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最も低いリスクを叩き出す
どう考えても働けない。
正社員やフルタイムでは。
無理。でもこのまま休んどくのもジリ貧。
次への決断を迫られている訳だが、一歩進んでしまうための気力と体力を回復している時期だと思う。
私自身ここまで生きて来るまでにこころと身体が疲弊しきっているのを自覚した時、出来ることが限られてくる。(自覚してくれてよかった)
福祉関係で相談に乗っていただくとき、
1.貯蓄がない
2.健康でない
3.頼れる
雷が遠くで鳴ってる。ピカッと光る。静かな雨の音。
この夏を無事生きられるだろうか。
生きようか。
もうスーパーヒーローにはなれない
現在まだまだごろごろ休職中
先の見通しはとんと立たない。
求人を眺めすぎて嫌になってしまい、決まらなかったらアルバイトを探して転々として、自分にしっくりくる働き方を探そうと思っている日々である。
最初の職場で色々わたしは失った。
ただ何を失ったかはとんと分からない。
それより前から失ってるものは沢山あった。
何かを失ったと感じたから還れる時代まで還っているところである。
大学時代、高校時
どうしようもなく海を眺めてたいときがあった
18の年まで自分が自由に出来ることは何一つなかった。大人を説得するだけの交渉術も福祉へ手を伸ばせるだけの頼り方も、何もかもを全て取り上げられて後から振り返れば、あぁ、あれは立派な虐待で、わたしは現時点でサバイバーなのだと。助けてとあげた声は日常に紛れてしまって、しばらく経って、助け方を伝えられない抽象的な助けてでは、大半の人は助けてを受け取ることも出来ないのだと知った。
それから6年、奨学金の口
愛する人にしたいことを自分にしていますか?
3年前の暑い夏
自己肯定感とはなんですか?
と心理学を専攻科目にしていた私に聞いてくれた人がいた。他分野を研究されている私が勝手ながら尊敬の念を抱いている先輩だった。当時うまく答えられなかった。自分を認め肯定する力である。と答えた記憶がある。
そんなことを聞いていたのではないと承知で誤魔化すような回答を差し出した。自分が尊敬する相手に、である。せめて誠実で在りたかった。私の中にある数少ない後悔
私が責任を持つ決定は全て私に帰結しなければ面白くない
と、仰々しい題名を書き溜めていたto do リストのメモたちから選んできた。
いつか書こう書こうと思っていたブログは本日書き始めることになったわけだが、いざ書き始めてみるとここに至るまでが蘇る。
なんせサイトに2度も登録した、まではいいがその後メールがうまく届かず諦め、3度目の正直である。この期間なんと1年と少しは過ぎている気がする。。。
打たれ弱いのである。
24の歳まで学生をし、この春新