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26歳計画

はじめに

椋本湧也さんが発起人となって制作されたエッセイ集
「26歳計画」をわたしの愛する書店「でこぼこ書店」でオーダーし、受け取った。
さきほど読み終えたほくほくの状態でnoteを綴ってみる。

《「26歳」をタイトルにした文章を自由に書いてください。書き終えたら、あなたがいちばん魅力的だと思う26歳の知り合いにこの企画をつないでくださいー》

「26歳計画」より

4月で26歳になったわたしが、
①26歳のわたしが振り返る「過去のわたし」
②26歳のわたしが考える「未来のわたし」
について書いてみようと思います。

26歳のいま振り返る「過去のわたし」

これまで歩んできた26年間は、献身的な人間でいようと思い続けてきた気がします。

字が読めるようになった2歳のわたしは
早々に読めるようになってしまった驚きを両親から受けつつ、妹に絵本を読み聞かせることに能力を行使していたと言いいます。

小学生では、いじめられていた、気がする
「自分がこれはいじめだと思ったらいじめです」
というよくある定義に則ると、いじめられていました
ここで初めてカミングアウトします

小学5年生のわたしは、年齢の割には誰とでもうまく付き合っているっぽく見せるのがまあまあ上手な子に育っていました。
いつメンはわたし含め4人いて、友達に喜んで欲しくて笑わせようと必死になっていたら、いつの間にかいじりが過激になってきて、3:1みたいな構図になっていました。
でもそれを誰にも気づかれないように、楽しそうな顔をしていました。
クラスの雰囲気がわたしの負の感情のせいで壊れるかもしれない、と思うとそっちの方が怖いのです。

それから休み時間が苦痛で仕方なくなって、でもハブられるのも怖くて
「コーラスアンサンブルコンテストのピアノ伴奏を引き受ける」という行動に出ました。
練習は昼休みに行うので、昼休みにいつメンと一緒にいなくてもいい正当な理由を作りました。
コンテストの結果は銅賞だったけど、コーラスアンサンブルが素敵に聴こえるために、自分なりに色々工夫を凝らしてみたりして、逃れるために引き受けた割にはそれ以上に充実感がありました。

その伴奏を引き受けたことで、「夏子さんはピアノが弾ける子」という印象がつきました。
音楽の先生から「この曲の伴奏をお願いできる?」とオファーが立て続けに来ました。
わたしは、ピアノはみんなが出来ることではないから、という使命感で毎回「はい!」と即答していました。
クラス合唱、学年合唱ともに元日を返上して一日5時間練習に費やした日もありました。
「CD音源だとリズムを取るのが難しいから、なるべく早く合わせられるように」と、歌うみんなの気持ちが最優先で練習を重ねます。
これは中学まで続き、伴奏を経験した曲は20曲くらいに及んだと思います。

高校と大学では
「なんとなく話をうんうんと聞いてくれる子」
というキャラになっていたと思います。
サンドバッグというとすごくトゲのある感じになってしまいますが、「愚痴を聞いてくれて、秘密を守ってくれる子枠」でした
わたしを信頼してくれて、なんでも話してくれる、というのは嬉しいことでしたが、クラス内、バイト先、いろんな場所で板挟みになっていて、思えばとても辛かったです。
なにが一番辛かったかと言うと「自分の板挟み状態を打ち明けられる人がいない」ということでした。
秘密だよ、という程でいろんな人の愚痴を聞いていたので
それを別の人に放出することが出来なかったのです。
愚痴なんてマイナスなひどい言葉ばかりですから
自分が言われてるわけでもないのに、聞くのにもカロリーを使うんですよね。
そして愚痴を間に受けすぎてしまい
「あの子って本当はそんな人だったんだ」
と思ってしまうわたしもあまりにも醜かったです。

そして現在
26歳社会人4年目のわたしは
具体的には伏せますが、「人自体を支える仕事」をしています。

人との関わりはもううんざりで仕方なかったです。
でも「献身的」でいなければわたしじゃないという、ある種の執念でここまで生きてきました。

過去のわたしを振り返ってきましたが「献身的」という言葉で表すのは間違っている言動も多々あります。
でも、それぞれの時代のわたしがわたしなりに考え抜いた「献身的」の形なのです。

だから過去の自分を否定したくはないです。
でも、今の自分が過去の自分に声をかけるなら
「自分に献身的になってみたら?」と言いたい。
そして思い切り抱きしめて、頭をなでてあげたいです。

26歳になって、ようやくそう思えるようになりました。


26歳のいま考える「これからのわたし」

実家から離れて8年が経ちます。
8年過ごして最近
「こっちでの暮らしは意外と肌に合っているかも」
ということに気づきました。

都会というのは良くも悪くもみんな他人に興味がないんですね。
それがわたしが割と生きやすい、と思う理由なんだと思います。
やりたことをやってみよう、と思い立って実際行動に移しやすい環境が整っているし
人口の分母が多いので、波長がピタッと合う人に出会う確率も上がる気がしています。

まだまだやりたいことがあります。
人生が一回じゃ足りないかも。
もっと人の目を気にしないで、思い切って飛び込んでみよう
新しい世界に、自分で自分を連れて行こう、
そんな気合いで溢れています。
26歳。
なんとなく社会の仕組みがわかってきて
お金の貯め方もわかってきて。
そんな時期だからこそ、今が一番なにかに取り組むのに最適な年齢かもしれない

足るを知る、という言葉もあるけど
その言葉は食べすぎた日の食事のときにだけ使おうと思います。

好奇心を大切に、まだまだこれからという志で
変化を楽しむ人間になりたいです。

自分の人生を愛するために。


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