【閲覧録202210-11】(20221016-20221115)
20221016
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)了。「信州東筑の石堀」、p610「民俗学の大きな限界は価値問題には殆ど全く触れないことである。」要検討。解説大岡信「木喰発見の意味するもの」秀逸。634p柳評「世が世なら彼を稀有の宗教家としたにちがいないような資質」。
20221017
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(一)』(新潮文庫 1954)始。いわゆるモンテーニュの『エセー』。原二郎訳岩波文庫版(1965-67)で一応一読も、一度で済むような本でもなし。終活読書と位置付けつつ、兼好法師『徒然草』と読み比べて、比較文学論・比較文明論的な着想でも浮かんでこないかなどと。
20221018
『父子鷹 子母澤寛全集 四』(講談社 1973)。面白い、が若い頃のように徹夜爆読一気読みができなくて年寄り悲しい。「小前」実例収集中、p93「小前もン」。起源は「小前百姓」なんだが、町人階級にまで使われている。「兼好」実例収集中、p138「兼好法師のいった珠の盃底無きが如しという人だから」。
20221019
『中谷宇吉郎集 第七巻 比較科学論』(岩波書店 2001)。「宇宙旅行の科学」1953。p231「それは、現在の科学が間違っていない限り、必ず出来ることで、しかもそう何百年も先のことではない。」。確かに約六十年後、金さえあれば行けるみたいなことになってる。しかし、大抵の人には金がないのが不変。
関西行20221020-22
22日(木)。午前、JAL2000便。10:50伊丹空港着、大阪モノレール南茨木駅乗換で阪急京都線、桂駅下車。昔住んでいた辺を散策、12:41創業明治16年、京都市西京区、桂離宮畔「御菓子司 中村軒」でにゅうめんセット。ここの名物「麦代餅(むぎてもち)」よく食べた。
阪急で市内へ。→
相鉄フレッサイン京都清水五条にチェックイン。15:30東山区京都国立博物館、平成知新館で「特別展 茶の湯 京に生きる文化」観覧。谷口吉生2014作品にやっと入れた。念願叶う。外観クール&内観ウォームな建築。
晩食は、下京区松屋町「そば料理 蕎麦の実よしむら」。
21日(金)。午前、四条大宮駅から嵐電に乗って仁和寺へ。京都市右京区、10:14仁和寺二王門。40年程前の学部生時代に安良岡康作先生のゼミで徒然草第52段に出会ったのがそもそもの始まり。去年石清水八幡宮に市内から徒歩で。今年はついに仁和寺を観覧。出発点で到達点で通過点。→
21日(金)。仁和寺を出て、JR嵯峨野線花園駅から京都駅、近鉄京都線で奈良へ。近鉄奈良駅から奈良公園内徒歩、13:30高畑町の志賀直哉旧居着。志賀の人間性がそのまま建造物化されたかのよう。そりゃサロン化するだろう。堪能した。
晩食は、京都五条の「松粂」で懐石料理。贅沢。→
22日(土)。満64歳の誕生日。同日に行われる時代祭ってどんなん?と昔から思ってて、これも念願叶っての観覧。結局2時間定点観測でほぼ全編見学。京都三大祭の一つだそうだが、実は一種の奇祭なんでないの。この地以外では開催不能なのは確か。また見たいと強くは思わない感じ。→
22日(土)。時代祭結構ガン見して、次の予定の民博特別展観覧の時間なし。規模の小さい、お隣の、大阪日本民芸館の「特別展 濱田庄司と柳宗理 ふたりの館長」観覧。これはこれで悪くない。哀愁の(?)太陽の塔写真で〆て、2022年度関西行ツイートとします。来年も行きたいです。
20221023
『旧約聖書 Ⅴ サムエル記』池田裕訳(岩波書店 1998)始。五里霧中で旧約聖書読書を続けているが、この巻に至り、意外と読みやすくなってきたかも、と思ったら、やはり解説にp296「サムエル記は一つのまとまった文学作品であり、古来そのようなものとして多くの人々に読まれ愛され」とあって、納得。
20221024
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』(北海道出版企画センター 1995)。「蝦夷地」1959「第三章 蝦夷地と外国との関係」。「赤蝦夷」の由来、p271「唐人が、恐らく赤い着物を着ていたためだろう蝦夷達によってフーレ=シャムすなわち赤い隣国人と呼ばれていることから、松前ではこれを赤蝦夷」。
