はじめに 椋本湧也さんが発起人となって制作されたエッセイ集 「26歳計画」をわたしの愛する書店「でこぼこ書店」でオーダーし、受け取った。 さきほど読み終えたほくほくの状態でnoteを綴ってみる。 4月で26歳になったわたしが、 ①26歳のわたしが振り返る「過去のわたし」 ②26歳のわたしが考える「未来のわたし」 について書いてみようと思います。 26歳のいま振り返る「過去のわたし」 これまで歩んできた26年間は、献身的な人間でいようと思い続けてきた気がします。
体操の隊形に開け! いち!に!さん! 大人になってからひさしく聞いてない謎命令と それに呼応するように叫ぶ数字 (どうやら地域によって違うらしい) 大きくなってなんかよく分からない、難しいっぽい言葉をとりあえず使ってみたくて ビジネスワードに憧れて カタカナばっかりで喋っていたら 漢字が書けなくなってきて 「打ち込むことが増えたからさ〜、予測変換に頼っちゃってさ〜」と 人間が作った文明の利器のせいにするのだけはうまくなりました 小学生のころ使っていた言葉をふと思い出す
いつまで経っても、駅構内で上手く歩けない。 今日もサラリーマンと「あなたどっち行く?あ、こっち進むのね、おっけー!なら私はこっちを通らせてもらうわ!」って心理戦、何回したかなあ… ばっちり動線が決まっている体育大の集団行動より難儀な技な気がする。 通勤の人、お土産買う人、旅に行く人、旅に来た人。 人の数だけここにいる理由がある。 会社がフレックス制を導入し、東京駅の近くで思いの外早く仕事が終わった。 こっちで暮らし始めてから、何故か惹かれるものがある日本の首都の名を背負っ
最近マイブームのアーティスト「わがつま」さん。 わがつまさんの曲を聴きながら、天気のいい日に外を歩くのが楽しみになってる自分がいる。 なんかうまく言えないけど聴いてる時の自分は 「テレ東のほのぼのドラマの主人公」を疑似体験できてる感じ おうちの中が小洒落てて、所作がなんか可愛げのある丁寧さで、外を歩くときもこころなしか0.3ミリくらい浮いて見えて 何にもない平穏な日を、ただ生きていく光景を見るドラマ、あるじゃないですか、たまに そんな主人公の気分になります。 私の生活
この歌詞を知ったとき、ツーと涙が落ちた。 敢えて言葉を補うとすればおそらく 「きみが(この世界に)いないこと(に気づけているということ)は きみが(私の心の中に)いることだなあ」 という感じなのかなと勝手に思っている。 このたった19文字に救われる人は多いのではないだろうか 私もそのひとり。 私は時々、両親がいつかこの世からいなくなってしまうことを考えて泣いてしまうことがある。 オチのないその思考にこの歌詞がストレートに刺さる。 そっか、いないと気づけたということは紛れ
好きな歌詞をメモってるから、その歌詞がなんで好きなのかっていうのをちゃんと向き合って考えてみようと思って歌詞の話をしてみます。 この歌詞、残酷と捉えるか優しさと捉えるかが、自分の精神状態によって変わってくるのは私だけなのでしょうか。 「続いていく 意味もなく」 無意味なものが永久的に続くって、この世の中で「時」という概念しかないような気がしている。 ライブのアンコールのアウトロに差し掛かったとき 私は「早いな〜、もっと続いて欲しい」と思う。 嫌なクレーマーに出くわしたと
一瞬で過ぎ去った月だった4月。 何をしただろうと写真を見返してみると、中旬以降は休みの日をほとんど転職活動作業に使っていたみたい 転職活動が本格化するにつれて、心情に矛盾が起こっていった。 明るい未来を目指して選考を進めているのに 「いざ本当にここに決まったら、未知の職種すぎて怖いなー」 とか 「慣れてる仕事を手離してまでこの仕事に本当に就くべきなのか?」 とか 実は一個、一か八かでかなり遠方に転居を伴う企業の選考が進んでいるので 「引っ越して、知り合いもいない地で、後悔し
とてもとても自分自身のことを考えた月。 時にひとりになって自分と向き合って、時に他者からの意見を聞いた。 あとは今日(3/31)、同級生の退職しました!新天地で頑張ります!ストーリーを見てより一層考え事をしながらこの月記を打っている 京都へ赴き、五感を使った ひとりになると脳はよく動く。 考え続けることしかできなかった 考えたり、如来に問うてみたり見つめあったりした 更に今月は、自分の考えを言語化して相手に伝えてみた それを受け取ってくれる人がいることをとてつもなくありが
ふと思い立って、月記を書き始めてみることにした! 日記は続いた試しがないけど、一年に12回だけでいいからこれならいける気がしてる (二月から始める感じに自分の悪いところ出てる) 友人にたくさん会った月でした 大学 高校 バイト先。 振り返ると自分には色んなプラットフォームがあって その中で友人と呼ぶ人に出会って ああでもないこうでもないと美味しいご飯と共に語り合って。 対人コミュニケーションは自分の中で 「自分ってこういうときこういう考えや立ち振る舞いをするんだ」 と自分自
思い立ってnoteを始めてみた 先月、これからの自分についてひとりで考えたくて京都に旅行へ行ってきて その時にやっとで気づいた「考え事が多すぎる」件について 言わば「思考の回転寿司」 次々に話題が流れてきて、流れてきたやつ全部取っちゃう そして食べて「あ〜美味しかった!」で終わり おかわりしない 次へ次へとにかく見たもの触ったもの匂ったものを全部自分の脳に入れ込んで、考えて、ハイ次!みたいな 回転寿司というかわんこそばなのかな 自分の脳内がツイッターだったら、濁流TLに