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モヤモヤを抱えながら働いているエッセンシャルワーカさんへ

こんばんは!

すべての家庭にコーチングマインドを🏠
そして
世界の分断に対話を届けたい🌎(とりわけ日本に🗾)
コーチの たけち みり です

さて、今日は題の通り
【エッセンシャルワーカーさんのモヤモヤについて】
お話をしていこうと思います


エッセンシャルワーカーについて

「エッセンシャルワーカー(essential worker)」とは、直訳すると「必要不可欠な労働者」で、社会基盤を支えるために必要不可欠な仕事に従事する労働者のことをいいます。生活必須職従事者とも呼ばれ、医療・福祉や保育、運輸・物流、小売業、公共機関などが該当するとされます。

コロナ禍の緊急事態宣言下でも働き続けたエッセンシャルワーカー

【社会基盤を支えるために必要不可欠な仕事】であるとされており、
(すべての仕事に意味があることは重々承知ながらも)
日本の土台にはエッセンシャルワーカーがいるのでは、と感じています


働きたいけど、働けない

それにも関わらず
厚労省の「精神障害に関する事案の労災補償状況」によると
精神障害を患う職種のトップ3は

1位:社会保険・社会福祉・介護事業
2位:医療業
3位:道路貨物運送業

エッセンシャルワーカーであるとの報告があります

わたしも以前看護師として医療現場で働いていましたが
うつ病や適応障害などに罹り、休職・退職をされる方が非常に多かった印象があります

看護師や介護職、その他エッセンシャルワーカーの資格の取得を目指す方、している方が多いにもかかわらず、離職率が高く、常に人手不足が訴えられています

日本の社会基盤であるエッセンシャルワーカーの個々人が、エッセンシャル(必要不可欠)であるという扱いを十分に受けられず
メンタル不調になり仕事を続けられなくなり
どんどん補充されている現状

でもこれって、本当は何の解決にもなっていないんじゃないか…?


直線論と円環論

普段私たちは【直線論】を用いています(下図)

何か問題が起きた時
「何が問題なのか」「原因は何か」
ということを考えがちです

これが悪いということではないのですが
この考え方では【個人】に原因を委ねてしまいます

そうなると、悪いのは
・仕事ができないあの人
・いつも理不尽に怒鳴ってくる上司
だったりするわけです

でも、実際には『原因と結果』に分けられないことが多く
原因が一つではないことも多々あります

ーーーーーーーーーーーーー

下の図は【円環的認識論】です
ここでは、それぞれの要素が円環していると考えます


ここでのポイントは、
良かれと思ってしている(もしくは無意識的に)行動が
解決策としてうまくいっていないにも関わらず、続けられていることにあります

エッセンシャルワーカーが働く組織や個人においても
同じことが言えるのではないでしょうか…
(わたしも職場を変えても同じ悩みが起こるということがよくありました)


エッセンシャルワーカーが働きやすい社会にしたい

わたしは、看護師として働きながら
『どうしてみんながこんなに悩みながら、モヤモヤを抱えながら働かないといけないんだろう…』とやり場のない無力さや憤りを感じていました

辛くなって辞めていく人も
医療事故や病院の組織のために厳しい態度で臨む人も
どちらも悪いわけではなくて
むしろそうなっていく組織や社会が問題なのでは…と

でも、何をしたらいいのか分からなくて
私個人ではできることもなくて
こんなもんなのかもしれないな…と諦めていた時に
コーチングに出逢いました

コーチングっていうと、敷居が高いというか
よく分からんな、という思いが強いかもしれませんが
コーチングは、『自分』を知れることができる方法の一つであると思っています


社会構成主義

島国の日本においては、『多様』であることを認識する機会が非常に少なかったと思います

他の国の人たちと関わることが少ない文化でいたからこそ
『みんなが同じであること』
がある種正義のように感じられてきたこともあったかもしれません

多様性な人種・文化・宗教がある環境で育ってきた西洋では
戦争を起こさないためにも【対話】を行ってきましたが
『察する』『行間を読む』ことに重きをおく日本においては
積極的な【対話】は避けていたとも言われています

そのような中で、日本は特に
・現実は一つである
・人はみな、同じように物事をみている
という考えに陥りやすいのかもしれません
(もしくは、違うと思っても言い出せない環境にあります)

