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【閲覧録202212-202301】(20221216-20230115)

20221216
季武嘉也編著『日本の近現代 交差する人々と地域』(放送大学教育振興会 2015)。「第4章 議会・政党・選挙」有馬学、p58「町村制を核とする地方制度と、衆議院選挙を頂点とする選挙制度という二つの新しい制度が侵入してきた明治二〇年代のムラ社会」、理解が深まる叙述。p60「民党や吏党という言葉を最初に使ったのは、自由党の中江兆民」、そうなのか、その兆民を北海道に引っ張ってきたのが、若き日の金子元三郎。「第5章 地方からの産業革命」中村尚史、筑豊の炭鉱業者安川敬一郎が地方財閥化する事例が紹介される。金子元三郎も地方財閥・地方名望家になるのだが、金子の場合は「産業革命」とは程遠い、北海道の、近世から続く、鰊漁業の売上をベースにするのが、面白い。「第6章 政党の発展と地方の系列化」季武嘉也、p94「地方名望家たちを政治的に組織化したのが政党であった。」。そう金子もその線で衆議院議員になり(後、貴族院議員)、北海道・民政党のドンになる。p97「青年期には自由民権運動に共鳴して民党に参加したが、しだいに名望家として地域社会の責任者になるにつれて、政党そのものも名望家政党と呼ばれる体質に変化した。」、これも金子の足跡に該当するかも。地方名望家・政党政治家を生んだ春鰊漁業、という視角があってもいいのでは?

20221217
『志賀直哉全集 第一巻 或る朝 網走まで』(岩波書店 1998)。とうとう、志賀の小説まで読み始めてしまった。50年近く前、高校生の頃、新刊書店で入手可能な文庫本の志賀シリーズを読んで以来。再読作品も多かろう。漱石が「三四郎」や「それから」を書いていた時代の志賀。年齢差は16。志賀は長命。

20221218
『谷崎潤一郎全集 第8巻』(中央公論新社 2017)始。「鮫人」(1926)。雑誌連載は1920年で、冒頭にWW1後の日本の好景気の話が登場。モダニズム色濃い都市(東京と上海)を舞台にしたミステリー仕立ての小説だが、なんだよ前篇だけなのかよ、という終わり方。誰か「続 鮫人」書かないかな。読みたい。

20221219
マックス・ヴェーバー 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫 1989改訳)。「ニ 資本主義の精神」、p66「民衆は貧しい間だけ、貧しいからこそ労働する」というのは鋭い指摘では。p63「出来高賃銀」、ちょうど鰊場での「九一金」のことを読んでいたので、興味深かった。

20221220
『住居論 今和次郎集 第4巻』(ドメス出版 1971)始。p15「ものの来歴についての知識というものは、ものを正しく批判し、ものそのものをいっそうすぐれたものに育てていくためのひとつの確実な基礎」、なんという高らかな人文主義宣言。p17「家屋における住まい方と建て方の交渉」というのもすごい。p92「よく日本の言葉には敬語の種類が多いといわれておりますが、それと同律に、客への応対の起居動作そのものの種類も多岐に複雑に分化している」、1944年のテキスト、今はどうか。p94の禅宗と真宗の信者の住居に及ぼす宗教的影響の話も面白い。仏壇を茶の間に飾るか、床の間に据えるか。その意味。

20221221
『柳宗悦全集 第八巻 工藝の道』(筑摩書房 1980)。柳30代後半、1926年「民藝」という言葉(つまりは概念)を創造し、ブイブイ言わせてる時期の文章。その成果・結実が「工藝の道」(1928)なんだろう。大抵の文芸運動・社会運動が衰退する中、民芸運動が100年もっているのは何故かの答えがあるかも。

20221222
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(一)』(新潮文庫 1954)。「第二十章 哲学する目的は死に方を学ぶことにある」、関根によれば、1572年モンテーニュ39歳のテキスト。前日の柳に続き、30代後半からのブイブイ。「第二十一章 想像の力について」も面白い。p173「性交不能」について書かれていて、「一度行いえた相手に対しては、当然の衰弱によらざる限り、もう不能になることはない。」、ホンマかあ。ああ、加齢とかだけじゃなく、いわゆる「愛が醒める」も「当然の衰弱」の一種なのか。「年のせいで精力がやや衰えるに従つてかえつて不能でなくなつた者もある。」そうだ。ホンマかあ、再び。

