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イボガ マイクロドージング体験編  37.5日目~39日目

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Earth Medicine Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

37.5日目 

2023年1月24日。今日は摂取休養。

37.5日目 奇跡の創造

奇跡の水・瑞飲み会の動画を見ていたら、正確な表現ではないけれど、私たちは、空と祈りと瑞の働きで奇跡をクリエイトしているというあさひさんの言葉が印象に残った。
この世界は陰が主、陽が虚。見えない部分が主、見えてる部分は虚。ということは知っているはずなのに、見えない世界に対しては、ただの妄想じゃないのか。計画を立てて、行動を積み重ねて、結果を出すのだ。祈って何が変わるのか、というエゴの声が頭に浮かんでくる。
なるほど。奇跡をクリエイトしているのだという表現に、今までの結果の出し方とは全く違うやり方をしているから違和感があるのだということが、今更ながら分かり、祈りに対しての理解が深まった。

あさひさんが、水を浄化するという唄を唄いあげていた。初めて聞く調べなのに、何故か懐かしく、心に響いてきた。

センターのあさひさんとのやりとりの中で、ようやく腑に落ち始めてきたことがある。

神事とは、祈りのこと
祈ること、それは祭祀
常に祈りと共にある仕事=天職
常に祈りと共にある生き方=天命に生きる

何をやるかではなく、どうやるかでもなく、何のためにやるかでもなく、自分がどうなりたいからやるのでもなく、ただ心を明け渡して、常に祈りと共に動いていくこと

マインドで正しいから行うのではなく、その意識をどれだけ深められるかどうか。それがマスターマインド。
ようやくシャーマニズムの世界の入口に立ったような感じがする。

37.5日目 熱が出て、休止

2023年1月24日夜から、熱が出て寝ていた。なんか熱にうなされながら、いろいろとぐるぐると駆け巡っていた気がするけど、熱が出てる時の思考なので、思考も浄化されてる途中だと思うので、特に覚えてないが、大したことではないと思う。

37.5日目 量子瞑想 の気づき

2023年1月27日
先日のなおみちゃん、ラクシュミさんの対談動画見たところ、量子瞑想で引っ掛かっていた部分が一つ解消できたと感じた。

割体をして、意識をぐーっと広げていく(広がっていく)、そこに何も意味を乗せようとしない。ただ広がっていくことにまかせる=空
今まで、このぐーっと広がっていく部分が全く足りてなかった

空=無ではないが、なおみちゃんが空のことを無と自然と読み替えていたので、あ、無のことか、と、なんとなく分かった気がした。でも、何もないわけではなく全てが畳み込まれているから、何も無いけれど、全てがあるという状態が空なので、無とは違うと思うけど、一般には「無になる」とか用語があるし、なんとなく理解できた気がした。
空は、般若心経にかかれている、色即是空、空即是色 の空のことかと思う。

センターに、量子瞑想の理解の進展を報告したところ、子どもはそんな小難しい事考えないですよね。できてれば良いんですという回答をもらった。とてもシンプルな回答だった。

できているか、できてないか。上手にやれているか、やれてないかを気にしすぎているということなのだろうな。

37.5日目 元・彼女 再び

2023年1月28日。風邪の治りかけにつき、摂取休止は継続中。

昨日は、少し仕事の関係で元・彼女と会う機会があった。2年半ぶりくらいだろうか。人が集まるイベントだったので、ほとんど話す機会はなかったのだが、帰り際に少しだけ二人になる時間があり、昔の自分の未熟さと至らなさで、いろいろと不愉快な思いをさせてしまって申し訳なかったとお伝えし、彼女の方も、私も悪かったので、ごめんなさいということで、2年半ぶりくらいの和解となった。
心の中では彼女へのわだかまりは解けていたものの、こうして直接会って、和解ができたことは、心のシコリが取れたようで、とても気持ちの良い日となった。

38日目

2023年1月29日 今日は休日。マイクロ、半量摂取して1日を過ごす。

38日目 心の平和による見過ごし

心が凪いでいると、以前に書いたが、今もあまり変わりがない。日々の困りごとはもちろんあるが、それに右往左往しない。
ただ、ようやく気がつけたのだが、違和感を見過ごしてきたことに気がついた。私の○○であるべきという価値観に反応して出てくる、怒りや悲しみや苛立ちはかなり小さくなったので、ほとんど問題に感じていなかった。
○○であるべきに、反応して出てくる。これは違うとかこれはおかしいという考えが、湧いてきていたのを、イヤな感情が伴わないからスルーできてしまっていたのだが、このスルーする行為に問題があることに、今更ながら気がついた。
凝り固まった価値観が、顔を出しているということは、満たされていない自分が、反応して、ぴょこぴょこと顔を出そうとしているのに、全スルーして、自分を無視してしまっていることに気がついた。
もっと丁寧に、自分の状態をみようと感じた。

