複数人で1つの家に住むということ

海外でシェアハウスをすると、異文化のせいで理解できないことがあったり、ストレスを感じることがあったりする、とよく言われる。

でも本当に「異文化」のせいなのか、と考えるようになった。正直、国籍関係なく、今までの20〜30年違った家で、違った生活をしてきた6人が一緒に住むと、ストレスや衝突があるのが当たり前なんだろうな、と。

もちろん異文化も感じた。食器を洗うとき、イギリス人は洗剤をつけたまま水で流さず、食器置きに置いてそのまま乾燥させるとか。体重の単位は、kgではなくstoneという単位で「石11.4個分の体重だ!」とか。食べている料理だって、豆やパンが主流で、麺好きの私とは違うものを食べてるなとか。いつもその違いが面白いなと思う。

でもシェアハウスをするとよく生じる問題が、
「ノイズ」と「掃除」問題だと思う。

私は地下の部屋に住んでいるため、壁は厚くそこまで騒音は気にならない。しかし、安めの集団住宅地に住んでいるため、3階の屋根裏部屋に住んでいる人たちは、隣の隣の家の人が爆音で音楽を聴いてると地響きするレベルで眠れない日々が続いている。また、上階の部屋の人が彼女と〇〇している音が全部聞こえるとか、電話している声がでかすぎて自分への愚痴がまる聞こえとか、そういうことへのストレスは溜まっていく毎日。

掃除に関しては、共同のキッチンが汚すぎるとか、ゴミ袋を新しいものに変えないとか、食べた食器をそのまま数日間放置とか。日本で家族と住んでいても口論になる点で、こういう点がある程度のストレスになっているのも事実。

ある日、口論が起きた。誰かが冷蔵庫を少し開けたままにして、冷凍の氷の部分が溶けて、キッチンの床一面水だらけになっていた。しかし、発端はもっと前からで、「◯◯は、キッチンを汚く使う」とか「なんでゴミ袋を外のゴミ捨て場に持っていかないの!」という日々のストレスが溜まっていた上で、仕事終わりに床を掃除しなければならないイライラが募り、グループチャットで少しきつめに「もう、これからはこんなこと絶対すんなよ!マジでありえない」と言った人がいた。前にもこういうやり取りが何度かあって、これを機に派閥ができてしまい、みんながとても仲がいいとは言える雰囲気ではなくなった。

ただここから、一つ学んだことがある。自分流の生活の流れや基準があってもそれを完全に他人に強要できないし、みんなが同じ基準を持っている訳ではないということ。

私も、どうやったらこんなに汚いキッチンで過ごせるん!とか、使った食器を置いたままにせんといてよ。。とかイライラすることは何度もあった。でもその常識は私の常識で、彼らは違う常識をそれぞれ持っている。私が「綺麗にして!」と言ったからと言って、すぐ他人の行動が変わる訳でもないし、そもそもお互い違うというところを尊重する気持ちを持った上で意見を言い合って、妥協しあって過ごしていく必要があるということ。

ただ、誰かと一緒に住むということは一人で住むより家賃が安いし、共同ではあるが広いキッチンやリビングが使えるというメリットもある。親密な仲になれば、将来の話をしたり、家族みたいな関係が築けて、これからもずっと繋がっていたいと思える出会いもある。何より、異国の地で住む中で、家に帰ってきたら「誰かがいる」という安心感は偉大だと思う。

海外で経験する問題をただ「異文化」のせいだと考えてしまうと、少し軽薄というか、個人個人の違いがあるから生じるものなんじゃないかなと心から実感したので、文章に残してみた。

特にこんな時期だからこそ、家で一緒にいる時間が増えてイライラが募ってしまうこともある。でも、それをそもままダイレクトに相手に伝える前に、まず一呼吸置いてそのイライラを頭の片隅に置く。「まず、穏やかになろう」と心がけて、冷静に相手と話すことを意識することが大事なのかな、と。

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