20221223
『おとこ鷹 子母澤寛全集 五』(講談社 1973)始。勝小吉・麟太郎親子の物語は続く。何か所か「鯡・鰊の蒲焼」が登場する。19世紀前半には江戸まで食用鰊が流通していた、というのは史実なのかな。今までのところそんな話は聞いたことがない。p206にはまた「小前の者」が登場。「小前」百姓の転用。p184「生きた本箱」、当方ブックスボックス BOOXBOX という会社を運営しているが、社名はこの子母澤の本(『勝海舟』だけど)から採っている。「「わたしが父は、よくあのように学文を鼻先きへ下げる学者を、生きた本箱と申します。故伯父の彦四郎などにも、よくそういって楯ついて居りました。わたしにもお前剣術をやるはいいが、生きた刀掛になるななどと申します」」。本物の本箱は「生きた本箱」でいいと思う。それを扱う人間が「生きた本箱」になるのはまずいという話なんだろう。「ブックスボックス」はそんなわけでまずは自戒を込めた社名なのであります。うまく行ってるといいのだが。

20221224
『中谷宇吉郎集 第八巻 極北の氷』(岩波書店 2001)始。全八巻の最終巻。巻末に総目索引・年譜・著書目録所収。付録の月報8、樋口敬二「刊行を終えて」によれば、やはりコンプリートな全集は存在しないらしい。著書目録(2000年現在)では80点を紹介。今はもうちょっと多いはず。次、何・誰、読もう?

20221225
『旧約聖書 Ⅴ サムエル記』池田裕訳(岩波書店 1998)。いかに無教養な田原でも、ダビデとゴリアテの戦いのことは聞き知っている。確か、中沢厚『つぶて ものと人間の文化史44』(法政大学出版局 1981)にも登場するはず。キリスト教圏の、ジャイアントキリングの喩え。日本語だと小よく大を制すか。

20221226
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』(北海道出版企画センター 1995)。「蝦夷地」>「第五章 蝦夷地の終末」、p316「ニ八取り」の起源、「これらの出漁者に対しては、瀬田内から南は収穫高の一割を、それより奥地では、東蝦夷の出稼漁夫と同じく収穫高の二割を場所請負に納めることになったので、請負人は座して二割を収穫することが出来たため、この出稼ぎを歓迎した。この出稼者を九一又はニ八取りと呼んだ。」、p317「鰊の豊漁地帯は蝦夷の戸口がすくない所が多かったので、大網業者は勢いその労働者を松前・江差・さらに南部・津軽などから求めねばならなかった。そして早春、大船を仕立てて漁場に送り込んだ。漁家ことに運上屋番屋は大きくなっていった。」、p320「奥地では利尻・礼文が盛んに開かれ始めていた。」。p335「蝦夷地を改めて北海道としたことは、蝦夷地の歴史に最後のとどめを指したものであった。」改名がとどめを刺したとも言えないとも思うが、どうなんだろね。

秋田行20221127-29
27日(火)。
初めての秋田県来訪。J-AIR運航JLJ2821便。普通に寒い。JR秋田駅でなまはげと記念写真。昼食は稲庭うどん。奥羽本線で追分駅。秋田県立博物館の分館旧奈良家住宅へ。学術調査。初日のミッション完遂。ホテルチェックイン後、中通り「町家」で郷土料理、うめがった。

28日(水)。
冷たい雨。JR土崎駅から秋田市土崎みなと歴史伝承館。かつての北前船寄港地。曳山行事すごいね。JR秋田駅に戻り、赤れんが郷土館勝平得之記念館(旧秋田銀行本店本館)・民俗芸能伝承館と併設旧金子家住宅をはしご。竿燈すごいね。祭、大事なんだね。秋田市離れるよ→


28日(水)。
冷たい雨。角館に向かうよ。秋田新幹線だ、こまち24号、特定特急券で乗車。武家屋敷に向かう途中、食堂いなほで昼食。さすがに年末で見学できるのは青柳家のみ。でも堪能した。甘味もよろし。帰りの在来線が遅れて、凍えて秋田駅。弥助そば秋田総本店。秋田、うめな。


