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▼読書感想文▼たゆたえども沈まず

『たゆたえども沈まず』
原田マハ

あらすじ

誰も知らない、ゴッホの真実。天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正。二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者によるアート小説の最高傑作、誕生!2018年 本屋大賞ノミネート!

幻冬舎作品紹介より

読書感想文

この本が刊行されたとき、ちょうど私は病気が見つかり入院手術を受けたばかりでした。
そしてそんなタイミングで、美術館で「ゴッホ展」が開催されていた。
「行きたい!けどこんな体の状態で、人混みの中、美術を鑑賞する自信がない」
ということで、見送った。見送ってしまった〜!!
今考えると、多少無理をしてでも行くべきであったと思います。この本を読み終えるとますますその気持ちは膨らみました。
でもゴッホの絵を直接見ることはできなかったけど、その代わりにこの「たゆたえども沈まず」を購入したという経緯があるのです。
もしかしたら美術館へ行っていたらそれで満足してしまって、この本を買わなかったかもしれない。
なので結果オーライということにしておこうと思う。

この「たゆたえども沈まず」が発行されたのは2017年。
いや〜、寝かせました。
一回も本を開いていないのに、裏表紙にはいつの間にか着いた何かのシミが・・・。
言い訳ではないのですが(ただの言い訳です)書店員はなんだかんだと読まなければならない本たちが沢山あるのですよ。
なので自分が読みたい本は後回しにされがちです。なので積読の山が増えていく一方なのです。

ということで熟成の域に達した本を手に取り、まずは表紙から味わう。
表はゴッホの絵、そして裏は・・・はて?なんか日本の浮世絵のようだぞ?
ん?ゴッホと浮世絵に何か繋がりあるのか?

結果、ゴッホさん、めちゃくちゃ浮世絵に影響受けてました。
ゴッホの絵の背景に浮世絵が描かれているということはうっすら知っておりましたが、まさか印象派と言われる画家たちの多くにジャポニスムというものが浸透していたなんて!
そして林忠正という人の存在もこの本で初めて知りました。

『パリ・イリュストレ』日本特集号 林忠正編



作中にはゴッホ(フィンセント)の絵が何枚か描写されていて、その絵を検索しながら読み進めるのも楽しかったです。

「タンギー爺さん」その1
「タンギー爺さん」その2


調べるとどうやらタンギー爺さんの絵は3枚描かれているようだけれど、作中では最初の1枚については言及がないので載せてません。

私には同じ人が書いたとは思えない。
2枚目の絵からは何か狂気じみた気迫と変な落ち着きのようなものが感じられます。
「私にはこれしか残されていない。これしかないのだ。」といった諦めのような孤独感のような。

「ゴーギャンの椅子」
「ファン・ゴッホの椅子」


この一対の椅子は向かい合っているようで背中合わせだったのだろう。それぞれの絵の方向性やゴッホの思うふたりの未来を描いているのかも。

「星月夜」


兄フィンセントを慕い支えつつも、純粋に自分の人生を生きることができないもどかしさに悩むテオ。
何もかもを捨てて画家になることを選んだが、世に認められない焦りと献身的に尽くしてくれる弟テオへの負い目に苛まれるフィンセント。
このゴッホ兄弟、素敵すぎるんだが。優しすぎるんだが。

フィンセントは少々自分に甘いところもあって
結構(かなり?)クソ兄貴っぷりを発揮しちゃったりしますが、でもそういう部分があったからこそテオは自分を責めすぎなかったんじゃないかなーって思うし、フィンセントもそう振る舞うことで見捨てられた時の言い訳を作っていたような気がします。

「木の根と幹」遺作


フィンセントは自死を選んでしまいましたが、それはフィンセントにとっては思いやりの結果でありました。
なんて自分勝手な!と思ってしまいますが、その時のフィンセントはそうするしかなかったのだと思います。
「テオはきっと自分を見捨てない。どんな重荷になろうとも決して。」
また、テオの新しい家族を目の当たりにして、自分の居場所を見失ってしまったということもあるかもしれない。
それでも、もう少し頑張って生きていてくれたら。そうしたらあなたは世界中の人々から認められるような素晴らしい画家になったことを知ることができたのに。
本当に切なすぎる。
タイムマシーンがあったら、死を選ぶ前にフィンセントに助言しに行きたい。

そして衝撃的だったのはテオもフィンセントの死後半年ほどで病死してしまったこと。
兄の死を全て自分のせいだと思ってしまったのだろう。
そんなことないのに、あなたは最高の弟だったのに。
後半は涙がダダ漏れでした。

「もし」なんて考えたらダメなのかもしれない。
もしフィンセントの絵がもっと早く売れていたら。
もしテオが自信を持って兄の絵を認めていたら。
でもそうしたら今のゴッホの絵は生まれていないのかもしれない。
狂気の中に優しさと寂しさを感じる唯一無二のゴッホの絵。
それはフィンセントの生き方も伴って私たちに強烈なインパクトを残す。
画家が亡くなった後も作品はずっとずっと生き続ける。
そしてこの物語もこの先ずっと私の心の中でたゆたえども沈まず生きて行くだろう。

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