20221025
『宮本常一著作集 5 日本の離島 第2集』(未來社 1970)了。全編通して読んでみて、やはり「利尻島見聞」は文学作品としても出色の出来だなあという印象。「島めぐり」「一三 野母の樺島」、p269「今から二〇〇年ほどまえ関東の九十九里浜を中心としたイワシ漁場がひどい不漁におそわれ、大阪平野の棉作の肥料が不足しはじめたとき、これをおぎなったのは西九州のイワシと北海道のニシンであった。」、正確に言うと「蝦夷地の」ということになりましょうが。「一七 沖縄の島々」、p310「沖縄に注意深い目をそそぎはじめたのは故柳田国男氏で、大正九年この島々を訪れた(中略)氏は、ここが日本の古俗をのこす宝庫であると紹介し(中略)次第に日琉同祖の事実を明らかにするにいたった。」。p311「日本文化の原型ともいうべきものをのこしつつも、一方ではシナ文化の影響をつよくうけてきたのが琉球文化の特色であるということができる。」。p317「コメやアワを噛んではき出し、唾液によって醗酵させて酒をつくる古代の神酒醸造法がいまもまもられている。」、これは『ゴールデンカムイ』ファンなら、あああれ、と思い当たるやつ。それが樺太=サハリン島を舞台にした回に登場することを考えると、唾液醗酵文化がどの程度広範囲なものなのか気になるところ。次巻からは当面島を離れる。
20221026
筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』(ちくま新書 2018)。終わらない。新書一冊読破に何か月もかかる自分の能力の無さがつらい。かといって一冊集中の読み方もしたくないし。高杉洋平「第5講 武藤章 「政治的軍人」の実像」了。石原莞爾が時代の寵児から過去の人になりゆく過程の傍証として読んだ。
20221027
『吉田健一著作集 第六巻 舌鼓ところどころ 英国の文学の横道』(集英社 1978)始。「新鮮強烈な味の国、新潟」p35数の子の麹漬け「これは上方と松前の間を往復する船の船頭達が考へ出したものに違ひない。さう言へば、その色は日本海とその上にのし掛る曇つた空を思ひ出させるものでもある。」うむ。
20221028
『梅棹忠夫著作集 第5巻 比較文明学研究』(中央公論社 1989)了。非常に刺激・参考になった。「ふたつの比較文明論」p410「日本文化の研究において、日本民俗学が主として採用したのは、日本文化のなかにいきているもの自身による内省という方法であった。」。「比較文明論の課題」p427「日本中心主義、日本文明絶対主義というようなものはまったく存在しません。むかしはともかく、現在では、これほど自己相対化がすすんだ文明というのもめずらしい」。「近代世界における日本文明」p461「なぜ日露戦争がおこったのか、なぜ日露戦争で日本が勝利をおさめたかをかんがえてみると、それは、その時点の日本文明で評価することはできないのだということです。その背景には、やはり数百年、あるいはそれこそ古代律令制までさかのぼる、システムとしての発展の歴史があった。」。p462「文明というものは、すべてコピーなのであります。よその要素をコピーしながら、諸要素の統合原理は独特のものである。」。「文明学と日本研究」p474「文明というものは、さきほどももうしましたように、一種のコンバージェンスすなわち収斂あるいはどうか、おなじようになっていく方向にすすんでいく、それに対して民族学・文化人類学であるかう文化というものはしだいにダイバージェンスすなわち放散異化、ちがったものになっていく方向にすすむ」。p476「日本以外のアジア諸国は、封建制を経験しなかった」。「比較文明学の概念と方法」p490「僑民はその経済活動によって、移住したさきの社会において中産階級を形成した」。「近代化と宗教」p503「あくまで対比的にみればということですが、日本においての浄土真宗は大乗仏教界からでてきたプロテスタンティズムといえましょう。」。「近代日本における知と教養の伝統」p524「このように、知というものは人間を制御します。」、p528「日本の領主は徴税権をもっているだけで、土地所有権は庶民がもっていたのです。」。「現代文明における言語と文字」p541「つまり、将来の日本語は、ことばをえらばずにいえば、おぞましい日本語になるのでしょう。そのおぞましさに日本人はたえなければならない。」。杉田繁治「コメント1 梅棹文明学の根幹」p548「”アナロジー”に基づく発想は創造的発見法の一つの手法である。」まったく同感同意する。
