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届かないものは届かないんだよね

どんなにわかりやすく丁寧に話しても、届かないときは届かないんだなと感じる時が度々ある。だからよく「話せばわかる」なんて言うけど、僕はそうは思わない。

多分お互いの言葉のやりとりを司る機関の違いが、そういう事態を生み出しているのだと思う。別に僕の言語力が高いわけでもないし、相手の知力が低いわけでもない。業務的やり取りなら問題なくできる。だから最終的にはやりとりを司る機関の違いだ。

よく「人は聞きたいことしか聞いていない」とか「話したいことしか興味ない」などとも言うが、それはきっとやり取り機関の違いが説明できないから、便宜的にそんな風に説明しているに違いない。

でもやはり人間同士なので、会話をするときにはナイスなキャッチボールでありたいと心より願ったりする。そういうのが成立した時の楽しさと言ったら、他ではなかなか味わえないからだ。

ごくまれに、そういう相手に出会ったりすると、この上ない幸せを感じるようになってしまった。共通言語を話し、その意味さえ理解している同士なのだから、そんなこと当たり前なのに、いつの間にこんな風になってしまったのか、皆目見当もつかない。もしかしたら、僕がしばらくの間「世の中なんてつまらない」と距離を置いている間に、人間関係の尊さを知らしめるために、神様がちょっといじわるな仕掛けをしたのだろうか。

届けたい思いを届けたい相手に届けられる時間は、もう過ぎ去ってしまった

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