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閲覧録 202205-06 (20220516-20220615)

20220516
『網野善彦著作集 第二巻 中世東寺と東寺領荘園』(岩波書店 2007)。例によって、網野先生の文章が巧みなので読まさるものの、意味内容全く入ってこず、しくしく泣きながら頁を繰る。「付論 鎌倉・南北朝期の評価について」から印象に残った箇所、p369「古い「道理」の世界から「実利」の世界への転換がここに始まったと考えられるので、平家物語の世界と太平記の世界を区別するものは、すでにいわれているようにこの点にあったといえるであろう。そして長い混乱と停滞のあとをうけて「実利」の論理がそれなりに徹底したものにきたえ上げられていった時、「原始の自由」はついに殆ど失われてゆくことになったのであろう。」。本州島では近世にまで進んでいた時期に、蝦夷地では「実利」の世界の時代が始まり、「原始の自由」は失われていった、という解釈もできるのかも。あと現代でも、「原始の自由」満喫のために、古い時代の祭礼など残っていたりするんではないかな。

20220517
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。昭和15・16年分、35から36歳、皇族軍人として海軍勤務。p69、昭和十五年七月十六日分より「午後米内内閣総辞職。陸軍大臣が止めると云ひ出し、交代を出さぬためなり。陸軍の宇垣内閣不成立でシメた味の再挙。倒閣運動なり。」おわかりだ。注「2 昭和十一年一月、宇垣一成予備役大将(陸士1)に大命降下するも、陸軍が陸相を出さず組閣断念。」 。p71、同二十二日分「近衛内閣が成立した。大体、近衛系の人の様だが陸軍系と半々か。(中略)小林(これは間接的)が陸軍の系統。」。注「7 小林一三、商工大臣。」。小林=間接的=陸軍系、ここはちとわからない。第四代北白川宮永久王の軍務中の薨去から葬礼の方法の有職故実的な議論の叙述などあり、100p「今後の前例ともならず従来と変つても差支へないので、何にも馬車が二千六百年の皇族の葬儀の定形でもないのである。」。説得力が違う。英明であらせられる。時はまさに皇紀2600年。

20220518
『開高健全集 第4巻』(新潮社 1992)了。「片隅の迷路」1961年5月~11月毎日新聞連載の長編。1953年の徳島ラジオ商殺し事件を題材にしていると今ググって知った。「刑の確定および死後に再審によって無罪が言い渡された冤罪事件」だそうだ。無罪判決が出たのは1985年。1989年没の開高は何を思ったか?

20220519
橋本治『極楽迄ハ何哩(ゴクラクマデハナンマイル)』(徳間文庫 1987、原本 河出書房新社 1983)。1978~1982年にかけての雑誌等紙媒体メディア掲載分の雑文集。なんだけど、未発表文の所収2つが生彩を放ち、特に「閾より愛をこめて」が強烈。少年愛特集「現代詩手帖」の没原稿らしい。掲載分も「当世豚に真珠考」(「現代詩手帖」思潮社)として所収されており読み比べが可能。「豚に真珠は分らない。しかし、真珠を持ってしまった豚は、自分の豚さを忘れてしまう。」(豚真)、「もう少し、我が身にひきつけてモノ考えてもいいんでないの? それが今一番必要なことサ。」(閾愛)だそうだ。

20220520
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)。第15章 ベクトルポテンシャル。相変わらず数式は全く理解できていない。そうです私は、「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」(ご本人のツイートより)派ではなく、どっちも学べば派です。

20220521
『村上春樹全作品 1990~2000 6 アンダーグラウンド』(講談社 2003)始。原本は1997年の地下鉄サリン事件2周年の日に発行。当方は、その年の4月北海道にJターンして後、一読した。19970602 村上春樹 『アンダーグラウンド』: 田 原 書 店 外 伝 (cocolog-nifty.com) もう25年前の本なんだ。職業倫理・市民倫理や道義的価値観など今一度考えながら、再読したい。

20220522
『内村鑑三全集 2 1893‐1894』(岩波書店 1980)了。『伝道之精神』1894と『地理学考』1894(1897年『地人論』と改題)。p317「党派心の基は慾心なり、即ち「我」を一団体に移せしものなり、即ち党に因て「我」を張らんとするにあり」。p346「革新は善行の奨励より来りて欠点の摘字より来らず」。以下、『地理学考』から。p362「「人は其周囲の自然の如くなり」」。p366「地理学と歴史とは舞台と劇曲との関係なり、地は人類てふ役者が歴史てふ劇曲を演ずる舞台なり」。p378「北海全道の漁獲は僅かに四十万の民を支ゆるに止て、石狩平野の開鑿は麦麺を以て日本全国民に給するに足る」。p385「歴史は山に始まり平原を通過して海に終る、三者其一を欠て国民の発達は健全なる能はず、人類歴史の多分は此地理学上三原素の相互の関係なり」、p417「人は戦て後始めて他と和するの道を知る事是なり」、p424「歴史は地理学を離れて独歩せざるなり。」。鑑三、33歳。生活窮迫、著作多産の時代。

20220523
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)。「第2部 アジアにおける思想連鎖」途中。p303「その意味ではフランス革命やアメリカ独立革命を模範としながらも挫折した自由民権運動を、異なった時代と社会で実行しようとして出発したのが中国の革命運動であったとみなせなくもないのである。」、p310「中国は文明であって国民国家ではない、との言説は国民国家が文明国標準によって成立するとするかぎり明らかに矛盾している。それはむろん文明といわれるものの内実が違っており、国民国家を成り立たせている文明こそが文明であるというトートロジーによって近代世界が成立していることを如実に物語っていたのである。」、p311「自由・平等・互助」(出典は第2部第6章 注105参照)は「自由・平等・博愛」と同意なのか?仏語で「fraternité」というのか。博愛・友愛より互助の方が具体的で分かりやすいかも。「博愛」は上から目線っぽいし(鳩山さんちの施し的な)。

