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松里公孝『ウクライナ動乱』読んだ 其の一 旧ソ連圏の分離紛争全般について

ウクライナの歴史シリーズ。

こないだ読んだ『ウクライナ・ナショナリズム』はソ連解体までだった。

こちらの松里公孝氏の著書はソ連解体から宇露戦争までである。

1991年以降の出来事を非常に細かく説明しているので新書にあるまじき分量である。著者自身もあとがきで非常識な量と評している。
著者はロシア、ウクライナと関わりが深いため、たくさんの人物が登場する。とてもじゃないが覚えきれない。

また電子書籍の悪いところで、本の厚みがわからないのである。だからなかなか進まないなあとか思いつつ、チンタラ読んでいたら、めちゃくちゃ時間がかかってしまった。

しかし、かかった時間に見合う、きわめて有意義な書物だった。それは著者松里氏の公平な姿勢のおかげでもある。
昨今はウクライナに肩入れする論者が多いが、松里氏はそんなことはしない。ロシアにもウクライナにも厳しい意見を述べる。


本書の大きなテーマは近年の分離主義である。これにソ連解体にともなう脱工業化と経済不振、貧困、そしてそれらと相関するポピュリズムが加わる。黒海~バルト海の諸国ではポピュリズムにEUやNATOの問題が絡んでくるので厄介である。当然モスクワだって敏感にならざるをえない。


そして本書を読んだのちの私の理解によれば、ウクライナとロシアの関係が決定的に壊れたのはマイダン革命の時期である。そのさいロシア系住民への暴力に対して、ウクライナ政府機関は捜査をおざなりにしか行わなかった。これがロシア系住民を不安にさせ、ロシアの武力介入を招いた。
武力による現状変更は許されるわけはないが、ロシア系住民の不安や怒りも十分に理解できると思われた。

以下、備忘録。

クソ長いので何回かに分ける。本日は旧ソ連圏(というか旧社会主義国)の分離紛争についてと、ウクライナの経済的状況についてである。

マイダン革命、クリミアとドンバスについては次回以降に。


なぜ旧ソ連圏で分離紛争が多いのか

ウクライナが大国だから大きなニュースにはなるが、2014年以降のウクライナ動乱は、ソ連末期からの数ある分離紛争のひとつである。人口あたりの死者数では特に多くはない。

分離紛争がなぜ多いかというと、中央アジアからカルパチア山脈までの広いエリアを、長い歴史の過程で様々な民族が往来してきたからである。

ソ連はその広大な領域内に多様な民族を抱えることになり、安定的な統治のために、ソビエト連邦中央ー連邦を構成する共和国ー自治共和国という三層構造を作り上げた

連邦を構成する共和国には基幹民族がかなり恣意的に作られる。それ以外の民族を納得させるために、その中に自治共和国が作られる。それらがソ連中央というツァーリを失ったいま分離紛争をおこしているのである。

チェチェンなどロシア連邦内の少数民族が分離紛争をおこすとモスクワに弾圧される。たいへん気の毒だが、ロシアの外に飛び火しないので国際問題とはなりがたい。

ロシア以外の国では基幹民族以外(しばしばロシア系住民)が分離運動をおこし、これにロシアが援助するので非常に厄介なことになる。沿ドニエストル、南オセチア、アブハジア、ドンバス、クリミアがこのパターンである。

同様の現象は旧ユーゴスラビア連邦でもおこったが、ロシアのような旧宗主国的な存在がなく(本書ではパトロン国家という言葉が使われている)、国連やNATOが介入したのはご案内のとおりである。
というよりも旧ソ連圏についてはロシアがいるので国連もNATOも手出しできないというべきか。

