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もうスーパーヒーローにはなれない

現在まだまだごろごろ休職中

先の見通しはとんと立たない。

求人を眺めすぎて嫌になってしまい、決まらなかったらアルバイトを探して転々として、自分にしっくりくる働き方を探そうと思っている日々である。

最初の職場で色々わたしは失った。
ただ何を失ったかはとんと分からない。
それより前から失ってるものは沢山あった。

何かを失ったと感じたから還れる時代まで還っているところである。

大学時代、高校時代、、それより前、、、それよりずっと前、、、、、

結局私は子供時代らしからぬ子供時代まで行き着いた

幼稚園で平仮名を全て書き円周率を500桁覚える子供。
お絵描きや積み木遊びをすると怒鳴られ叩かれて泣きじゃくっている小さな子供。

これからやりたいこともよくわからない。
やりたいことは全てNOを叩きつけられそれに迎合してきた人生だった。弟を見習って親が根をあげるような駄々の捏ね方主張の通し方を習得した方がまだ健全だったなと今なら思う。(好かれたかったのだ、母から)

ただわたしにNOを突きつけるのはもう私しかいない。
今からやりたかったこと全てを拾いに行くために人生生き直してみようかと思った次第でもある。

。。。
ずっとあの頃のわたしをどうやったら助けられるかと思いながら生きている。 

泣いている人がいれば話を聞き、分からないことは伝えて。そうやって周りから頼りにされ、時には妬まれ生きてきた。

悲しいかな、泣いている私の悩みを聞いて、答えの分からない私の問いに答えてくれるスーパーヒーローにもなりたかったけど、なれなかった。それが一層わたしのある種の孤独感を強くさせたのだろう。

14の夏、ある瞬間ダムが壊れたように私の心も体もその瞬間の前に戻れなくなった。ガラガラと手からこぼれ落ちていくように何もかもが変わっていき、毎日見える景色も異世界のようで。18の冬、実家から蹴り出されるまで続いた何もかも色づかない景色。
最後の方はほとんど声も出ず、ほぼ寝たきり、氷砂糖だけはなんとか買ってもらい口に入れて、そんな私を周りから隠すよう無い物のよう扱う家族。

もう人間が怖いのである。でも愛してもいる。

それからズルズル10年なんとか生きた。

もうスーパーヒーローにはなれない。ただの何もわからない人間であることを理解し、助けられなかった小さな子どもの側にいるよと約束できる大人になりたいとそう思った。

君はどういう世界を見てみたい?

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