29日(木)。
風雪。午前、秋田県立美術館。常設藤田嗣治「秋田の行事」と「岸田劉生の軌跡展」。千秋公園久保田城址を見た後、「あきた羽州街道」なるパンフに従って、八橋・寺内と歩き、秋田版風雪流れ旅状態に。それでも菅江真澄墓に墓参できて良かった。秋田空港20:15発で帰道。




20221230
『宮本常一著作集 6 家郷の訓・愛情は子供と共に』(未來社 1970)。「家郷の訓」、p51「母親の心」「子への愛情はまたひとり子にとどまっているものではなく子を通じて発展するものであった。」。p58「夫と妻」「郵便局が村内にできるまでは貯蓄形式はすべてタノモシによった。」。p66「母親の躾」「「嫁をもらうにはその母親を見よ」という諺が」。p77「「可愛い我が子に旅させ親御憂いも辛いも旅で知る」というのが臼挽歌の中にあるけれども」。p79「文字を持たざる世界にあって文字はこの上もなく尊いものと考えられた。昔の人は文字には絶対真理が含まれているものと考えたようである。」。

20221231
筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』(ちくま新書 2018)了。山本五十六・米内光政・永野修身・高木惣吉・石川信吾・堀悌吉についての論考。「第14講 堀悌吉 海軍軍縮派の悲劇」は編者筒井の執筆。堀を軍人篇の最後に持ってきたところに筒井の強いメッセージを感じた。軍人かくあるべしというような。

20230101
『吉田健一著作集 第六巻 舌鼓ところどころ 英国の文学の横道』(集英社 1978)。「英国の文学の横道」(1958)。「英国の詩に就ての一考察」、p221「人間に於る精神活動にとつては常に手段の研究と、その研究に基いての手段の淘汰によつてのみ進歩が可能なのである。」、人文学の根幹に触れた一文だ。

20230102
『梅棹忠夫著作集 第6巻 アジアを見る目』(中央公論社 1989)。「東南アジア紀行」、梅棹1957-58年の学術調査に関する記述。前ツイートの吉田健一「舌鼓ところどころ」「英国の文学の横道」と同時代。1955年からの四半世紀、日本の精神活動は、経済成長と相まって、目覚ましいものだったのかもね。「第3章 太平洋学術会議」>王様のご招待、p73「わたしは、戦前の日本の植民地の官吏たちをおもいだす。朝鮮総督府や台湾総督府では、文官もみな海軍軍人のような服装だった。台北大学の教授たちも、腰に短剣をつっていたものだ。」、タイ国1957年現在、大学教授も海軍提督的礼装だったという話。「第4章 アンコール・ワットの死と生」、回廊の壁の落書きに触れ、p97「日本人の筆跡があるはずだという。かれは、おびただしい落書のなかからようやくそれをみつけだした。寛永九年(一六三二)正月、肥州の住人森本右近太夫のしるすところのものである。」。それも日本人の精神活動の一つかもね。

20230103
責任編集・安村直己『岩波講座 世界歴史 14 南北アメリカ大陸 ~十七世紀』(2022)。「展望 南北アメリカ大陸から見た世界史」「問題群 北アメリカにおける先史時代社会の諸相」。前者、p50「ようやく私たちは、一六世紀中に「認識としての世界史」に南北アメリカの古代史が組み込まれなかった理由を推測できる地点に立った。当時のヨーロッパ人はアジアに対する劣等感を拭えず、それを南北アメリカへの優越感で代償しようとしたのではないか。アジアに対する劣等感を構成する要因の一つは中国文明の旧さであったから、自らの優越感の根拠たる南北アメリカの劣勢を信じるには、先スペイン期文明の旧さや独自性をア・プリオリに否定するしかない。モンテーニュはラス・カサスに共鳴し、インディオの人間性を認めたとされる一方で、「この世界――アメリカ大陸を指す――は[中略]あまりにも新しく、あまりにも子供で、いまだABCを教わっている」と記す。アメリカ大陸を子供扱いすることで、彼はヨーロッパ中心主義的世界史を延命させたのだ。南北アメリカに暮らすスペイン人のアジア産品への憧れも、同じ論理で説明できるだろう。」。後者、p137「結局、アンデスもメソアメリカも祭祀や世界観の具現化を求めた行動が底流にあり、その結果、公共的建造物が生まれ、人々が集合すれば都市になり、祭祀の精緻化に伴って階層構造ができあがったように思える。ここには、経済一辺倒の文明論では推し量ることのできない、人間の創造性の一端が示されている。」。書き足します、「南北アメリカ大陸から見た世界史」の論者は安村直己、「アンデスとメソアメリカにおける文明の興亡」は関雄二。