もう一点重要なのは1990年4月3日に定められた連邦離脱法が実施されなかったことである。これはソビエト連邦構成共和国が離脱する際に、それに属する自治単位・行政単位は住民多数の意思によりソ連に残る権利を保証していた。しかしカラバフ、南オセチア、沿ドニエストルは住民投票が行われなかった。
アイルランドが独立したとき北アイルランドをUKに置いていったように、アルバニア、ジョージア、モルドバはそれらの地域をロシアに譲ることになったとしても、より均質な統治しやすい国家として再出発できただろう。
ポーランドだってリトアニア、ベラルーシ、右岸ウクライナをソ連に渡して独立したではないか。

ソ連構成国にしても、4月3日法にのっとって独立したのはアルメニアだけだった。

こうしてそれぞれのソ連継承国家は領土保全されて再スタートを切ることになる。つまり、例えばウクライナは、クリミアなどウクライナ文化に共感しない人々を域内に抱え込むことになった。
それでも1990年代のウクライナの政治家や知識人には、慎重にことを運ばないとユーゴスラビア化するとの危機感があった。しかし今世紀に入ると健全な危機意識が失われていくのであった。


ソ連解体以降

ソ連解体直後のロシアは、継承国家の分離紛争に関して、親国家を支援して、非承認地域に肩入れしないという態度だった。しかしいくら親国家のご機嫌をとっても、彼らがNATOに接近していくものだから、プーチンは態度を逆転させる
すなわち2008年の南オセチア、アブハジアの承認である。またこの態度変更がなければ、ウクライナとの関係を決定的に損なってまでクリミアを取りに行くという決断はありえなかった。

また旧ソ連・東欧諸国と仲良くするよりも、途上国に接近することを選んだ。ロシアはそのさいソ連時代の威光を最大限に利用した。その一方、ウクライナの意識高い系は、欧米中心の狭い視野しか持たず、途上国の人々の共感を得ることに失敗している。宇露戦争が始まってから、国連でウクライナを支持しない途上国があるのはこうしたことも影響しているだろう。

NATOの東方拡大にともなって、ウクライナが緩衝地帯になる危険が生じた。そ緩衝地帯になるくらいならロシアとの関係を悪化させても構わないとばかりに、ウクライナはNATOに擦り寄ってしまい、プーチンを刺激することになった。一方モルドバは現在に至るも中立を貫いている。どちらが賢明だっただろうか。

とはいえ、国連の承認なしのユーゴスラビア空爆、2004年の東欧7カ国加盟と、イケイケのNATOをみてウクライナの政治家が加盟を焦ったのも無理はなかったろう。
2004年のオレンジ革命を経て、NATO問題は完全にイデオロギー化してしまう。これにはアメリカの国内選挙対策が関係しているのは知られているとおりである。

2010年のハルキウ条約も重要だ。当選まもないヤヌコビッチ大統領は、2017年に期限を迎えるはずだったセバストポリ港の使用期限を2042年にまで延長することに合意したのである。

2017年には黒海の制海権がNATOに移ると踏んでいたアメリカ、ルーマニア、ブルガリアは動揺する。これがインテリのオバマ大統領がマイダン革命という暴力革命を容認する遠因になったといわれる。

そもそもアメリカは各地で対テロ政策を失敗しており(少なくともロシア指導部にはそう見えた)、アメリカ一極支配は終焉したという楽観論をロシア指導部は持つに至る。イスラム国の台頭に対しては、この楽観論と、ロシアから参加していたテロリストたちが帰還しては困るという悲観論が結合して、シリア戦争への介入を決意させた。
この楽観論と悲観論の結合という認知装置は、対ウクライナ開戦においても機能した。戦前日本の軍国主義にもみられると五百旗頭薫(先日亡くなられた五百旗頭真さんの御子息ですね)は指摘している。

またシリア戦争ではロシア航空宇宙軍が支援し、地上はシリア政府軍が主力であったため、ロシアの歩兵戦力の劣化が問題とならなかった。ウクライナのような大国との戦争に堪えられる状態ではなかったのに、それに目を向けられない要因となった。

ドンバス戦争以降、ウクライナとNATOとの協力は深まったが、NATOにウクライナを加盟させる意思はなかった。それでも選挙で政治家たちはNATO加盟をアピールせざるをえず、それによりプーチンはさらに態度を硬化させたものと思われる。