全ての価値観が崩壊しているわけではないけれど、イボガの精霊によるミラーニューロンの修復は、自分がこだわっている小さな価値観も溶かしていってしまうように感じた。まだ残っている大きなものは、また、暴露療法しながら向き合う必要があるのだと思うが、こんなことにこだわらなくて良いのに・・・・という形で、小さくなっている気がする。
ありがたいことだ。

39日目

2023年1月30日。昨晩、半量で摂取。

39日目 夢

初めて見る夢だった。
古い資料館の各お部屋を一つずつ会議をしながらここは開けて良しと話をして、各部屋を解放するパズルを解きながら、一つずつのお部屋を解放していった。最後に残った部屋は2階の奥にある和室(部屋の中を見てないのに和室だと思っている)。この部屋の封印はどうしても解いちゃいけないという意識があり、長々と会議をして、よし!封印を解こう!と決めたところで、ぱっと目が覚めた。
結構長く寝た気がしたが、時計を見ると午前3時11分。摂取4時間30分後のほぼピークタイムだった。
自分の封印していた何を解くことにしていたのか分からないし、これまでより大きな暴露が始まるのかもしれないが、イボガの旅の終わりの始まりを予感させる夢だった。

起きた時は何を解くことにしてのか分からなかったのだが、ふと振り返ってみると、寝る直前になおみちゃん(なおみちゃんと気安く言っているが、会ったことはない)のブログをチラ見していたところ

「ただ、ここで私が感じていたのは「自分を制限している」という感覚です。突き抜けてブッチぎっちゃう自分が怖い・・・
自分の中にある強くて大きなエネルギーに気付いていながら、目立たないように縮こまっているのです。
どこまで本当の私で生きられるか。100%の力を全身全霊で発揮できるか。
私の勇気が試されているのです。」

という部分に、引っ掛かっていたのを思い出したので、これかな。恐怖からではなく、愛から生きるステージに変化・変容していく場面なのかなと感じた。

39日目 寝起きに感じたこと

上の1時間後くらいに、ふと目が覚めた。
夜闇の真っ暗で静かな空間の中で、両親のことが癒されたこと、元・彼女を許せたことを始めとして、いろいろなことが「終わった」のだとを唐突に感じた。もうそんなことが本当に過去にあったのか?と感じるくらい遠い遠い昔の小さな過去のことになったような感じが湧いてきた。
過去のことは全て終わっていたことだった。もう無かったことだったのだ。
怒りも悔しさも悲しみも、何も原因となる出来事は存在してなかったのだ。
と心が書き換わった。
何も起きてない静寂、何も起きてない平安。
この世界の全ての出来事は赦された。赦されていた。
この世界は美しい。
という感覚が、心の深い部分から浮かび上がってきた。
涙を流すわけでもなく、ただ美しい感覚が湧いてきた。
あー、これがグランディングしたということかと感じた。
イボガのミラーニューロン革命は静かに着実に意識するしないに関わらず、心を書き換えてくれている。感謝。

39日目 飲食店にて

先日のことだが思い出したので書き記しておこうと思う。人とご飯を食べていた時に、店員さんの対応が雑なことに気に入らないと腹を立てている人が目の前に座っていた。決して高級店ではなく、いわゆる定食屋のおばちゃんなので、多少雑めではあるけれど、そういう普通の対応だった。
思い返せば、昔は自分も、呼び出すボタンが無ければ置いたらいいのにとか導線が良くないからもたついてるとか、みたいなことに目がいって、イライラしていたことを思い出した。
その定食屋のおばちゃんもそれで良いのだ。それが自然体なのだ。もっと効率的で愛想のよい対応はできるかもしれないけれど、今のおばちゃんにはそれが精一杯で、彼女も彼女の人生を精一杯生きているのだ。だから、良いのだ。と感じた。
雑にお茶を淹れられてテーブルにお茶がこぼれたならさっと布巾で拭けばいいのだ。追加のお茶を持ってきてくれなかったら、取りに行けばよいのだ。いちいち腹を立てる必要はないのだ。

例えば、政府の増税の連呼には眉をしかめる部分はあるし、実際に手取り額の減少には生活を脅かされる気配も感じるけれど、そこに自分のイライラをのせる必要はないのだと思えてくる。イボガのミラーニューロンは、日常の自分に関わりの少ない小さなイライラは確実に減ってくる。
先日の飲食店の出来事は、何故、それくらいで目くじらを立てるんだろう?と不思議に思うと共に、かつて同じように感じていた自分が変容したことを感じる一幕であった。

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