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届かないものは届かないんだよね

どんなにわかりやすく丁寧に話しても、届かないときは届かないんだなと感じる時が度々ある。だからよく「話せばわかる」なんて言うけど、僕はそうは思わない。 多分お互いの言葉のやりとりを司る機関の違いが、そういう事態を生み出しているのだと思う。別に僕の言語力が高いわけでもないし、相手の知力が低いわけでもない。業務的やり取りなら問題なくできる。だから最終的にはやりとりを司る機関の違いだ。 よく「人は聞きたいことしか聞いていない」とか「話したいことしか興味ない」などとも言うが、それは

    • 言葉から幅が失われたら人間関係もつまらなくなって

      言葉が持つ幅についてよく考える。例えば「嬉しい」ひとつとっても、様々な解釈が起きるわけで、受け手によって「素直な反応でいいな」「気持ちが伝わってよかった」「これだけやったのにその程度かよ」などと解釈が違ってくる。そう考えると、当然話し手側にも「嬉しい」に込めた意味の違いはあるわけで、「心からそう思ったから伝えたい」から「とりあえずそう言っておいた方がいいかな」まで、グラデーションを含めれば無限の意味付けがなされているわけだ。 ちなみに、そういった込められた意味や深い解釈を伴

      • 美しいものを美しく見せたい欲が覆い隠す世界で

        「美しく見せる」こともいいが、美しいものはそもそもそう見せなくとも美しい。 ものごとを在りのままに受け取るということが難しい時代だ。例えば「美味しい」という感想に対して、もっと別の表現を!もっと伝わる言い方で!もっと刺激的に!といった風に。 美味しいものを食べたときに美味しいと言うのは自然な反応なのに、それでは何かが足りないと考えてしまうのは、何でもない日常をドラマチックなものに変えて表現したいという欲が生まれてきているのだろう。それはSNSの普及によって、一個人が誰に対

        • 本に書いてあるような話は聞きたくないと彼は言う

          仕事柄、専門分野の内容をお客さんに伝えねばならないときが多々あるのだが、その内容が精神に関することなのも相まって、気づいたら「どこかで聞きかじったような話」ばかりしている自分がいた。それは例えば「〇〇なときには、▽▽するといい」とか「◆◆になったら、✕✕のタイミングだ」とかの巷にあふれるアドバイス系の類だ。 そういう自分に疑問がわいたこともあって、このブログを書き始めた。できるだけ既存の知識をひけらかすのではなく、誰かの言い回しを真似るのではなく、自分の言葉で自分の思いを表

        届かないものは届かないんだよね

          自尊心でものを考えるなと彼は言う

          スタートレックの新作を観ていたら、ロミュランの艦長が血気に逸る部下に向かって「自尊心で判断を下すな」と言い放つシーンがあった。スタートレックは初期のころの作品群は再放送で、大人になってからはあらゆる方法で追いかけ続けている作品だ。示唆に富む言葉に溢れていて随分とお世話になり続けているが、今回もまた突き刺さる名言を頂くことになったわけだ。 Wikipediaによると「自尊心」とは、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの事故を尊重し受け入れる」態度とされている。 ド

          自尊心でものを考えるなと彼は言う

          知恵者たちに畏敬の念を

          10年に一度回ってくる町内会。今年度は保健委員の役目を仰せつかった。主な役割はゴミ収集の準備と片付けだ。わが自治体は今年度から分別方法が一部変更となり、可燃、不燃、粗大、プラ、紙製容器、ビン、カンの分類に加えて、発火性危険物(スプレー缶や使い捨てライター類)、電池類という区分が別枠で追加された。(今までは一括で危険物だった)このように列挙するだけでも、捨てる側の配慮がかなり必要になっていることがわかるわけだが、当然ながらこのルールを守らない人たちが一定数いて、このあと処理が保

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          自分の弱点について語りたい

          自分の弱点は何か?という問いに対しては、そのときの年齢、状況、悩みなどの要素によって様々な答えを用意できるくらい弱点に満ち溢れた人間である。しかし、ひとつひとつ列挙していてはキリがないので、ここでは今の自分が強く認識している弱点について書きたい。 それは「恐怖の感情」である。そしてその感情を生み出しているのは自らの想像力だ。昔、村上春樹がどこかに書いていたように、想像力が生み出す恐怖ほど怖いものはないのだ。想像というくらいだから、そのほとんどがまだ起きていないことだ。だから

          自分の弱点について語りたい

          そろそろ終わりの方なので

          年初というのは、色々な目標を立てるにはいいタイミングだ。自分自身を振り返っても、過去から今に至るまで様々な目標を立ててきたという記憶がある。しかし一方でそれに向かい続けるというのは至難の業で、特に私のようなそのときどきの感覚で生きている雑な人間にとっては「目標を立てた時が一番やる気のある時」に他ならず、何らかのきっかけでそれが途切れてしまうと、それ以降は、うやむやになってしまうような危ういものでもある。 そんなこともあって、最近は年の初めに何か目標を立てるということもすっか

          そろそろ終わりの方なので