自分の能力間での比較得意を考える
試行錯誤がめんどくさくなる。特に実験とか、ロジ部分で手を動かすところ。 世の中の物事全てロジが必ずあり、めちゃくちゃ重要というのはわかっている。また、ロジができない奴がサブをできるわけないことはわかっている。単純に自分の能力が低いだけだ。
でも、結果として試行錯誤してもフィードバックがない状態(ぐちゃぐちゃのウェスタンシグナル、何もないドットブロットのシグナルとか)でいると、次の一手を探すのもだんだん億劫になった。
何か手があるような論文を見つけても、どうせうまくいかないと思ってやる気が出なくなったりした(学習性無力感)。そこを乗り越えるだけの源となる、手作業や実験が好きという気持ちもない。
一方で、何も試行錯誤しない、工場のレーンとか、100均バイトとかでお金を稼ぐこともできるけど、その方が試行錯誤の苦しみより楽なのかと自分に問う。そんなことはない。
ぼーっと何もしないで生きていきたいと言ったら、親には「あんたはいつも張り詰めた糸みたいに予定入れて忙しくしてたじゃん。それが好きそうだったけど」と言われた。
俺にとってそれは、将来ぼーっと過ごすための準備だった。将来を考えて、今を犠牲にしていた面がある。自分はもっと今に集中しないといけない。享楽的に刹那的に生きるというよりは、目標に過程にいる自分の成長を(未だ目標に達しないダメな自分と見るのではなく)心から認める必要がある。
それに、ある程度優位というか、そこそこ満足した状況にいないとぼーっとも過ごせない。家賃収入のある御曹司なら良かったけど、残念ながらそうではない。だから何か身につけないといけない。
自分の比較得意(自分の中での得意)を活かせる軸で見て、フラットに見てみるといいかもと親は言った。今の自分からは縁遠く見える金融ゴリゴリとかでも、自分の比較得意で考えると合っている職種はあるかもしれない。
自分の特性に関しては、探究心はある方だというのが母からの評価だった。弟は自分の能力の限界をわかっていてこれはやらないとかすぐ言うが、俺は面白そうだからやってみようという面白そうと思うチャネルがあるという。
ちなみに営業で毎日人に振り回されるのは、いくらロジが苦手と言ってもさらに苦手そうなので選ばないようにしよう。
結局今の状態は、実験やりたい、研究やりたいけど、結果が出なくて苦しい、という愚痴だけなのかもしれない…。研究者ってすごいね。
あと、なぜこんなに失敗が苦しいのかについては、自己肯定感の不足がありそうだ。目標を高く設定し(しすぎているかもしれないが)、小さい目標も立てていてそれはいいのだが、小さい目標を自分が達成したことをよくやったと自分で認められないことは問題だ。
研究に関しては自分を褒められるところはあまりないけど、挑戦していることはそもそも偉いし、留学先の教授にコンタクト取ったことや、必要な論文は読めていること、苦手な段取りも考えて実験していることも偉い。これは事実で、その過程で得られたものは確実にある。成果を出して論文にまとめたり、さらにハイインパクトなジャーナルに載っけるなんて目標にはずいぶん遠いけど、もしここでドロップアウトして(8合目で下山して)も、身についたものはある。
こういうマインドセットにしていくと、自分を認められるから、決断した先にも何か得られるだろうと思えて決断しやすくなるし、うまくいかない時に自分の能力に絶望して投げ出し(逃げ出し)たくなることもないんだと思う。
自己肯定感と優柔不断の関係については、今後また書くかもしれない。
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