のファンタジーにも同じくらい影響を受けた。

そもそも、SFを教養と位置づけている時点で過ぎ去りし少年時代のあのSFへの情熱は、だいぶ冷めてしまった。だからこそ、大人として、SFにさらに接近したくなるのだ。なので、今回の記事はSFに再入門するための自分なりの見取り図である。

ここで、SFを読む意義を整理したい。

まず、SFを読むと、① 想像力が豊かになる。想像力は、21世紀の人類に残された最後のフロンティアである。② 科学に対する関心が芽生える。科学の可能性と限界を認識するための最強のツールである。③ 未来を体感することで、時空的な視点や未来的な思考、センスが養える。④ ある種の実験的論考、あるいはヴィジョンとして捉えられる。

③と④については、説明が必要だと思う。

まず、SFは、現在進んでいる最先端の科学的世界像をぎりぎりまで、圧縮した上で、その世界像を人類社会の仮想空間上で、再現し、未来の姿を実験的に出現させてみせるというある種の予言装置ではないかと思う。すなわち、ほんとうに優れたSFというものは、ただの娯楽以上の存在であり、芸術のように、人類の未来を探究する、未来の歴史の詳細な記述なのだ。つまり、SFは完全に芸術の一分野であり、SF作家は、芸術家だと思う。

芸術家は人類の触覚である。
             ━━━エズラ・パウンド

偉大な芸術には、我々がまだ何と呼んだらいいかわからず、ましてや説明できないような、ある種の透視力がある。
             ━━━美術批評家、ジョン・ラッセル

芸術家は常に未来の詳細な記述に没頭している。現在の性質に気づいている唯一の人間だからである。  
             ━━━━美術批評家、ウィンダム・ルイス

ここで、私自身が、最近読み始めたSF作品を紹介させてください。
まず、知の巨人、スタニスワフ・レムの『ソラリス』の新訳。

巨匠アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』

先ほど登場した、ベルヌの『地底旅行』の創元SF文庫版。


ご清聴ありがとうございました。

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