愛は、循環する。【#たすけてくれてありがとう】の裏側
先日、「#たすけてくれてありがとう」のnote企画にエッセイを投稿した。
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これは息子が0歳のときなので、今や6年以上前の話になる。
「たすけてくれてありがとう」という言葉を聞いたとき、真っ先に浮かんだエピソードだ。
このときのご婦人は元気でいらっしゃるだろうか。顔もおぼろげだし傘も返せていないけれど、お元気だといいなぁ。
この話に限らず、子供を産んでからというもの、見ず知らずの方に優しくしていただく経験が増えたように思う。
私はベビーカーを持っていなかったので、基本抱っこ紐での移動だったのだが、特に「電車やバスで席を譲っていただく」という経験は本当に多い。
見た瞬間に「どうぞ」と、さっと立ってくださる方。
向こうから手招きして「ここ、空いてるよ」と教えてくださる方。
二人同時に立ってくださったこともある。
申し訳なく、ありがたく、そのたびにあの雨の日に、ご婦人からいただいた言葉、
「その赤ちゃんに、あげるのよ。」
という言葉を思い出す。
席を譲っていただく親切も。
ぐずりそうな息子に、あえて向けてくださる笑顔も。
“この愛は、この子へ。”
これから生きてゆく小さな命に対する、無償の愛。
私たちは、慈しんでくださる沢山の方々に支えられて生きているのだ。
子供たちには、この愛を伝えていきたいと思うし、また大きくなってから愛を注げる人になってほしいと思う。
そうして愛は、巡り巡っていくものではないだろうか。
抱っこ紐に埋もれて、目をキョロキョロさせていた息子も、今や小学生。
人間的にはまだまだ未熟。でも先日、お年寄りに席を譲ったときは、よく勇気を出して言えたねといっぱい褒めた。
あなたもそうやって、譲られて、助けられて、大きくなったんだ。
そしてこれからも、沢山の方々の愛を受けて、大きくなるんだ。
親自身もまだまだ未熟だけれど、愛を還せる人になりたい。
一緒にがんばろうね。これからも。
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