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【小説】 ハイパー・ゴリラ・ドリル

 「あの子、本当に大丈夫かしら」マミコは洗い物を終え、つぶやいた。ダイニングテーブルに座り、テレビを見ながらビールを飲むタカヒロは何も言わなかった。「私たち、どこで育て方を間違えたのかしら。小さいころから、塾にも通わせて、中学受験もさせた。あの子がやりたいという習い事は何でもやらせたわ。ピアノもダンスも、スイミングだってやらせたのに」タカヒロは相変わらず何も言わずビールを飲んでいた。タカヒロが何も言わないから、マミコも黙ってしまった。張り詰めた空気に対して、場違いなほど明るい笑い声がテレビから聞こえた。タカヒロはリモコンでテレビを消すと、「お風呂から出たら、ヨウコに話をしてみるか」と言った。お風呂から微かにヨウコの鼻歌が聞こえた。

 「ヨウコ、ちょっと座ってくれる?」マミコは部屋に戻ろうとするヨウコに声をかけた。ヨウコは両親と向かい合わせになって座った。二人とも神妙な面持ちでヨウコを見ていた。誰も何も喋らないので、しばらく沈黙が続いた。

 最初に沈黙を破ったのはマミコだった。「ヨウコ、将来のことちゃんと考えているの?お父さんもお母さんもあなたがちゃんと生きていけるか心配なのよ。大学には行くの?勉強しているのかもわからない。それとも専門学校に行くつもり?あなたの人生だから、あなたの好きなように生きてほしいとは思うわ。でも、何もわからなきゃ応援することもできないの。ねぇ、ヨウコ、将来のことちゃんと考えているの?」タカヒロはじっとヨウコを見るだけで黙っていた。ヨウコは黙って聞くだけで、何も言わなかったから、今度は語気を強めてマミコは話し始めた。

 「私たち、ヨウコに何か悪いことをした?ヨウコのことをいつも尊重してきて、ヨウコのやりたいことができるようにサポートしてきたつもりなのよ。あなたが行きたいと言ったダンススクールにも通わせてあげたりしたじゃない。確かに中学受験は私たちがやらせたかもしれない。遊びに行きたいと言われても勉強しなさいとは言ったわ。でも、それはヨウコの将来のためを思ってのことなのよ。ねぇ、教えて。あなたは今何を考えているの?」タカヒロが煙草を吸おうとしたから、マミコは肘で小突いた。タカヒロは口にくわえた煙草をそっと箱に戻した。と、ヨウコは小さい声で何かつぶやいた。絞り出したようにか細い声だったためうまく聞き取れなかったマミコは、「なに?」と聞き返した。

 「私、ハイパー・ゴリラ・ドリルになりたいの」ヨウコは勇気を振り絞って言った。今度ははっきりと聞き取れたマミコだったが、もう一度「なに?」と聞き返してしまった。さっきまでずっと黙っていたタカヒロもかなり大きい声で「え?」と言った。「あのね、私、ハイパー・ゴリラ・ドリルになりたいの」今度ははっきりと力強くヨウコは言ったが、二人は口を開けたまま黙っていた。二人は何が起きているのか全くわからなかった。想像していた答えの斜め上どころの騒ぎではなかった。怒るべきなのかもわからなかった。

 「ハイパー・ゴリラ・ドリルってなに?ごめん、お母さん聞いたことなかった。ハイパーもゴリラもドリルも知ってるけど、ハイパー・ゴリラ・ドリルは初めて聞いた。ちょっとごめん、一回水飲ませて」マミコは立ち上がり、コップに水を入れると、一気に飲み干した。「ごめん、お父さんもちょっと水飲む」タカヒロも立ち上がり、マミコから水を受け取ると一気に飲み干した。ヨウコはつづけた。

 「ハイパー・ゴリラ・ドリルになりたいの。間違えてハイパー・ドリラ・ゴリルって言いそうになるときあるから気を付けて。それだけは絶対にダメだから」「そもそもハイパー・ゴリラ・ドリルなんて言葉言う機会ないんだから言い間違えることもないわよ。そもそもどういうものなの?プロレスラーみたいなものなの?響きだけ聞くとすごい危なそうなんだけど、なんなの?」「ごめん、マミコ。もう一杯水もらっていいか?」マミコにはヨウコが本気で言っているのか、ふざけているのかわからなかった。

 「プロレスラーとかそんなもんと一緒にしないで。お母さん、私がやりたいこと応援してくれるっていったじゃん」ヨウコはだんだん熱くなってきたのか、声も大きくなってきた。マミコもよくわからないけれど熱くなってきた。「お母さん、応援するとは言ったけど、そんなよくわからないものはお応援できない。嘘。お母さん、あなたには医者とか弁護士になってほしい。せっかく中学受験もしたんだから、本当はすごい大学に行ってほしい。大体なんなの?ゴリラの方が本体なの?ドリルの方が本体なの?どういう、どういうものなの?」「だめだ、スマホで検索しても出てこない。わからない。怖い。マミコ、水くれ」

 ヨウコはちょっと怒りながらつづけた。「医者とか弁護士なんてつまらない。絶対ハイパー・ゴリラ・ドリルになるんだから。それに危ないものじゃないわ。普通のゴリラ・ドリルは危ないかもだけど」「なに?なんなの?そもそも普通のゴリラ・ドリル自体知らないわよ。だいたいハイパー・ドリラ・ゴリル、違う、ハイパー・ドリラ・ゴリル、すごい本当に間違えちゃったわ。口がよくわからなくなっちゃた。そもそもハイパー・ゴリラ・ドリルなんて言葉スマホで検索しても出てこないじゃない。」「マミコ、この水すごい美味しいな。もう一杯もらっていいか?」

 「とにかく、お母さん、そんなよくわからないものには応援できない。てっきりアイドルになりたいとか言うのかと思ってたわ。ヨウコ。お母さん、せめてアイドルになりたいとかにしてほしい」マミコは疲れてしまい、椅子に座った。「お父さんもそう思うぞ。お父さん、もうお腹も水でいっぱいになっちゃてる。ぽちゃぽちゃ聞こえちゃってる」タカヒロも椅子に座った。「そんな。私、ハイパー・ゴリラ・ドリルになりたいのに。でも、わかったわ。仕方ないからアイドルで我慢する。私、頑張るね」そう言うと、けろっとした顔でヨウコは部屋に戻っていった。

 マミコとタカヒロはさっきまでヨウコが座っていた椅子を呆然と見ていた。「とりあえずよかったわ。ヨウコがちゃんと将来について考えてくれて」「まったくだ。一時はどうなることかと思ったが、まともな答えが聞けてよかった」「本当によかった。私たち、育て方間違えてなかったんだわ」

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