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昭和60年代から平成ヒトケタの恋愛事情 ~きわめてパーソナルな事例~

イマドキの若いひとたち---この呼びかたはあまり好きではないが---から見たら、40代後半の世代が若かりしころの恋愛事情は、古めかしくうつるのかしら。それとも新鮮にうつるのかしら。

昭和60年代から平成ヒトケタのころ、ワタシは絶賛恋愛中だった。

もちろん、今みたいにスマホやLINEなどのない時代。直接会えないときには、固定電話か公衆電話を使って連絡をとっていた。

平成ヒトケタの時代に携帯電話(あのころは“しゃもじ”くらいの大きさだった)を持っている人は珍しく、会社で支給されるポケベルが主流だった。

そんな時代の恋愛をふりかえると、切なくて甘酸っぱい感情がよみがえる。

恋人同士のすれ違いや行き違いが多くあった。今みたいにスマホを使って、いつでもどこにいても連絡をとるなんてできなかったから。

【Episode 1】

高校生のころ、彼の自宅に電話をするまえ、必ず1人であいさつの練習を何回かした。彼の家族が受話器をとるかもしれないから。

相手からは見えないというのに、几帳面に電話の前で正座をして、ドキドキしながら電話のダイヤルを回す(←ダイヤル式黒電話)。お母さんが出たらどうしよう・・・と緊張の面持ちで。

自宅に彼から電話がかかってくる夜は、電話に1番近い場所をキープしたものだ。家にかかってくる電話をすべてとるために。彼からの電話を親にとりついでもらうのは恥ずかしかった。

でも、彼からの電話をワンコールでとると、電話を待ちわびていたことを彼に見透かされてしまう。

そのことがイヤで(素直じゃない)、4、5回鳴るのを待ってから受話器をとったものだ。

彼との電話を家族に聞かれたくなかった。リビングにおいてある電話のコードを思いっきりのばして(コードレス電話ではなかった)、廊下でモソモソと長電話をした。

足元がひんやりとした廊下の薄明り、懐かしいな。

そんな可愛い時代もあった。

【Episode 2】

デートの待ち合わせ場所に彼が現れず、3時間もベンチに座ってひたすら待ち続けたことがある。付き合いたてのまだ初々しいころだ。

固定電話しかない時代だから、いったん外出してしまうと、お互いに連絡をとることが難しかった。

彼が今からでかけようと思ったとき、彼に急用が入ってしまった。デートの待ち合わせ時間に大幅に遅れそう、と判断した彼。

ワタシにそのことを知らせようと、ワタシの自宅に電話をしたらしい。ところがワタシはすでに家を出たあとで、家族もあいにく全員留守。だれも電話に出なかったため、メッセージを伝えられなかった。

なかなか現れない彼を待っていたワタシは、彼の身に何か悪いことが起きたのではないか、と気が気ではなかった。

3時間遅れて彼が現れたときには、ホッとして、「良かった、無事に来てくれて・・・」と涙ぐんでしまった。

そんなピュアな時代もあった。

【Episode 3】

彼とケンカをしてしまい、デートの途中で帰ってきたあと、

「ごめんね、ワタシが悪かったね。言いすぎちゃった」とか

「今回は特別に許してあげる。その代わり、美味しいケーキをごちそうしてね」

なんて、今みたいにLINEがあれば素直に伝えられたかもしれない。“ごめんね”の可愛いスタンプをつけて。

でも、固定電話しかなかったあのころは、なかなか素直になれなかった。

電話をかけて謝ろうと思っても、ダイヤルを回す(←ダイヤル式黒電話)のに時間がかかるから、「ごめん」と思ったときにすぐに「ごめん」と謝れなかった。

10ケタの番号のダイヤルを回しているあいだに、やっぱりワタシは悪くないとか、先に謝るのは向こうでしょとか、グルグル考えて、途中でダイヤルを回すのをやめてしまった。

そのあとは、彼からの“ごめんね”の電話を期待して、鳴らない電話をずっと見つめていた。

“どうか鳴って、お願い”と念じながら。

そんなほろ苦い時代もあった。

【Episode 4】

社会人になり1人暮らしをしていたころの彼とは、東京・大阪の遠距離恋愛だった。

月に1回ずつ週末を利用して、お互い順番に行き来していた。新幹線を使って。

ビデオ通話なんていう優れモノはないから、遠距離恋愛でお互いの顔を見たいと思ったら、実際に会うしかなかった。

遠距離恋愛の主なコミュニケーションは電話。でも、電話代が高くなりすぎると新幹線代を工面できなくなる。

お互いの電話料金を抑えるために、電話の代わりに手紙を出しあった。

手紙は書くのも届くのも時間がかかる。そのぶん、自分の想いをゆっくりと綴れる、アナログで優しい空気をまとっているのが手紙だ。

「明日手紙出すね」と彼が電話で教えてくれると、次の日からポストをのぞくのが楽しみだった。

彼の筆跡を見ると安心したし、罫線からはみだした字で綴られるとりとめのない話が微笑ましかった。遠く離れているけど、彼の日常に触れているような気がして。

彼が選ぶ便箋や封筒に、へぇ、こんなセンスがあるんだ、と彼の意外な一面を発見するのも楽しかった。

時おり同封されている、“ワタシが好きそうだから選んでくれたシールや絵葉書”が、ちょっとしたサプライズで嬉しかった。

前月に会ったときの写真が現像されて手紙と一緒に入っていたときは、新しいフォトフレームを買って、電話の横にたてかけた。

そんな気取らないアナログなやりとりにシアワセを感じた。

実際に会えるのは月に1度。

1ヶ月ぶりのデートを終え、またお互いの住む地に帰るとき。

新幹線のホームで、まさに【シンデレラエクスプレス】の主人公だったなぁ、2人とも。

【シンデレラエクスプレス】・・・昭和62年にJR東海が展開したCMのキャッチフレーズ。遠距離恋愛のカップルが週末に会い、束の間の週末を過ごして帰る日曜夜の新幹線ホームで繰り広げられる恋のドラマを描いたCM。


新幹線のホームで、「楽しい時間はあっという間だね」なんて、涙をこらえながらやっとの思いで口に出して。

それ以上のことは言えなかった。涙がこぼれ落ちそうで。

お互い黙ったまま、また1ヶ月会えない辛さをかみしめた。

この先の1ヶ月は、また電話と手紙のやりとりのみ。留守電のときだってある。連絡がつかないと、どこで何をしているのか不安になる。

そんな1ヶ月がまたやってくる。

不安で、淋しくて、でも信じたくて。

今ふりかえっても、どこまでも甘酸っぱい思い出だ。

そんな切なすぎる時代もあった。

こんなふうに昭和60年代から平成ヒトケタの時代は、コミュニケーション手段が遅々としていて、恋愛では多くの行き違いやすれ違いのシーンがうまれた。

あのころにスマホやビデオ通話があれば、恋愛には、ちがう結末が用意されていたのかもしれない。

当時の恋愛は不便なことも多くて、不格好なカタチをしていたけど、あのアナログな手触りがハートフルだったなぁとしみじみ感じる。

ひとつのことにしみじみと想いを寄せるようになったワタシは、年齢を重ねるってこういうことなのね、なんて思ったりする。

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