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「日本人対外国人の枠を作ってる場合じゃない」あるネパール人が、唐津市で8年、農業をする理由

「外国人が日本で農業を始めるのは、簡単ではありませんでした。最初は信用がなかったから」

ネパール出身のラマカンチャさんはそう言った。彼は、日本の農業のありかたに一石を投じる人物。「日本の農業は日本人が牽引しなければ」という思い込みを払拭してくれる。

2007年に来日したラマカンチャさんは、三重県の大学で経営学を学び、現在は佐賀県唐津市で農業をしている。

先日、『農業の現場から考える地域社会』というオンラインセミナーに参加した。そのセミナーでラマカンチャさんから、農業を経営するまでの経緯、現在の取り組み、将来の夢などを伺ったので、シェアしようと思う。

ラマカンチャさんは経営を学んだが、日本での仕事として農業を選んだ。経営の勉強をしたのになぜ農業?と私は思った。

ラマカンチャさんが農業を選んだ理由は、日本に住み始めたころのある出来事がきっかけだったという。

日本のスーパーで初めて野菜の値段を見たとき衝撃を受けた、というラマカンチャさん。野菜の値段がネパールの10倍もする。なぜ、日本とネパールでこんなに値段が違うんだろう?

その素朴な問いは、ラマカンチャさんの心を農業に向けさせた。

ネパールでは自給自足農業が主流のため、若者は農業では生計を立てられない。そのため、農村の若者は海外に出ていき、農村の高齢化は深刻な問題。

その事実をずっと気に留めていたラマカンチャさんは、あることを思い立つ。

自分が日本で先進的な農業を学び、それを日本から発信すれば、ネパールの若者が農業で生活していけるのではないか?そうすれば、ネパールの農業に明るい未来が開けるのでは? 

ヒマラヤ山脈に囲まれて育ったラマカンチャさんは、幼少から自然とともに生活し、自然から多くを学んだ。日本で農業をすれば、地域の人と一緒に日本の自然を学べるかもしれない。

そう思い、農業の地としてラマカンチャさんが選んだのは佐賀県唐津市。あまり寒くない土地で自然災害が少なく、農業に適していると思ったからだ。

現在は、雇用型農業経営に取り組むラマカンチャさん。

サッカーコートの3面分に相当する約2ヘクタール(20,000㎡)のハウスと、約8ヘクタール(80,000㎡)の露地栽培で、野菜・柑橘・フルーツトマトを作っている。有機肥料を使った8割減農薬栽培だ。

唐津市に移住した2013年を振り返り、ラマカンチャさんは言った。

「唐津で農業をしたいと言っても、周りの人に笑われました。お金も、土地も、機械もなかったから。『外国人には土地を貸せんばい!』と背を向けられましたね」

きっと「日本の農業は外国人には無理。日本人がやるべき」という地元の人たちの思い込みがあったんだろう。これまでそういった前例がないのだから、そう感じるのも分からなくはない。

しかし、それにもめげず、ラマカンチャさんは地域に溶け込もうと唐津弁を猛勉強。市内の農家を自転車で走り回り、農家の人たちと少しずつコミュニケーションをとっていった。

「まずは、地域の人たちに自分のことを知ってもらおうと思ったんです。農家の人出が足りないところに行って、農業を手伝わせてもらいました。ただ働きをして農業のことを勉強しました。情報収集ですね」

「そのほか、お祭りや道路掃除など地域のイベントには積極的に参加し、自分のことを知ってもらうようにしました」

そんな生活を続けて2年経ったころ。ようやく地域の農家から

「ラマちゃんになら土地貸してもよかよ」

と言ってもらえた。ラマカンチャさんは心から嬉しかったという。

ラマカンチャさんは【全国農業青年クラブ連絡協議会】(通称:4Hクラブ・・・Head, Hand, Heart, Health)という団体に所属している。

4Hクラブは、農協から独立した経営を目指す20代~30代の若い農業者が中心の組織。そこでラマカンチャさんは、初めての外国人メンバーとして活躍している。

就農6年目の今、ラマカンチャさんは日本の農業の厳しい面を実感している。農業をする若者が少なく、このままでは日本の農業は衰退してしまうという懸念。自分になにかできないだろうか?

「自然豊かな日本で農業が復活すれば、安くて安全な農作物が確保できるはずなのに、日本は外国からの輸入に頼ってばかり。輸入するのがあたりまえだと思っている。自給自足は、食生活を守ることにつながるのに

「このまま日本人がやらずに農業がすたれてしまえば、安全な食べ物が安定して手に入らなくなる」

4Hクラブの仲間と話したり、日本の農業の実態を調査したりして、ラマカンチャさんはある思いにたどり着く。

「それならば、私のような外国人が日本で農業をやればいいんじゃないのか、と。日本人 対 外国人じゃない。グローバル社会といわれているのに、どうしてそんな枠を作るんだろう。日本の農業の未来のために、人種を問わず、みんなで頭をひねって考えればいいんじゃないか」

そこで、ラマカンチャさんは3つの目標を掲げた。

1. 農場を法人化し外国の若者が自分の農場で働きながら学べる環境を作る
2. 外国人を日本の農業のプロとして育成する仕組みを作る
3. 日本で外国人農業経営者のパイオニアになる

これらの目標を実現するため、ラマカンチャさんは1年間、ビニールハウス建設会社で無料奉仕をした。ビニールハウス建設のノウハウを学ぶためだ。

そのように習得した知識をもとに、ラマカンチャさんは、近隣3県でビニールハウス建設から農作物の収穫までをプロデュースし、教えている。また、自分の農場ではネパールの若者を雇用している。

「農業には夢があります!」

そう言いながら、爽やかな笑顔を見せるラマカンチャさん。彼の努力する姿と行動力は「日本の農業は外国人には無理」という地元の人たちの思い込みをくつがえした。ラマカンチャさんは、今では日本の農業界になくてはならない存在だ。

世界の若者に、農業の魅力をどんどん伝えていきたい、発信していきたいというラマカンチャさん。彼の思いは周りの人たちを巻き込み、やがて大きなうねりとなっていく。







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