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私が責任を持つ決定は全て私に帰結しなければ面白くない

と、仰々しい題名を書き溜めていたto do リストのメモたちから選んできた。

いつか書こう書こうと思っていたブログは本日書き始めることになったわけだが、いざ書き始めてみるとここに至るまでが蘇る。

なんせサイトに2度も登録した、まではいいがその後メールがうまく届かず諦め、3度目の正直である。この期間なんと1年と少しは過ぎている気がする。。。

打たれ弱いのである。
24の歳まで学生をし、この春新社会人に属せたまでは良かったのだが、なんとまあ社会人の環境に身体が驚きついていけず、日がな一日寝て過ごす毎日である。

休むという決定は誰にも相談らしい相談もせず、ある朝起き上がれなくなったその日に決意を固めた。

お陰様で今、お休み出来ている。
初めて完全に自分の意志で誰にもレールを引かれず決断をしたことが休職することであった。

興奮した。
歓喜した。
自分の意志を自分の行動を誰にも邪魔されず決められることに、そして、その決断は自身に返ってくることに(金がねぇ)
その感覚をようやっと味わった。
しばらく覚めやらずその興奮にしばらく取り憑かれたような感覚を引きずった。

家族とも呼べない人間たちはこのことを知らない。ただ、これから生きていくことを思い描こうとした時真っ先にお金のことが頭をよぎり、そして過り続ける。

新社会人4月貯金0からスタートし、ただ今全財産は30万を切る。
こんな文章を書いている余裕はあるのでまだ大丈夫だろう。

社協や保健センター、市役所、お金がない人のためにどんな制度が現在あるのかと電話をかけまくった。
結果、現状使えるのは傷病手当だけであるという知識と、電話の通話料金がかさんだだけであった。

ふむ。
私の決断が、私のなにに帰結するのかはとんと分からないが、分からないからこそ面白いと言える余裕だけは日がな一日ごろごろごろごろと寝てYouTubeの動画を漁り、Twitterを徘徊し続け、捻り出せているということで良いことにしよう。

誰かに決められるのに飽きた人間という自覚と、誰にも決められたくないという暴走気味な欲求

どうやら親という生物は自身の腹から出てきたであろう子が高学歴で将来安泰な職に就いて働き続けてあわよくば借金を一緒に返して欲しかったようである。

この24年レールを途中何度も落ちたりしながら取り敢えず進んできたが、今までボロッボロになりながらもよく耐えてくれた身体と心のために、2ヶ月過ぎたあたりで私はレールにさよならしようと決めたのである。

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