Bouillon Tokyo—そのプロジェクトに物語を

Bouillon Tokyo—そのプロジェクトに物語を

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Bouillon Tokyoについて

Bouillon Tokyo(ブイヨン・トウキョウ)は、クリエイティブ・ディレクター/コピーライター片山淳(カタヤマ・アツシ)の個人事業主としての屋号です。 ブランドやプロジェクトの価値を最大限に引き出す、スープ・ベースのような仕事をめざしてつけた名前です。広告代理店でのクリエイティブ経験を活かし、市場や顧客の背景に基づくコンセプトベースで企画を考えます。 Bouillon Tokyoは、コミュニケーションにおける「物語性」を大切にします。それは単なる「エピソード」ではな

    • 『バービー』は、少しだけ自分の話でもあった(と思う)

      先日観てきた『バービー』、面白かった。最初この映画について耳にしたときは、単にアメリカンなザッツ・エンターテイメントかと思っていたのだけど、知人の方やソーシャルメディアでフォローしている人たちのコメントを聞いていて、だんだ気になってきたわけです。 ※配給会社によるソーシャルメディアでの件は承知していますが、映画自体とは切り離して語られるべき問題だと思ってます。 見始めてすぐに感じたのは、設定の巧妙さ。女性の可能性が花開いているバービーの世界から、「裂け目」を通ってたどり着い

      • Z世代について考えることは、自分たち(オヤジ含む)について考えることだと思う

        1974年生まれのライター稲田氏と1995年生まれのゆめめ氏、素直で真摯な良い対談記事。まだスーッと腹落ちしない部分もあるけれど、養分の多い言説だと思う。オジさん世代としては、切り抜かずじっくり読みかえそう。 で、本筋とはズレるけれど、僕的にとてもなるほどと思えたのが、ゆめめ氏の「Z世代は「体験」より「追体験」を求める」というコメント。実はこれ、多くの日本人も同じ根っこをもっているんじゃないかと思う。たとえば、ガイドブックで見た内容を確認するような旅行のあり方とか。 そし

        • 35年目の湖池屋スコーン——物語への対照概念としてのリズム

          YouTubeでCMが流れ始めて驚いた。なぜ今頃!?と思ったら、35年ぶりに「かつて佐藤雅彦氏が手がけ、1988年に公開された『スコーン スコーン 湖池屋スコーン♪』の歌メロでお馴染みの『社交ダンスCM』が復活した形だ」とのこと(アドタイから。リンクは下記に)。当時、佐藤雅彦氏が切り拓いた境地にやられたCMプランナーは多かったと思う(自分を含めて汗)。懐かしい。※記事のサムネイルはオリジナルのCMから。 でもこの投稿を書いているのは、単に懐かしさから、じゃないんですよ。最近

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          まなざしの包容力——岩崎俊一 幸福を見つめるコピー展

          「ジャムなのに、果実」にハッとさせられた駆け出しの頃からずっと、やさしくグサッと刺さる言葉に魅了され続けていた。「毎日ビールを飲んだ。それでも渇いていた」とか、どうしようもなく素敵だったなぁ。 誰もが言うように、その言葉の根底には人や社会への確固たるまなざしがあったのだろう。ただそこには、単なる暖かさだけでなく、諦観のような醒めた部分があったように感じる。人の限界を知っているからこそ、人を包みこむようなコピーが生まれてきたんじゃないかと思う。 まずは受けとめ、飲み込んで、

          まなざしの包容力——岩崎俊一 幸福を見つめるコピー展

          語られた言葉が語らなかったこと

          最近亡くなられたある方が書かれた言葉について考えていて、あらためて、はっとすることがあった。病を患われたことについてはソーシャルメディアなどでも述べられていたが、その口調は前向きで力をもっていて、そしてときには無邪気なおふざけもあり、状況の深刻さは捉えられていなかった。しかしもちろん、身近な方々は実際の状況をご存じだったはず。その点は1人の読者としての認識不足をどうぞお許しください。 僕には7年前、同級生のくせに先に旅立ってしまったコピーライターの友人がいる。今思うと、友人

          語られた言葉が語らなかったこと

          不安解消装置としての物語

          随分古いネタでごめんなさい、なのだけど、ふとNHKの新年特番「欲望の資本主義2021」※のなかでの英国の社会学者マイク・サヴィジ氏の言葉を思い出した。 人間は、自分がどこから来て、どこに向かっているのか知りたいものだ。 これは単なる無邪気な疑問ではなく、人間の根源に巣くっている強い欲求だとは思う。ときには人を、不安のなかに招き入れるような。 「物語」には、その答を提供する「装置」のような働きがある。人はそれに賛同すれば支持し、ときには熱狂的にもなる。しかし一方で、救いと