20221029
『岩波講座 世界歴史 14 南北アメリカ大陸 ~十七世紀』(2022)始。責任編集・安村直己。帯「先史時代から植民地時代まで」。自分は日本人だが、パクス・アメリカーナ期のアプレWW2に、USA経由で後日本化された民主主義体制下で、米国文化の影響を微妙に受けている身であるという自覚とともに読む。
20221030
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)了。十全に理解したとは言い難いが面白かった。再読したい。「太宰治とその時代」(1973)。田中清玄と太宰は弘前高校の先輩後輩。弘前は本当に色々興味深い人たちを輩出するなあ。太宰治はほとんどまったく読んでいないので、そろそろ読むべきなのかも。
20221031
司馬遼太郎『街道をゆく 3 新装版 陸奥のみち、肥薩のみち 他』(朝日文庫 2008)了。吉田健一(1912-1977)が『舌鼓ところどころ』など食レポ名エッセイを残したのに対して、司馬はp87「トンカツは私の旅の小さな心得のひとつで、これは(中略)味に上下がない」なのが面白い。得手不得手はあるよね。
20221101
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。昭和16(1941)年、宮37-38歳。皇位継承権者のお一人とはいえ三男坊、今まで割とのんきな日記だったがさすがに1941年12月からは大緊迫。海軍軍人でかつ情報が漏れなく入るお立場、怒涛の戦況叙述が続く。戦死の報に心痛める宮様、お優しい。
20221102
『網野善彦著作集 第三巻 荘園公領制の構造』(岩波書店 2008)。例によって「泣き寝入り読書」:意味が取れなくて泣きながらときどき寝落ちする、が続く。がワード:宮本常一、で目覚める。p82「宮本常一はすでに多少異なる観点から、『倭名抄』に現れる加茂郷に注目し、漁猟との関係に言及している」
20221103
『開高健全集 第7巻』(新潮社 1992)始。「エスキモー」「太った」「笑われた」の三篇了。いずれも1960年代初頭初出、開高(1930-89)30代前半の作品。橋本治(1948-2019)の評論作品も通読中で、今は1980年前後。二人の同年齢期の作品に、年齢差以上の断絶を感じる。戦争体験の有無ってどうなんだ。
20221104
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅳ 電磁波と物性〔増補版〕』(岩波書店 2002)始。「第1章 AC回路」。1985-1997年の関西在住時代は、平日ほぼ毎日、実際のAC回路に触れて、さらには働かなくなっていたら直していたんだよな。その12年間を、回り道と考えるか否か。
20221105
橋本治『とうに涅槃をすぎて』(徳間文庫 1984)了。まだ日本人というよりか東京人だし、自分はもうこんな歳にと言ってる時点で若書きだし、自己言及的にしか他人に言及できないし、というまだ過渡期の橋本治。良くも悪くも大家になるのはいつ頃なのか。1989年か。その辺見極めながら継続して読もう。
20221106
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「日蓮上人を論ず」(1894)、p130「日蓮を東洋のルーテルと称するは不可なり、日蓮は東洋のサボナローラと称すべし。」、p138「日蓮宗は宗教的熱心を喚起せしも倫理的に日本を教化せず、日蓮の改革事業は実に教法的たるに止て倫理的たるに及ばざりし、彼は法を崇むるの余り法典崇拝家(Bibliolater)と成りて止みぬ」。同年刊の『代表的日本人 JAPAN AND THE JAPANESE』でも日蓮の生涯が紹介されるわけで、キリスト者内村にとっても日蓮は気になる宗教家だったんだろう。その『JAPAN AND THE JAPANESE』開始。農学校二期生、リテラシー馬鹿高。
20221107
塩出浩之『越境者の政治史 アジア太平洋における日本人の移民と植民』(名古屋大学出版会 2015)。「第2章 「内地雑居論争」における移民と植民」「第3章 アメリカのハワイ王国併合と日本人移民の政治行動」。半ば自主的に移住・定住した人民は移民・植民とは言わんのか。強制された者たちだけなの?
