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本に書いてあるような話は聞きたくないと彼は言う

仕事柄、専門分野の内容をお客さんに伝えねばならないときが多々あるのだが、その内容が精神に関することなのも相まって、気づいたら「どこかで聞きかじったような話」ばかりしている自分がいた。それは例えば「〇〇なときには、▽▽するといい」とか「◆◆になったら、✕✕のタイミングだ」とかの巷にあふれるアドバイス系の類だ。

そういう自分に疑問がわいたこともあって、このブログを書き始めた。できるだけ既存の知識をひけらかすのではなく、誰かの言い回しを真似るのではなく、自分の言葉で自分の思いを表現したくなったということだ。

そしてもうひとつ、それは知識と想像から生まれた考えではなく(否定しているわけではない)、好奇心と経験に基づいた発見から生まれた考えでありたいということもある。

振り返ると、私はたぶん子供のころから引っ込み思案で、どんなことでもやらなくても問題ないならやらずに通り過ぎてきた人間だった。そしてそこで欠けてしまった分を、知識と感覚を駆使してカバーしてきた。それはそれで成立する在り方だし、それはそれで今までの自分をそれなりに支えてきた在り方だった…とは思うが、さすがにこの歳になると、そういうもので出来上がった考え方に触れる度、あるいはそういうもので語る人たちを見る度、随分と薄っぺらく感じるようになってきてしまったのだ。

それに、もしかしたらそのことで私は既に出会った多くの人たちに、薄っぺらいという理由で興味を持たれなかったのではないか、という仮説さえ立てられるようになった。このことに疑念を抱いてからは、我ながら説得力のある話として対人関係の中で自らに突き刺さることも多くなった。

これはダメだ。やばいぞ。もしかしたら俺はコピペマンなのではないか?ありものを、聞きかじりを、さも自分の手柄のように振り回して、自尊心を高ぶらせている要注意人物じゃないか!!!そんな風に思ってしまったのである。

そんなわけで、今からでも知識と想像に加え、好奇心と経験に基づいた人生を送りたい。コピペマンやノウハウ語り高揚マンでは終わりたくないと思う。今年から始めたこのブログはその一歩だ。英語の勉強も始めたし、筋トレも始めた。どれもこの先の経験のために準備として始めたことだ。今年になってから今までのところ、その思いは続いている。このブログの一回目に書いたように「もう終わりが近くなってきた私」の最後のあがきだと思って、私自身の話ができるようになるまで、引き続き頑張ろうと思う。

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