64番① 朝ぼらけ宇治の川霧 権中納言定頼
今橋愛記
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼 〔所載歌集『千載集』冬(420)
クリーピーナッツの「のびしろ」という曲がすきで。
途中、テンポがゆっくりに変わり、次のような景が広がる。
この部分が特にすきなのである。
それは、多分、東京の人間じゃない人間(歌い手は大阪の人)が、
東京でうろついて、歌詞をこしらえていくとき、東京の地名及び観光地、その音を入れ込んでいきたくなる気持ち、
めっちゃ分かる。yeah ということになるのだと思う。
隅田川、勝鬨橋、スカイツリー、東京タワー、
中でも勝鬨橋、「かちどきばし」って音として抜群に良く、
漢字にすると 勝鬨って更に !となり。
ラップだから何よりも音、その響きを 最重視しているであろう作者が 誰よりもその場、その音に高揚し華やいでいる。
その華やぎが、こっちにも伝染してくるから
この箇所に来ると わくわくして
聞いてるうち しまいには わたしまで いつか「勝鬨橋をわた」りたくなってくるのだ。
短歌だと、染野太朗の天六(大阪)と天神(福岡)を一首に入れこんでいた恋の歌の凄味。
染野さんは どこに出かけて行っても
短歌は31文字しかないのに、地名にそんなに文字数とったら字が足りひん。とかいう計算は
今まで読んだところでは いつのどこにおいてもなされていないようである。
最初に書いた、クリーピーナッツの「勝鬨橋をわたる」のわくわくや華やぎとは全然ちがっている。
何か過剰な感じがある。その事についても書いたり考えたりしてみたい。
ここまで書いたのは普段わたしがうすぼんやり思っていること。
64の歌は「宇治にまかりてはべりける時詠める」という詞書があり、宇治に赴いた折りに詠んだ歌である。
当時の宇治は貴族の別荘地であった。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
宇治に赴いたことで、権中納言定頼の心に、何らかの化学反応が起こって この歌も生まれたのだとしたら
勝鬨橋をわたる も
宇治の川霧も
今も昔も人間はそんなに変わってはいないような気がしてきた。
つづく。
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