20221108
『漱石全集 第七巻』(岩波書店 1994)了。「彼岸過迄」(1912)。p10「海豹島」→p354注解「(チュレーニー島)は、樺太のオホーツク海側の北知床岬の沖にある小島。」、1925年に北原白秋も訪れ紀行『フレップ・トリップ』(1928)の中に記したことが書かれている。膃肭臍(オットセイ)の繁殖地。p290「階級制度の厳重な封建の代」は、大正初年近くまで続いていて、「高等淫売」や「高等遊民」はアッパークラスにの中にしか存在せず、p319「神経衰弱」になるのも当時はその階級の人々だけ。そして「洋行帰りの知識人」=漱石にもその資格があったんだろう。民主制度化の神経衰弱とどう違うのか。
20221109
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)了。「山の人生」(1926)、「雪国の春」(1928)。後者は初読。後に『本屋風情』で柳田disりをする岡茂雄の岡書院から初版が出た。「山の」、p606「日本は山国で北は津軽の半島の果から南は長門の小串の尖まで、少しも平野に下り立たずして往来することが出来る」、これほんまなんやろか。「雪国の」、p625「日本の雪国には、二つの春があつて早くから人情を錯綜せしめた。ずつと南の冬の短かい都邑で、編み上げた暦が彼等にも送り届けられ、彼等も亦移つて来て幾代かを重ねる迄、其暦の春を忘れることができなかつた」、この指摘は鋭い。北海道民などいまだに、四月になっては「春なのに雪降ってるー」などとぬかしている。蝦夷地の四月は冬で、毎年四月に雪降ってるっつーの。その一方で、p729「海の路は茫洋として早く忘れ易い。足跡を踏んで嗣いで来る者が無ければ、故郷の懐かしさも孫の代までは伝はり得ない。」。実証困難だが、実際そうだね。
20221110
フォークナー/篠田一士訳『アブサロム、アブサロム! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-09』(河出書房新社 2008)始。フォークナーは、名を聞くばかり、読んだことない。なぜだろう。ヘミングウェイとほぼ同世代なのか。1962年に64歳で死去、って今のおいらと同じ年だ。未読の作家に会う楽しみ。
20221111
『寺田寅彦全集 第七巻 随筆七 社会』(岩波書店 1997)了。「徒然草の鑑賞」(1934)、これは40年前に何度か読んで、自分の卒論でも引用した。寅彦らしい、現在にも通じる一文、p200「迷信に関する第九十一段なども頭の明らかなことを証する一例である。「吉日を選びてなしたるわざの、すゑとほらぬを数へてみんもひとしかるべし」というのは、現代の科学者が統計学の理論を持出してしかつめらしく論じることを、すらすらと大和言葉で云っているのである。この道理を口を酸くして説いても、どうしても耳に入らぬ人が現代のいわゆる知識階級や立派な学者の中にでもいくらでも見出されるのは面白い現象である。」。『徒然草』、現今は遁世者の無常観表出の書だけではないと理解されつつあるように思うが、寅彦、ここでも先んずる。p198「世間に立交わって人とつき合うときの心得を説いたものが案外に多い。」、p201「プラグマチックな処世道を説いている」など。兼好は稀有稀代の「一般人」よね。
20221112
永井荷風『荷風全集 第六巻 歓楽 すみだ川』(岩波書店 1992)始。「歓楽」は1909年初出で、漱石なら『三四郎』と『それから』の間の年。p5「二十世紀は紛乱の時代だ。経験から自個が感じたものより外に真理はない。」二十世紀はそれでよいとして、外にも真理を見出さないと神経衰弱一直線とも思われ。
20221113
季武嘉也編著『日本の近現代 交差する人々と地域』(放送大学教育振興会 2015)始。放送大学教材。分担執筆者:有馬学・中村尚史・永島広紀。院ゼミで使う、2021年刊の同編著者・同教材の『新訂 日本近現代史 民意と政党』と間違えて買った一冊(トホホ)。折角なので読んでみます。勉強になりそう。
20221114
『志賀直哉全集 第十六巻 日記(六)』(岩波書店 2001)了。昭和33(1958)年「常盤松日記」・同35年「渋谷日記」。志賀75・77歳。自分も大量の日記を書いてるが、77歳までいけるかな。まずは健康で、経済的に不如意でないことが大事か。日記巻はこれにて終了。次、志賀小説を読むならほぼ50年ぶり!
20221115
『谷崎潤一郎全集 第7巻』(中央公論新社 2016)了。「或る時の日記」1919、p479「東洋の藝術は大乗的であり、西洋のそれは小乗的だとも云へさうである。」、p480「藝術は悪人が悪人のまゝで解脱し得る唯一の道だと。」。谷崎の日記も第26巻に所収のようだ。奈良の志賀宅訪問の場面は出てくるのかな。
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