20230104
『鶴見俊輔集 5 現代日本思想史』(筑摩書房 1991)。「戦時期日本の精神史 一九三一~一九四五年」>「非転向の形」、p73「太田雄三による『内村鑑三』(研究社、一九七七)は、この偉大な人格が備えていた嫉妬深い側面をも忘れずにとらえており」という一文が興味深い。同じく、p77「柳宗悦の主宰した民芸運動は、仏教美学に基づく工人の尊重という考えを押し進め、戦争の集団熱狂から自分たちを守り抜きました。」、その注には「『柳宗悦全集』(筑摩書房、一九八〇ー八二年)に収録される文章のうち、朝鮮と沖縄についてのものが、柳の十五年戦争下の考え方の根本を示している」、だそうだ。

20230105
司馬遼太郎『街道をゆく 4 新装版 郡上・白川街道、堺・紀州街道 ほか』(2008 朝日文庫)始。「洛北街道」「郡上・白川街道と越中諸道」「丹波篠山街道」了。民藝運動関係者が多く登場する。p182「柳宗悦の民芸運動は千利休以来の美学的運動だと思う」のあとに「が、そのむずかしさは」と続いていく。

20230106
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)了。1941年12月。開戦後の(海軍)軍事用語と戦況の羅列に、読み進むのに難儀した。自分の知識のなさ。一つ疑問に思ったのは、それらの情報が、海軍軍人だから、あるいは皇族だから入ってきたのか、その両方だからなのかということ。どうなの。

20230107
『網野善彦著作集 第三巻 荘園公領制の構造』(岩波書店 2008)。「荘園公領制の発展と転換」「荘園史の視角」。後者、p209「高度成長期に入って以来、全国的に県市町村史の編纂が著しく活発化した」、なるほどと深く納得。経済成長こそが支えるものが間違いなくあるわけで、勘違いしちゃならんね。p232「識字率・計数能力――「知的水準」の高さが、自由・平等な社会を直ちに保証するものではないことも、こうした高水準にある江戸時代の庶民が、世界にも例のない専制的な幕藩権力を、三百年にわたって支えつづけてきたという現実が明証しているといわなくてはならない。」→「実際、均質な文字社会の表皮をはがしてみると、その背後には、きわめて多様な言葉、生活習慣、民俗を持つ無文字社会が生きているのであり、その実態をくまなく明らかにすることなしに、日本の社会を真に理解することは不可能といってよい。」、p233「すでに宮本常一は文字を持つ伝承者を無文字社会との関係において位置づけ、民俗学の立場からその役割にふれている(45)が、文献史学の側からも同様の資料学的視点にたった接近がさらに推進されなくてはならない。」。注(45)「宮本常一『忘れられた日本人』(未来社、一九六〇年、岩波文庫として一九八四年刊)。」だそうだ。『忘れられた日本人』ってそうなの?

20230108
『開高健全集 第7巻』(新潮社 1992)了。「夏の闇」(1971)了。20230108自ツイート「ほぼ40年ぶりの再読 開高58歳没 こちら64歳でまだ生きてて40年分の性愛経験(てか恋愛珍道中?)もあって思うところ多く面白い 時に身につまされ 時代背景は村上春樹『ノルウェイの森』(1987)のそれと重なる」。

20230109
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅳ 電磁波と物性〔増補版〕』(岩波書店 2002)。「第4章 電磁気学の相対論的記述」「第5章 場のローレンツ変換」。「相対性理論が発達したのは,マクスウェル方程式によって予言される現象がすべての慣性系について同等であることが実験的に発見されたからである.実際,ローレンツはマクスウェル方程式の変換に対する性質を研究することによって,彼の名をもつ変換を発見したのである.」。書き写すことはできても、何が書いてあるのか皆目理解できない。歴史学的な年代感みたいなもの、物理学的な世界観を身に着けたいのだが。

