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美しいものを美しく見せたい欲が覆い隠す世界で
「美しく見せる」こともいいが、美しいものはそもそもそう見せなくとも美しい。
ものごとを在りのままに受け取るということが難しい時代だ。例えば「美味しい」という感想に対して、もっと別の表現を!もっと伝わる言い方で!もっと刺激的に!といった風に。
美味しいものを食べたときに美味しいと言うのは自然な反応なのに、それでは何かが足りないと考えてしまうのは、何でもない日常をドラマチックなものに変えて表現したいという欲が生まれてきているのだろう。それはSNSの普及によって、一個人が誰に対しても影響を及ぼせる時代になったからこその変化だと思う。知らない誰かに大きな影響を及ぼすほど、自分の価値は上がるのだという錯覚が生まれてしまったのだ。
しかし、加工された美しさはそれを見る者の存在で成り立っている。もしそれが飽きられてしまったらおしまいだ。見るものがいなくなったってしまえば、美しく見せた意味も無くなるだろう。
羊頭狗肉。
見るものがいなくても自然は美しい。それが美しさであり、もとより自分の価値ではないかと思うが、そんなことは人間の欲の前ではどうでもいいことなのかもしれないなと思う今日この頃である。
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