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25番(花山版) 名にしおはば逢坂山の     三条右大臣

花山周子記

名にしおはば逢坂山あふさかやまのさねかずら人にしられでくるよしもがな
    三条右大臣さんじょうのうだいじん 〔所載歌集『後撰集』恋3(700)〕 

歌意 
逢って寝るという名をもっているならば、その逢坂山のさねかずらは、たぐれば来るように、誰にも知られずにあなたを連れ出すてだてがほしいよ。       

『原色小倉百人一首』(文英堂)より

25番(今橋版)名にしおはば逢坂山の|主婦と兼業|noteで、今橋さんに、もうええわっと言われてしまったこの歌。あの文章を読んでしまうとわたしもあの文章以上の感想はなくなってしまうのだけども、そして、なんで今橋さんがそんなもうええわな歌を奇数番号なのに書いているかというと、それは『トリビュート百人一首』で今橋さんが、18~21番の歌を担当していたからで、わたしがそのぶんの偶数番号も担当し、そのかわり今橋さんが23、25番と担当することに、確かなっていたのだったと思う。四年くらい時間が経ってしまったので、記憶が曖昧。
ただ、23番大江千里の歌のときにも書いたけれど、今回、再開するにあたって、せめて奇数番号は通しで全部書いてみたいなという気持ちがあって、さらにいえば、今橋さんの64番の文章に触発されたこともあり、もうええわ以外のところで少し書いてみたい。

地名の話。今橋さんは 10番:これやこの行くも帰るも/蝉丸8番:わが庵は都のたつみ/喜撰法師でも、1000年も昔の歌の舞台と地続きに自分が今現在、あるいは過去に住んでいた土地の話を書いていく。自分の立っている場所がそのまま和歌の世界に接続してしまうような、それは歌の鑑賞でありながらそのまますぐれたエッセイになっているのだ。わたしにはとても書けないなあと思う。今橋愛という人は土地に限らず1000年も昔に詠まれた歌の心に直接に踏み入っていくことができてしまう。だからそれ自体は彼女の才気が成せる芸当に他ならない。ただ、それにしてもわたしはずっと関東で生きて来た。和歌の舞台である関西のことをつくづく知らない。

今橋さんは64番で、クリーピーナッツの歌詞を引きながら、

それは、多分、東京の人間じゃない人間(歌い手は大阪の人)が、
東京でうろついて、歌詞をこしらえていくとき、東京の地名及び観光地、その音を入れ込んでいきたくなる気持ち、
めっちゃ分かる。yeah ということになるのだと思う。

64番① 朝ぼらけ宇治の川霧 権中納言定頼|主婦と兼業|note

と書いていた。そうなんだなあと思った。わたしたちはお互いにお互いの暮らしている場所がアウェイなのだ。

逢坂山は、滋賀県大津市の西部に位置する標高325 mの山である。ちょうど滋賀県と京都との境にあって、

10番 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸

この、蝉丸の歌に出てくる逢坂の関としても知られている。

わたしはずっと逢坂は大阪の古い言い方くらいに思ってしまっていた。のみならず逢坂は大阪の語源なのか、などと勝手に合点していた。けれども逢坂と大阪はまったく無関係のようで。

それでも、わたしには「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」、「名にしおはば逢坂山のさねかずら…」に流れる節回しの最中に「逢坂」が置かれていることに、どうしても「大阪」を連想してしまう。そして、一つのイメージが発動してしまう。浪花節とかのちゃんちゃんしたおもしろおかしさを思ってしまう。正直に告白すれば、

名にしおはば逢坂山のさねかずら

はわたしにはほとんど、

鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス

と同義に見える。

逢坂が逢坂ではないということはひとまず置くとしても、今のような大阪のイメージはずっと後になって根付いたものであるから、現代の関東育ちの私の語感からくる印象は誤ったものに違いない。いつもこのnoteの虎の巻にしている『原色小倉百人一首』の鑑賞では、次のように書かれているのだ。

忍ぶ恋のいかんともなしがたい絶望的な情熱が言いこめられている。相手をたぐり寄せることはできないにしても、せめて私のこの恋の重苦しさだけでもわかてほしい、という切実な願望から出た表現の歌である。

『原色小倉百人一首』(文英堂)


それにしても、私には、この歌に「絶望的な情熱」や「恋の重苦しさをわかってほしいという切実な願望」を読み取ることは不可能に近い。娘と百人一首かるたをやりながら「名にしおはば逢坂山のさねかずら人にしられでくるよしもがな」と朗読するときの私の頭に浮かんでいるおっさんの姿を消すことはできない。

ともかく、わたしは関西の人間ではない。だから和歌の舞台であるところの関西の地名に対して観光客的な反応しかできていないのだなあと痛感する。そして、今橋さんはいつも本気の人で、だから、わたしはこの歌の鑑賞文の「もうええわ」も本気で受け止めてはいるのだけども、「もうええわ。どうもありがと(ハイヒールの漫才の最後)」という今橋さんの呆れ顔は、この歌に対する大阪流の正統なつっこみなのかもしれず。

ところで、冒頭に置いた『原色小倉百人一首』の歌意では、「くるよしもがな」を「あなたを連れ出すてだてがほしいよ」と訳しているが、この「くる」の解釈は割れているようで、田辺聖子は語気を強めて次のように書いている。

…「くる」を、女が男のもとへくる、という解釈もあるが、これは王朝和歌では絶対、あり得ない。(略)この「くる」は、『古語大辞典』(角川書店刊)にあるように、「話し手の関心の地を中心としていう場合もある」。ほんとは「行くよしもがな」というところであるが、定方(花山注:三条右大臣)の心は、女のもとにあるから、「くるよしもがな」になる。

『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)

「さねかずら」からの流れで読むと、女の方から「来る」と読むほうが、ずるずると引きずり出される感じがしておもしろくもありつつ、おそらくはこの田辺聖子の解釈が正しい気がしている。それにしても「話し手の関心の地を中心として」というところ、まるで磁石のようだ。主語を置かない日本語だからこそ起こり得る転倒のように思われて、おもしろいなあと思う。


鳴かぬなら鳴いてやろうかホトトギス大きな風が吹いてくるぞな 花山周子

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