20230110
橋本治『根性』(徳間文庫 1988)了。「シンデレラボーイ・シンデレラガール」(1981)。『シンデ~』、単行本発行当時、買って読んだ記憶がある。開高『夏の闇』同様、約40年ぶりの再読となるのか。老成した人が書くべき内容を、まだまだ老成してない著者が書いている感が強い。当たり前の話だけど。

20230111
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「JAPAN AND THE JAPANESE」(1894)。西郷隆盛、勝海舟との例の会見、p193「It is said that few days before he finally made up his mind for peace, Katzu took him up to the Atago Hill for a friendly walk.」だとさ。内村執筆時、海舟は存命。

20230112
塩出浩之『越境者の政治史 アジア太平洋における日本人の移民と植民』(名古屋大学出版会 2015)。「補論1 朝鮮・台湾における日本人移民の政治行動」「第6章 「在満日本人」か、「日系満洲国民」か ー「満洲国」における日本人の政治参加ー」。p213「移住植民地化した南樺太に対して、朝鮮と台湾では投資植民地の性格が強く、さらに朝鮮人・台湾人を統治するため、南樺太に比べて著しく多数の日本人官僚が必要とされたのである。」。「北海道」や「南樺太」への「出稼ぎ」「移住」の定義に関しての、よい学習・思考機会になっている。著者の定義づけに違和感を感じている訳です。読み進めよう。

20230113
『漱石全集 第九巻』(岩波書店 1994)了。「心 先生の遺書」(1914)。いわゆる『こころ』。初読、64歳にして。p41「「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、其犠牲としてみんな此淋しみを味はわなくてはならないでせう」」。重松泰雄「注解」では「己れ」=「個人主義」としているようだが、ぴたりと重なるものなのかどうか。p293「女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いやうに思はれますから。」、と先生は遺書の中で言うが、だとして、先生夫妻は男女逆転していないか?p297「其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました。」、p112「明治天皇の御病気の報知」、p135「乃木大将の死んだ時」など、伏線はあったにしろ、突然明治の「ガイスト」が登場して、おいらはびっくりしたよ。p297妻(さい)は「突然私に、では殉死でもしたら可からうと調戯ひました。」てすごいな。

20230114
『柳田國男全集 第四巻』(筑摩書房 1998)。「青年と学問」了・「都市と学問」(1929)途中。前者p78、関東大震災の発生を受けて、「是は全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流れた居たからだと謂つた。」「やはり右の天譴説を唱へた人があつたさうである。誠に苦々しいことだと思ふ。」関東大震災1923年。2011年の大震災のときも、著名政治家の天譴説おじさんいたなあ。p82「我々は、必ず先づ自ら日本人とはどんなものかを知らなければならぬ。然るに色々の偏した心持ちの所謂先覚者が、未だ曾て自分に似ない境遇の日本人を、考慮の中に置かうとしなかつたのは不親切であつた。」p129「明治以後の新教育のみが、俄然として人を野蛮から開明まで飛移らせるやうな力のあつたわけでは無いことを、よくよく確認してから後に、次のま一つの文化の研究には向つて行くべきであると思ふ。」。p139「肝腎かなめの我々の疑問、即ち我々はどういふわけで今の村の住民であるか、何物の力が我々を某県人又は某郡人にしたかといふ問、それが答へられなければ実は我々の歴史であり、人文地理であり得ない筈で、是が帝国全部の平民の総てが、此学問に対する唯一つの要求であると思ふが、今日迄の「歴史」はそれに答へようとはしなかつたのである。」、100年近く後の今、答えはなされたのか?

20230115
フォークナー/篠田一士訳『アブサロム、アブサロム! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-09』(河出書房新社 2008)了。圧倒的・衝撃的・驚天動地の作品だった。今後自分が何か書くにあたって、質・形式・量すべてのモードにおいて、この作品の有り様に規定されそうなレベル。巻末池澤解説も秀逸。

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