          「ナラティブ」をめぐる覚書〜その2

          前回の「その1」では、ナラティブという概念への視座には、文学理論てのもありまっせ、みたいなことを書いた。今回の「その2」は、それはそれとして、また別のとらえ方もありまんねん、みたいな話をしてみます。 ジェローム・ブルーナー(1915〜2016)は、認知心理学や教育心理学の分野でのレジェンド的な研究者だが、その論考「二つの思考様式(Two Modes of Thoughts)」(※1)は、広告研究の分野でも多く参照されている。 それは大まかに言うと、思考の様式は「科学的様式

          「ナラティブ」をめぐる覚書〜その2

          「ナラティブ」をめぐる覚書き〜その1

          本田哲也さんの著書『ナラティブカンパニー』では、「ナラティブ」という日本語話者がまだ比較的使いこなせていないであろう語句について、ビジネスの視点からの明解な説明が提示されている。その意味で、著者の述べる「物語的な共創構造」は、非常に的確な表現だと思う。 一方でこの言葉の本籍地である文学理論については、「余計な深みにハマりそう(笑)」であり「本書の趣旨とは異なる」として語られていない。このスタンスは絶対的に正しい。同著の主軸でも必要な情報でもなく、読者もそれを求めているわけで

          「ナラティブ」をめぐる覚書き〜その1

          パロディ広告という物語—"It's A Tide Ad"

          僕はパロディ広告が好きだ。もちろん面白いもの、ひとつも面白くないものと玉石混合ではあるが、どちらかというと「パロディ」という試み、あるいは仕組みが好きなのではないかと思う。 パロディ広告について考えるとき、どうしても外せないCMがある。2018年にアメリカでオンエアされた家庭用洗剤タイド(Tide)の「イッツ・ア・タイド・アド(It's A Tide Ad、以降「タイド・アド」)」である。 もともとこれは、同年のNFLスーパーボウル(Super Bowl)の中継番組用に制

          パロディ広告という物語—"It's A Tide Ad"

          カンヌライオンズ覚書き——仕組みのクリエイティブとして

          今年のカンヌライオンズの受賞作から、日本ではあまり取り上げられないかもしれないけれど、気になったものについて書いておきたい。 これは、Creative Strategy部門でシルバーを獲得したポルトガルの"Filled by Palsy"のビデオ。最初に動画に登場する車椅子の男性は、こう話し始める。 「あなたは、どうすれば私を助けることができるかと考えているでしょう。でも実際には、私があなたを助けているのです」 ポルトガルでは、税の申告時に還付金の0.5%をNGOに寄付

          カンヌライオンズ覚書き——仕組みのクリエイティブとして

          21世紀の開拓者たち——『ノマド』が語る物語

          「物語」とは、単に語られる出来事や人物像だけでなく、その世界を包みこむ構造だと、僕は考えている。そういう意味では「ストーリー(story)」よりも「ナラティブ(narrative)」に近い(この違いについては見方がいろいろとあるので、あらためて書きます)。 『ノマド 漂流する高齢労働者』を読んだ。映画『ノマドランド』の原案ともなったノンフィクションだけど、こちらも素晴らしかった。映画にも本人役で登場するリンダ・メイを主軸にさまざまな人々——ノマドという生き方を選んだ、あるい

          21世紀の開拓者たち——『ノマド』が語る物語

          「物語」にはご用心

          自ら「そのプロジェクトに物語を」とか書いておいて、どの口が言うか、というブーメランは予測しつつ、よく耳にする「物語が大切」みたいな言説について述べておきたい。 それは、たとえばマーケティングの一環として、ブランドや製品をめぐる「ストーリー」を提示する、あるいはプロフェッショナル・アスリートが、自らの活動や業績を「物語」という枠組みで語る、というこころみ。ざっくり言えば「魅力的な物語があればモノが売れて人気者になれるんだぜ、イェーイ!」みたいな話だ。 そういう意味で、「物語

          福岡伸一さんの言葉

          ADSTUDIESで読んだインタビュー(※1)が相変わらず素敵だった。 福岡氏は、「『知ることよりも、まずは感じることが大事だ』といつも言うのですが」と述べ、それを象徴する言葉として「センス・オブ・ワンダー」について言及する。これ、知の起点、あるいはスイッチのような話だと思う。 そしてこの起点は、生きるうえでの哲学的視点の大切さにつながっていく。単に「感じる心が大切」とだけ仰っているわけではないのだ。 詳しい、あるいは正確なところは是非原文を読んで頂きたいのだけど、全体

          食料自給率についての雑感

          少し前の論考だけど、拓殖大学国際学部教授の竹下正哲氏の論考「ポスト・コロナ時代を生き抜く。食料自給率37%は本当か?」が興味深かったので、覚え書きとして。 日本の食料自給率は40%未満——こんな話を聞いたことがあるかもしれない。もし、なんらかの世界的な危機が発生したなら、食べるものがなくなってしまう。そんな言説を耳にした人もいるかもしれない。 一方で、かつて自分が関わった農業関係のプロジェクトで、「それはカロリーベースの数値であり、生産額ベースではそれほど低いわけではない