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こころも身体も、帰ることができる場所。

母「あの子はどうですか?優しい子だとは思うんだけど...。どう?よくしゃべるでしょう。ウチでもずーっとしゃべってるんだから」
パートナー「あ、はい、優しいなぁっていうのは、それは思いますけど、そうですね、言われてみればずっとしゃべってますね」
母「そう、それでねぇ、ずーっとしゃべってるのにしゃべったことはすぐ忘れるから、また同じ話するし、人の話は聞かないから」
パートナー「あー、わかりますー。たしかにすぐ忘れるし、だいたいよく覚えてないみたい。そういえばこの前も...」


これは、先日はじめて顔合わせをした、ぼくの母とパートナーとの間で語られたこと。

これまでのぼくのことを1番知っている人と、
今のぼくのことを、1番知っている人。

突然はじまった答え合わせで、客観的なぼくが浮かび上がる。
ぼくはただそれを、ムズムズしながらとなりで聞いている。

「でもあの子、こういうところもあるのよ」
「えー、知らなかったー。見たことなかったです〜」
みたいなことは、なかった。
だから彼女たちの答え合わせはおたがい違和感なく、意外な発見もなく、滞りなく終わったのだろうと思う。

優しいけれど、
ずーっとしゃべっていて、
よく覚えていない。

これが、ぼくです。


もふー!
不本意!!!笑


悔しいけれど、よくしゃべるし忘れっぽいのは事実なので、さすが近くにいるだけあってよくわかってくれていてるなぁと思った。

でもこういうことって、実際たくさんあると思う。

みんな、どこかで誰かに規定されながら生きている。


会社とか、友人関係とか。
その中の、序列とか立場とか。
あの人は頼りがいのあるリーダーだと誰かに思われている一方で、会社にすがっているだけの情けない上司だと思われているかもしれない。
すぐに怒る短気な人だと思う人がいる一方で、正義感の強い人だと思われているかもしれない。
そう規定した人が、的はずれなのかもしれない。
でもそれって、性格というよりは役割やキャラクターだったりする。
そうせざるを得ないとか、そうあるべきだとか。
やむを得ず演じる必要があることもあって、ぎゅうぎゅうのコミュニティのなかで、何とかそうやってバランスを取って。

ぼくもそう。
ふだんは寡黙であまり話すこともないけれど(、とみんなに規定されているかどうかは別として)、でも実際は、もっとくだけて話したい。
笑っていたいし、調子のいいことも言いたい。
それはぼくの演じざるを得ないキャラクターだから受け入れいてはいるけれど、ほんとうの自分はそうじゃないし、そうありたくもない。

その辺、器用な人もたくさんいる。
人の懐に飛びこむことが得意な人。
人たらし、なんて揶揄する人もいるけれど、それは素晴らしい才能で。
でももしかしたら、これだってぼくが勝手に規定したこと。
当の本人は、とてつもない努力で、または不本意ながら、それを演じているのかもしれない。

そう考えると自分の素の性格を素直に晒せる場面というのはほんとうに貴重で、もしかしたら、今ひとつ好きになれない職場のあの人にだって、すてきな素の性格があるのかもしれない。
演じざるを得なくて、苦悩を抱えているのかもしれない。

いろんなコミュニティで役割を担って、他人に規定されて。
そんな窮屈な毎日のなかで、こころも身体も、帰ることができる場所。

まだ家庭を持っていないぼくが言うのもおかしな話だけれども、きっとそれが家庭であって、家族であるのだろう。
そのなかでまた役割ができていくのだろうということも、きっとあるのだろうけれど。

立場や役割を超えた、素の自分をちゃんと理解してくれている。
受け入れて、愛してくれている人がいる。
そんな人たちの存在が、何と素晴らしくて貴重であるのだろうかということ。

ぼくのことをよく知っている初対面のふたりの会話から、ぼくはそんなことを感じましたよ、というお話でした。




<おわりに>
自分のことを語られるというのがこんなにもムズムズするものだとは、思っていませんでした。
本人のいないところで話してくれればいいのにと思いましたが、初対面の挨拶の場、そういうわけにもいかなかったわけで。
でも、自分を信頼してくれている人が話してくれる、自分のこと。
なにぃ~!と思うこともありますが、ありがたくてうれしいことでもあるのだな、と、ひそかに感謝しています。

ひとりじゃないんだな、と思えるしあわせ。
これからも、大切にしていきたいと思っています。

本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました。
よかったらまた、遊びに来てください。

ぼくもこれから、みなさんのところへお邪魔します。




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