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自然と歴史と文化とお酒

以前に書いた「思考のため」のお酒というブログをの続きです。

今回はお酒というものを通じて、自然、文化、歴史というものを考えてみます。

自然とはwikipediaによると

①人為が加わっていない、ありのままの状態、現象。
②①の意味より、山、海など。人工物の少ない環境。自然環境。
③人災に対置した天災、あるいは人工造成物に対置した天然造成物を考えた
 場合の、それらを引き起こす主体。
④意識(意図)しない行動。
⑤不思議さ、不可解さを含むと思われる可能性がない事。

今回は、物事やある刺激に対して疑う事なく、心地よく順応し慣れてしまった状態を自然として考えるとする。
その自然には、植物や自生する生物から、技術、風習、呪術、習慣などが含まれる。

文化とはその複数の自然観が複雑に絡み合ったものである、

さて日本酒の歴史です。
歴史の全体像はこんか感じです。

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人によって何が好きか、どんなものをこれぞ日本酒と思うかは人それぞれだけれども、私はこれが好き とか、●●派 と言っていたり、飲んだり、をしている間に、自分の中でこれを飲むのが当たり前のようになっていきます。
品評会でも賞を取るような最近流行りの水のように綺麗で、フルーティで、ジューシーな日本酒をこれぞ日本酒と思う人がいるだろうし、

米のみの混ぜ物無しで作られた純米酒のようなものを日本酒と考える人もいる。この本を読めば日本酒とはこういうものかと思う人いるだろう


一方、戦中戦後、米が不足する中で、三倍増酒を日本酒と呼ぶ人もいるだろう。
日本酒の昔の作り方でなく、機械的工業的資本主義的なお酒が作られていた時代だけれでも、それでも飲めないよりは飲めた方がいいし、日本酒というものが逆風に合いながらも経済的に過酷な状況下で存続し続けるために、市中の人々が日本酒を忘れないためにも大変意義はあったのでは無いだろうか。
武士道が戦後薄まり、目指せ欧米化と経済成長と言いながら人々が変わり続ける中で、安心するためには変わらずに大事なものを自分の中には核として残しておきたいと考えるだろうし、過去の日本とのつながり、家族との繋がり、コミュニティのつながりを維持するために一定の貢献をしてきたであろう。

実は江戸時代にも薄められて飲まれていた時代がある。人口は今の2割程度であっても、製造能力や技術は現代と比較すれば圧倒的に幼かった時代、10年に1、2度は大きな天災も訪れる、飢饉も訪れる。そんな中で、皆がお酒を飲むためには、薄める必要があった。
(もちろんお金儲けのために卸が薄めていたのものある)

日本酒は基本的に辛いものだ という思い込みも実は史実を整理するとそんなことはない。

実は日本酒が辛くなったのは悪名の高い三角貿易に起因している。
三角貿易とはざっくりいうと以下のイメージです。アフリカから奴隷をカリブ海に連れて行き、過酷な砂糖のプランテーションで働かせることで、砂糖を大量に生産し、イギリスなど西洋の国々が砂糖を輸出し莫大な富を得ていた貿易です。

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これの恩恵を受けて日本でも砂糖が入手しやすくなり食事が甘くなったために、お酒は食事とのバランスを取るために辛いものが主流になったと言われております。

つまりそれ以前は日本酒は甘かった。

今から日本酒が作られ始めた奈良時代から500年以上前のおよそ700年間は日本酒甘かったのです。 辛い期間よりも甘い期間の方が長い。

もちろん地域によるし造り方にもよるのでミクロ的な視点で見れば色んな酒の味はあったのかもしれないが、マクロ的に見れば大体こんな感じかと。

歴史を軸にとって考えると、日本酒というものは外的な影響を受けずに日本の中のみの影響や文化の醸成により技術の向上や味の変化が起きてきたわけではなく、外的な影響を多分に受けてきたのである。

まあ言われたら当たり前だよね っと思ったりもするが、言われないと文化は変わるものだと中々気がつかない。

なぜなら自分はある環システムの中にいてその中で経済、伝統的なもの、思想、科学に囲まれ、ある認知できる範囲内で思考して認識して生きている。

「当たり前にあるものを、実は当たり前のものでは無い」と考えるのは脳の特性的にかなり負荷がかかる。
脳は楽をしようとするので、当たり前に囲まれる中で低負荷で快適に過ごすことを好む。

コミュニティ内で効率過ごすために非常に効率が良い共有可能な文化や自然の中で過ごすことは心地よいし、暖かな気分にもなるし、安心できる。

一方で、VUCAで移り変わりが早い社会において、あるコミュニティ内で心地よくその一つの文化に染まり続けるて甘受するのはなんとなく危ないのでは無いかととも思う。だから過去を捨てて変わり続けるというのも根無草感を感じるように虚無感に苛まれる。

時代がどんなに変わっていっても伝統と言われ文化と言われ古くなってしまったものの中にも必ず含まれているのではないかと私は考える。

ある有名な料理家によると、文化や伝統は残す努力をしないと消えてしまう と言っている。

今まで残ってきた過去の履歴や文化、自然にはきっと祖先がそれらから何かを感じとり残さなければいけないと使命感を抱き、変わり続ける世の中と迎合し、抵抗し、融合し続けてきた結果が残されているのだろう。

と、まあ お酒の史実から深掘りすると、表層的な味を楽しむだけでなく、
考えるためのツールになる。

今回をお酒をテーマにしたが、これをあなたが興味を持ち探究するものに置き換えると、それ自体が考えるツールにもなるのかもしれない。

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