あの人は、仕事が遅いよね
あの人は、理不尽に怒鳴ってくるよね
など


一方、【社会構成主義】では
現実は人の数だけあり、それぞれに固有の主観的な現実がある
と考えます


例えば、一つのりんごを二人で見た時
それぞれに頭に浮かんでいることは違うかもしれません

それでもわたしたちは【りんごだね】という言葉で
お互いのことを分かっているつもりになっているかもしれません

同じ言葉を話すわたしたちも
本当はちがう言語を使っているかもしれない

それを知るだけで、救われることも多くあります


認識の仕方や反応は人それぞれ違う


例えば、ストレス下に長期間おかれた場合、
大きくわけると二つの反応が現れると言われています

【解離行動】が起これば
・注意を受けると、「固まる」反応が起こり、いつものように動けない
【過覚醒反応】が起これば
・あんな上司にならないよう出世するぞ!と考えたり
・相手を攻撃するかのような言葉を言う
ことが起こるかもしれません(一例です)

どちらも反応が違うだけで
どちらが良いも悪いもありません

ただ、この違いを知らないと
「あの人は、注意してもなにも反応をしない。聞いていない!」
となったり
「あの人は、いつも必要以上に怒鳴ってくる!」
となるかもしれません


また、認知の仕方においても
大きく分けると
【客体(他人事)】と【渦中(自分事)】の二つがあります

これももちろん、どちらが良いも悪いもありません

【客体】である人は
自分の感情に気がつきづらく、急に体調を崩したり、病気になってから気づくということがあるかもしれません
【渦中】である人は
周囲の人の感情を自分のことのように感じ、周囲にある様々な感情をキャッチして辛くなってしまうことがあるかもしれません

ーーーーーーーーーーーーーーー

これらの違いを知らずに過ごしていると
自分と違う人を【間違いである】と評価・判断し
自分や他人を必要以上に責めてしまうことが起こる可能性もあります

でも、そこにあるのは【個人による違い】
ただそれだけかもしれません


わたしたちは、それぞれの世界で生きている

私たちは、それぞれの認識によって、物事を見ています

【対話】とは、それぞれは違うものさしやメガネを持っている
という前提のもと、行われていきます


お湯に手を入れた時に、自分の手が冷えていたことに気づくように
わたしたちは【違い】に触れることで初めて【自分】を認識できます

【違い】は自分を知ることです
誰かや自分を責める材料ではないのです


エッセンシャルな自分へ

《あるのが当たり前》だと思われているエッセンシャルワーカーの仕事

だからこそ
【役割】に囚われて自分を見失うことや
【あって当然】の対応を行うことを余儀なくされることもあります

命や生活を守る現場であるからこそ、
絶対的に守らないといけない【規則】や【文化】もあると思います
だからこそ、私たちの命や生活が安全に守られている

それは確かです

でも、自分の在り方まで【規則】や【文化】を守らないといけないわけではないと思います
自分の感じていること、自分の思っていることまで規則化する必要はありません

エッセンシャルワーカーにこそ
自分はエッセンシャル(必要不可欠)な存在なんだ!
そんな風に心から感じながら働ける環境になってほしい

そのために、できる限りの活動をしていきたいです

まずは、自分のことを知ってみませんか


1月17日 20時から
エッセンシャルワーカー向けの
【自分の本当の気持ちに気づく無料講座】を行います

この無料講座では
なんとなくモヤモヤを抱えている人が
なぜそのモヤモヤが生まれているのかのヒントを得ることができます

第一線で活躍されているコーチ
樋口咲恵(ひぐち さきえ)さんと
足立芽生(あだち めい)さんが
ネガティブな感情の扱い方について伝えてくれます!

コーチ駆け出しの私が伝えられない言葉を
2人が伝えてくれる…!こんなうれしいことはありません

モヤモヤを抱えながら働いている(もしくはお休み中の)方たちにとって
必ず有意義な時間になると思います!!!

少しでも気になった方
ぜひぜひぜひ!こちらの無料講座にお越しください✨

わたしは運営としてサポートさせていただきます!
同じエッセンシャルワーカーとしても、お話しできたら嬉しいな!

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詳しい活動はこちらから

明後日12/27 12:00ごろから
Xのスペースでこれについてお話しします
是非遊びに来てください!




最後に

最後まで読んで下さりありがとうございました!
エッセンシャルワーカーさんの働く環境をよくしたい!
エッセンシャルワーカーさんに自己理解やコーチングを届けたい!

そんなお仲間さんおられましたら、是非ご連絡ください
一緒に活動できると嬉しいです!

Xはこちらから👇


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