食べてクソして寝るだけの人生じゃなかったかもしれない。

ただの夜。
別に何かをしていたわけでもない。
寝ようとした時に其れは突然やってきた。

『なぜできないの?』
『なぜわからないの?』

凄く怪訝そうな顔で、不機嫌そうで、苛ついていてる声がふと頭をよぎる。

誰が、というわけじゃない。それは僕が会ってきた全ての人の顔であるから。

気づいたら寝れなくて書かずにはもういらなれなくなって。
そして、僕みたいな人がもっと一杯いるんじゃないだろうか。

僕が言いたいのは、こうした言葉が生命や存在を否定していることに即ち等しいということである。

彼らが言いたいのは「僕らのことを思って」発言しているということなんだろう。

ところが、優秀な彼らは『なぜできないか』と一番に思い悩んでいるのは当の本人たちということを彼らは知らないようである。
加えて『なぜできないか』に『(他の人はできているのに、ね。君は生まれてこなきゃよかったんじゃない?)』という仄かな香りを僕たちは無意識に感じとる。

僕はといえば、『どうしてできないの?』と生まれてから何度も言われた質だから、その度に自分に『どうして僕は生きているんだろう?』と自問することになった。

こうした時、何度も問い続けて何度か自殺計画を立てて失敗して死にきれない自分にも嫌気が差して、僕は考えるのを止めていた。
『きっと食べてクソして寝るだけの人生だったんだ。』

……いや、でも何か違う、そうじゃない。
僕は今日新たな境地に達したかもしれない。

僕が、僕のような『できない』人たちにも優しい社会をつくるのが僕の生きる意味になるのでは?

そう思うと、何か心が暖かくなって僕はまた明日生きたいと思った。

朝起きて会った人全てに元気よく挨拶をしよう。
僕からまず、相手を傷つけるような言葉は避けようって思ったんだ。
それがいつの日か社会全体に伝播されていくことを祈って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?