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甘さと人類(雑記2 狩猟採集時代)

狩猟採集時代の人類と甘さとの出会いは今ほど甘くない野生の果物や蜂蜜だった。勝手な思い込みにより狩猟採集時代の人々は今ほどの道徳の発展はなかったので魅惑の甘さを求めて人が争って紛争などが起こっていたのでは無いかと筆者は妄想してしまった事が昔にあるが、色々と文献を読む限りでその妄想は外れていることに気が付いた。

農業が起こる約1万年前は狩猟採集が基本であったのでそこにあったものをとって食べるという具合だ。育てないのであればすぐ無くなり生活が成立しないように思えるが、狩猟採集時代の人口と自然とのバランスの均衡が取れていた。寒冷化すれば作物は大幅に減り人口は激減する。温暖な時期であれば人口は増える。残酷だが厳しい自然と対峙しながら人類は生きていた。
ちなみに縄文時代の日本の人口密度 約1人/1km2程度で現代は約330人/km2なので当時と比較してどれだの人が狭い空間に押し込まれているのか想像するのに難しくないが、これくらいの人口密度であっても狩猟採集時代は自然から恩恵を得られる量そのものが人口に左右していたのである。

 人口密度だけど食糧に対する課題を解決していたかというとそうとは言えない。この時代にはシェアリングが当たり前だった。この時代の人類の感覚は現代と真逆だったのだ。小集団で行動していて、誰かが狩猟で獲物を捉えたらそれを皆に振る舞う、果物を見つけたら皆で分け合う。明日のために確保しておこうという発想にはならなかったようだ。所有という概念がまだなかった時代である。所有という概念がないだけでなく、この時代は気前の良さが人から支持される要因であった。気前よく相手に振る舞うことで個人の尊厳が担保されるという実に面白くて興味深い仕組みである。


 でも一方的に狩猟採集に優れた人がいたとしてその人ばかりが獲物や食物を得ることが出来た場合社会に不均衡が生じる可能性があるのではないかと考える人もいるだろう。ここで文化人類学の贈与と負債の関連を結びつけると、実に面白い思想があった。 計算が奴隷を作ってしまうので、計算と記憶はしないようにするイヌイットの思想であったり、古代のゲルマン法にはギフトは毒の意味を持っていた。人類が限られた資源の中で公平に生き抜くために、対等な関係を築くための思考様式がそこには存在していた。古代の話に限定せずとも例えばイスラム教など喜捨は良いものとして道徳的な行動されている。気前よく人に与えることは義務であるとまで言われている。現代で言う寄付や投げ銭という行為だろうか。アラビア語のサダカという言葉は昔は正義を意味していたが、現代では喜捨の意味に変わったそうだ。イスラムに限らずともキリスト教圏では寄付の文化が根付いておりNPOなどはお金を集めやすかったりする。そんな時代だったので、人類は己の欲望を満たすよりも分け合い分かち合い、禁欲的でありつつも公平に皆が生きられるように強力しあっていた。

 食物に対する認知の仕方としては、当時「良い」か「悪い」くらいだったようだ。良いと言う状態は心が快い状態だ。甘いものを食べると元気になるし快楽を得られるからである。悪いと言うのは不快な状態であった。不快な状態は文化や地域性による。苦いものが嫌いな地域もあれば、酸っぱいものが嫌いな地域もある。食習慣に大きく左右されていたようだ。

 当時は人間の尊厳性の方が甘いものを食べるだとか欲望よりも優位にあったようで、人間の尊厳性を優先した結果として禁欲的な生活を送っていたのかもしれない。現代とは相容れない思考のように感じるし、現代だと人間の尊厳性に選択の自由も含まれていると思うが実は、それは西欧発端の個人から社会が形成される社会的思想の影響なのだろう。 一方で当時の狩猟採集時代の人類は小さい規模ながらの全体性を優先しつつ、全体性を優先した結果個人の尊厳が得られるという面白い社会的な仕組みである。

 当時の彼らの生活様式や思考様式について文献を読んだり、思考する中で当時の甘さとは何だったのか?という問いを思考した結果としては、甘さとは欲望であり踏み絵のようなものである。甘さという欲望を独り占めせずに一定の距離をおく事で人々は尊厳を維持してきたのではないかと考える。昔の人すげえ忍耐強いとかいうわけでなく、ただ単純に個人主義と社会学者のマックスウェーバーのいう欲望という鉄の檻から飛び出る思想が無かったのだろう。そう意味では、甘さに味をしめた現代においてダイエットする姿の方がよっぽどすごいように思える。現代とってが我慢することは不自然なのだから。

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