見出し画像

10番 これやこの行くも帰るも        蝉丸

2017年11月24日/今橋愛記

これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂あふさかの関  蟬丸   
〔所載歌集『後撰集』雑一(1089)〕

歌意 
これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた逢うという、逢坂おうさかの関なのですよ。       

『原色小倉百人一首』(文英堂)

校区外にあこがれるこどもだった。
「校区外きんしー」そこの信号をわたっただけでおこられてしまう、けど、信号をわたったら一体どんな世界があるんやろう。という想像は止まらず、近所の子と校区外に行って、当時(35年くらいまえ)は、なんでか大阪にも牛がいたりして。でも、それからあの辺で牛を一度も見てないから、あの牛は想像で作りあげた牛か。と思ったりもするけど、おったよね、牛。それはそれとして早く中学校に、高校に、大学に、いつも知らないところに行きたかった。でも高校時分、8割がたが進む地元の高校に行った友だちと道でぱっと会うと、こちらのまじめすぎる制服に対して、みなさんは口元に色などほどこし、スカートの短さに校風の自由さなど一目で感じ、わたしは知らず知らずのうち嫌な顔をしているらしく、後日、こないだ嫌そうやったなー。と笑って言われたりした。そして、若い娘時分「ひきこうもり」まではいかないにしても、まあまあ閉じていた時期に、近所を歩けばベビーカーを押す、子乗せ自転車でがんがん行く、それらママたちにくらべて圧倒的に役がないとがっくり落ちこむ。それが長いことわたしと地元との距離感だった。
ところが、校区外、校区外の後、今は地元で暮らしている。少しごみごみしてるけど、自転車ですいすい行く時の安心感の量たるや束。
もうすぐ3才のここを後ろに乗せて、わたしたちは今日も自転車でのんのん行くのだった。

『人生の視える場所』はない 
どこにもない 
そうなんか そうか 
大阪にいる。        今橋 愛

※『人生の視える場所』は岡井隆の歌集のタイトル
※今日の文章と歌の初出 角川『短歌』2016年5月号「てのひらの街」欄



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?