脱工業化

ソ連は域内で経済圏を形成しており、みかけのGDPよりも豊かであったとされる。しかし盟主たるロシアがこの情況に不満を持つ。つまりロシアは他の共和国に足を引っ張られており、その足かせが無くなればもっと豊かになれるという小ロシア主義がソ連末期には幅を利かせるようになった。

ウクライナ、特にドンバス地方は、その中でも主に工業を担っていた。それゆえ小ロシア主義と同じく、ソ連が無くなれば豊かになれるという勘違いが横行した。これに関しては著者はまことに手厳しい。

ソ連解体時、独立ウクライナは経済ポテンシャルで世界の十指に入るだろうという予測もあった。 当時のウクライナRSRは、その三〇年後の日本が作れない宇宙船や民間旅客機を生産していたのだから、そう考えるのも無理はない。「ソ連がなくなったら、いったい誰がウクライナの宇宙船や旅客機を買ってくれるのか」ということは、誰も考えなかったのである。

ソ連が無くなったら、日本やドイツと工業製品で勝負しないといけなくなる、、、なんてことは想像もしなかったのだろう。その結果、ウクライナは農産品を輸出する国になり、工業は廃れていった。

もちろん、想像力を欠いていたのはロシアとウクライナだけではない。

当時、レニングラード財政経済大学で学んでいたウズベキスタンSSR出身の学生から、「もしウズベキスタンで生産している綿花を国際価格で売れたら、それだけで国民は遊んで暮らしていけるほど豊かになる」と言われて驚いた。ウズベキスタンが独立国になり、綿花を国際価格で売れるようになったら、綿花以外のすべての商品を国際価格で買わなければならなくなる。経済学を学ぶ若者がなぜその程度のことも考えないのか。

このようにソ連継承国家は、いわばモノカルチャー化させられていたのであり、いきなりソ連という枠組みの外に放り出されたら貧しくなるのは必然だった。

ロシアがウクライナ開戦直後にオデーサへ突進したのには、こういった経済的理由がある。オデーサは貿易や観光などロシアにはない多様な産業があったのである。

ソ連が解体すると、その継承国家は、年間一人当たりGDPが七〇〇〇ドルから一二〇〇〇ドルの資源産出国(ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン)と、五〇〇〇ドル以下の非・資源算出国(ウクライナ、ウズベキスタン、モルドヴァ、クルグズスタン、タジキスタン)に二極分化した。自国の製造業を撲滅したことにより、天然資源を持つ勝ち組と、持たない負け組に見事に分かれたのである。 ベラルーシだけは、天然資源がないのに年間一人当たりGDPが約七〇〇〇ドルの例外国だが、これは自国の製造業を保護育成してきたからである。

ウクライナはソ連解体前の水準にGDPは戻っていない。ベラルーシは親露政策もあってうまくいっている


経済不振になると、ポピュリズムが台頭する。ウクライナにおけるポピュリズムとは、西欧寄りの政策を取ることである。しかしこの経済の惨状でEUに加盟できるわけがないし、穀物しか輸出できるものがないという情況は変わらない。

西欧と仲良くしたいとしても、ロシアとも上手くつきあっていかなくてはいけない。広いウクライナにはロシア系住民もたくさんいるのである。

こういう難しい舵取りをできる責任感、気概のある政治家はウクライナでは選挙に勝てなくなってしまった。そうすると選挙に勝つのはポピュリストである。ゼレンスキー大統領だって例外ではない。日本もそうかも。


2014年以降、経済制裁もあって、ロシアは輸入代替化を進める。十分に輸入代替化するまで本格的な戦争はできなかった。ソ連解体後も兵器の部品などはウクライナからの輸入に頼っていたからである。

ウクライナでは恩顧政治が跋扈し、工業化も進まない中、戦争を迎えることになるのである。

続く



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