こんにちは!honokaです。
自己紹介をご覧くださり、ありがとうございます!
noteをはじめてからしばらく経ったので、改めて自己紹介を書こうと思います。
現在18歳で、通信制高校であるN高等学校に在籍しています。4度目の転校先です。
はじめに
私がTwitterおよびnoteで発信することは、主に5つ。
私にとってこれらのテーマは相互に関係しあっているので、切り離すことはできません。
その発信することとは、
1. イタリア語の学習法
2. 愛する街ラクイラ
3. 震災関係、メンタルヘルス
4. 心理学と設立予定の団体
5. 防災を世界へ
についてです。
これらの話に入る前に、簡単に私の経歴を書きます。より詳しい経歴はこちらをご覧ください。
9歳のとき、東日本大震災で被災した。
私は9歳のとき、東日本大震災で被災しました。当時私は小学校で、帰りの会をしていました。
帰ろうとした途端、何が起こったのかさえ考える暇を与えない揺れが私達を襲いました。
母の名を叫び、涙を流す同級生。先生にとってもはじめての体験で、どう対応するか困っていました。そんな中で私は、机の上に置いたコートが床に落ちるのを机の下から冷静に見ていました。
灯りのない夜、水のない昼間。それからのことはあまりよく覚えていませんが、ひとつだけ覚えているのは、家族の迎えを待つ中、校庭で寒い想いをしたことです。コートは床に落ちたままでした。
その5年後…
イタリア中部・アマトリーチェ近郊で、地震が起きました。
イタリアで起きた大地震が、私を変えた。
中学3年生の8月のことです。
その時期は受験の天王山とも呼ばれる、とても大事な時期でした。偏差値69の学校が志望校だった私にとっては、クラスの誰よりも勉強し、そして(いまのところ)一番勉強した夏だったのをよく覚えています。
朝起きたらご飯を食べて塾へ行き、お弁当を食べて夜遅くまで塾で勉強。家に帰ったら寝るだけ。そんな生活をしていました。最低でも1日10時間は勉強していました。
地震当日は、母が昼に塾まで迎えに来てくれ、家でご飯を食べることになっていました。帰宅してテレビを入れると、トップニュースで、イタリアが大きな地震に見舞われたと流れています。
目を疑いました。そして、数秒後すべてを理解した私は、ひどく絶望しました。
こんな恐ろしいことが起きてしまったのかと、天を呪いました。
イタリアを知り、恋に落ちた旅行。
地震の半年前のこと、つまり2015年に、私はイタリアを旅行しています。
街で会う人、綺麗な教会、美味しい料理…。イタリアのそのすべてが、私を魅了しました。
そして8日間の旅行を終えた頃には、すっかりイタリアのとりこになっていました。
当時の私の夢は言語学者でした。比較言語学にも興味があったので、ナポリ東洋大学などで日本語を教えたい!と漠然と思って帰宅しました。
イタリア語を勉強することになるのは、震災後のことです。
イタリアの地震を契機に…
話を震災のことに戻しましょう。
夜が明けるごとに被害の甚大さが明らかになり、死傷者の数字は日を追うごとに増えていきました。
私はただ祈ることしかできませんでした。
当時は「地震の被害の様子を知りたい」という思いがあり、祈るような気持ちでニュースを見ていました。
8月28日。時刻は午後7時20分を回った頃のことです。
NHKニュースからある報道が流れました。それに関してはここでは詳しくは話しません。リンクも貼りません。できることなら触れないでいたいのですが、触れないと話が先に進まないので、涙をこらえながら書きます。
もしこの記事をその関係者の方が読まれていたら、もしこの記事を震災のご遺族の方が読まれていたら、これは「私の人生を変えた出来事」であるためここで紹介しているのであり、あなた方を侮辱しているつもりなどないということを、はっきりと公言いたします。
もしもこの記述があなた方を傷付けることになってしまうなら、本当に申し訳ありません。ごめんなさい!
私はその報道に胸を打たれ、あることを決意します。
「イタリア語を学びたい!」と。
詳しくはこちらに書きました。もしストレス耐性があると自負できるならご覧ください。
以上で、簡潔な経歴の紹介を、終わりにします。
*
このnoteの最初に書いた、私がTwitterとnoteで発信する5つのことを、もう一度話そうと思います。
1. イタリア語の学習法
2. 愛する街ラクイラ
3. 震災関係、メンタルヘルス
4. 心理学と設立予定の団体
5. 防災を世界へ
これを順番に見ていきましょう。
*
イタリアに魅了された少女が、3か月でイタリア語検定に合格するまでの道のり。
さて、ある報道をきっかけに胸を打たれ、イタリア語の勉強をはじめた私ですが、受験や学校などで、本格的に勉強を開始したのは2019年1月のことです。
それから3か月で、イタリア語検定4級に合格することになります。私は独自の勉強法により、独学でイタリア語を学んでいます。イタリア語の教室に通ったことは一度もありません。
この興味深い話は、こちらやこちらに書いています(※まだ書いてないです)
私の愛する街、ラクイラとの出会い。
震災から1年後、些細なきっかけで私はラクイラという街を知ることになります。ラクイラとはイタリア中部・アブルッツォ州の州都で、標高714メートルにある、人口約7万人の街です。
日本ではほとんど知られていませんが、観光地もたくさんあり、とにかくとても素敵な街です。
私はその街に心から魅了され、一目惚れして移住を決めました。
移住の目的は、そのラクイラにある総合大学であるラクイラ大学で、心理学を学ぶこと。この目的のために、イタリア語の勉強を今日も頑張っています。
ラクイラやラクイラ大学との運命的な出会いについては、こちらやこちらに書いています。
自分が苦しんだ精神疾患の経験を活かすために。
私はイタリアの震災をきっかけに、精神疾患になりました。
8度の自殺未遂をし、数え切れないほど泣き、そのたびに人に助けられてきました。
その経験を活かして、今度は苦しんでいる人を支えたい。その思いから、精神疾患についても書いています。
心理学で、ひとを支えたい。
ラクイラ大学で心理学を学ぶこと。それが今の私の一番大きな夢です。それは先程書いた精神疾患のこととも関係していますが、ひとを支えたいという思いから、私は動いています。
心理学を学び、それを活かす私のポリシーについては、こちらをご覧ください。
防災を、世界へ。
私は「防災」という言葉を世界共通語にしたいという夢があります。この概念を適切に表現するための言葉が、世界にはないのです。
以下、私のホームページから引用します。
「防災」、つまり「災害に事前に備える」という概念。
残念ながら、この概念は世界中に通用しているとは言えません。
私達は2020年に、イタリア中部・ラクイラにて、「防災」の必要性を伝えるためのNPOを設立する予定です。
それは、防災という概念をイタリア、そして世界中に根づかせるためです。
防災と心理学の力を活かして、ひとを支えてつなげたい。この思いを胸に、2020年、ラクイラにBosai per tuttiという団体を設立予定です。Bosai per tuttiについては、こちらにも書きました。
さいごに
honokaはTwitterでも発信しています!
最後までご覧くださりありがとうございました!
今後ともhonokaおよびBosai per tuttiをよろしくお願いします!
この記事が参加している募集
振込先を設定していないため、サポートを受け取ることができません。 もし私の記事を読んで「助かったな」「興味深いな」「共感したな」などと思い、何らかの支援をしたいと思わわたら「イタリア中部地震の被災地に募金するには」という私のnoteをご覧ください。ご協力ありがとうございます。