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【小説】 余命宣告


 ヨシオは25歳の青年だった。何となく高校に行き、何となく大学に行き、何となく就職をし、何となく生活している青年だった。そして、何となく家に届いていた健康診断のお知らせを見たヨシオは病院に行き、診断を終えたのだが、後日再度診断するようにとの知らせが家に届き、もう一度診断をしたのだった。待合室で待つようにと言われたヨシオは、何となく雑誌を読んで待っていた。ヨシオの名前が呼ばれたので、彼はノックして診察室に入っていった。診察室には深刻な顔をした医者と、看護婦がいた。

 ヨシオが席に着くと、医者は何も言わず、ヨシオの目をじっと見た。あまりにも目を見るので、彼は心の中を覗かれているような気がして、思わず目をそらしてしまった。すると、医者は静かに話し始めた。

 「いいですか。落ち着いて聞いてください。何を聞いても驚かないと約束してください」ヨシオは何となく聞いていたため、まさかそんな強い言葉、「約束」などという言葉が出るとは思わなかった。しかし、彼の反応を待つまでもなく、医者はつづけた。

 「これは言うべきか、言わないべきか迷いました。しかし、医者として、一人の人間として言うべきだと思い、言わせてもらいます」医者は額に冷や汗をかいていた。そして、メガネのつるを触りながら、鼻から大きく息を吐くと、「あなたは不治の病にかかっています」と言った。ヨシオは驚いてしまった。ある程度予想はしていたが、やはり実際に言われるとなると別である。心臓がバクバクと鳴り、嗚咽しそうになりながら、か細い声でヨシオは「それで、あとどれくらい生きられるんですか?」と聞いた。

 すると、医者は今度は力強く、はっきりと「いいですか、あなたの余命はあと60年です」と言った。え?どういうことですか?とヨシオは聞いたが、医者は「二度は言いません」と言った。彼は何が起きているのかわからなかった。しかし、医者は真剣な顔をしている。彼は拍子抜けしてしまった。そして、休日を使ってわざわざ病院で再検査までして言うことではないと思うと、何だかイライラし始めた。しかし、相変わらず真剣な表情のまま医者は話し続けた。

 「いいですか。これは長いようで短い時間です。私にはどうすることもできないから言いますが、あなたの好きなように生きるべきです。悔いのないように生きるべきです。他でもない、あなただけの人生を生きるべきです」そして、またしても医者はヨシオの目をじっと見た。これもまた彼にとっては思いがけない言葉だった。この医者は見ず知らずの男の休日を使って、わざわざご丁寧に人生の大切さを説いてくれたのだと思うと、余計にイライラしてきたが、しかし、その言葉は彼の胸に深く刺さった。彼は何とも言えない感情になってしまった。それで、素っ気なく「もういいですか?」と言うと、診察室をあとにした。

 ヨシオがいなくなると、医者は深く溜息をついた。ひどく疲れたようだった。それで、横にいた看護婦が声をかけた。「先生、大変な役回りだとは思いますが、先生は間違っていなかったと思います。私は横で見ていることしかできませんでした。本当に先生には頭が上がりません」医者は小さくありがとう、と言った。看護婦はつづけた。

 「あの場で機転を利かせて60年と言うのは勇気がいる行為だとは思います。それでも、彼にとってはその方が絶対に良かったと思います」「60年?」医者は突然聞き返した。急に焦りだしたように額の汗をしきりに拭きだした。「60年と言ったのか?」「ええ、先生はそうおっしゃったじゃないですか。優しい嘘だと思いますよ」「まいったな。私はてっきり6年と言ったつもりだったのだが、60年と言っていたのか?普通は言い間違えようがないだろうに。しかし、まいったな。とんでもないミスをしてしまった」

 「え?わざとじゃなかったんですか?」驚いて看護婦は聞き返した。医者は「わざとじゃなかった」とかすれた声で言った。「しかし、まあ君の言うように優しい嘘をついたということにしようか。どうりで彼が素っ気なかったわけだ。まいったな、まったく」医者は憔悴しきった様子でメガネを外し、目頭を押さえた。

 

 さて、診察室を出たあとのヨシオについてだが、あのあと家に帰った彼は、あなたの人生を生きるべきだという言葉が強く心に残り、好きなように生きようと決意していた。趣味も大してなかったヨシオだが、この機会に様々なことに挑戦するようになった。そして、彼は充実した毎日を送りながら、医者には感謝してもしきれないと感じていた。彼は健康に過ごし続け、月日は流れた。

 しかし、あれから約6年後、趣味として始めたツーリング中に交通事故でヨシオは死んでしまった。即死だったそうだが、それが唯一の救いといったところだろうか。

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