20220524
『漱石全集 第四巻』(岩波書店 1994)了。「虞美人草」(1907年初出)巻。明治期以降の家制度について改めて考えた。実は登場人物はすべてその行動を多かれ少なかれ家制度によって規定されているわけで。「自由・平等」の有り様も変わってくるし。宗近家の自由さは現代に近いよなあ。対して甲野家は。

20220525
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)始。「赤子塚の話」1920年。柳田翁一生涯でよくこの分量書いたなと驚くが、ペン書きでなく身体的負担が少ないだろう墨書が幸いしたのではと思い至る。現在は更に負荷の少ない文字入出力が可能な時代のはずだが、今柳田が生まれるかどうかはまた別の話だよね。

20220526
残雪/バオ・ニン『暗夜/戦争の悲しみ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-06』(河出書房新社 2008)始。「暗夜」了。戸惑いつつも一気に読んだ。クライマックス皆無の不条理小説とでも言おうか。最近はよく読書中に寝落ちするんだけど、そんな時は目を瞑ったまま二三行読んでたりする。要するに自分で文章を捏造してそれを読んでる。なんか文意が取れないな変だなと思って目を覚まして、また本編読書に戻るみたいな。「暗夜」は全編そんな感じ。読み手の夢想を待たず、作家がそれを夢うつつではない現実下で提示してくれるわけで。前ツイートで「一気に読んだ」と書いたが、実は寝てたのかも。

20220527-29
東京仙台松島行20220527-29:古書籍商組合加盟の古書店店主として、東京神田神保町の月例「明治古典会特選市」と宮城県松島町の第2回「宮城組合松島皐月大入札会」に参加するため、北海道新千歳空港から内地(本州)に向けて出発。朝からベアドゥ(AIR DOのマスコットキャラ)登場とはご挨拶だな。
東京仙台松島行20220527東京:正午、神保町駅に辿り着くと豪雨。地下鉄出入口向かいのビルのカレー「ガヴィアル」で雨宿り兼昼食。店を出る頃には止んで、三省堂本店の垂れ幕を撮影。神保町を発祥の地とする大学を出たけれど、ほとんど訪れる事がなかったので、40年後の頻繁の行き来が不思議な感じ。

東京仙台松島行20220527東京:明治古典会特選市での入札落札発送を終えて、18時過ぎ、『ゴールデンカムイ展』@東京ドームシティGalleryAaMo。大盛況(会場が狭いのもある)。若者達の祭典に、場違いな道産子のおじ(い)さんだが一応観覧、公式図録も購入。そうか若者達には同世代人の物語なのか。

東京仙台松島行20220528仙台:特急券でのJRでの列車の旅は久しぶり。ひたち3号。東日本大震災から11年余、復興なったのかどうか、やはり車窓からの風景だけでは判断できなかった。仙台はいい感じの街だった。「磯料理 喜良久亭」で昼食、「仙台 光原社」で買物。「書本&cafe magellan」でセドリ、

東京仙台松島行20220528仙台:→「せんだいメディアテーク」も覗かないわけにはいかず(思いのほか街並みに溶け込んでいたのが印象的)、好天のもと新緑の中(さすが青葉区)よい散策になった。晩食は、牛タンでしょ。仙台駅ビル内の牛タン通り内の某店。ズンダ餅などはまたの機会に(あるのか?)。

東京仙台松島行20220529松島:仙台市内からJRで松島方面へ。乗換の高城町駅で、石ノ森章太郎作品キャラペイント「仙石東北ライン マンガッタンライナー」に遭遇。松島海岸駅下車で、瑞巌寺見物。実は仙台も松島も初めて。伊達政宗の威光は今も残るんだな。大入札会会場は、高城浜の「パレス松洲」。→

東京仙台松島行20220529:「松島皐月大入札会」でもそこそこ落札できて、まあよい旅になったのではないか。JR松島駅から仙台駅乗換・仙台空港線で帰路へ。IBEXエアラインズ(ANAとの共同運航便)利用。機種はボンバルディア CRJ700。大間崎かと思ったら、尻屋崎だったでござる(でも素敵な風景)。

20220531

20220530
『寺田寅彦全集 第五巻 科学1』(岩波書店 1997)。「科学者とあたま」1933、p234「自然は書卓の前で手を束ねて空中に画を描いている人からは逃げ出して、自然の真中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。」。昭和8年の「セレンディピティ」についての記述だよね。
「学位について」1934、当時の日本人の物理化学に関する論文数の比率の少なさを指摘した上で、p251「軍艦の比率を争うのも緊要であろうが、科学戦に対する国防がこの状況では心細くないか。」。この手の話は意外と今でも聞かされるような気がする。さすがに「軍艦の比率」との比較はなされないか。
「観点と距離」1934、p255「人の容貌の肖似ということについての人々の考えの異同」、p256「甲にとってはほとんど自明的と思われることが、乙にとっては全く問題にもならない寝言のように思われることもある」、悩ましいよね。が、だからこそ「世にも不思議な職業」批評家が成り立つと寅彦はいう。

20220531
永井荷風『荷風全集 第四巻 あめりか物語 西遊日誌抄』(岩波書店 1992)始。『あめりか物語』1908 を途中まで読んだが、荷風覚醒の感が強い。なるほどこうして人は化けていくんだ。1908年7月第2次桂太郎内閣成立、8月博文館より『あめりか物語』刊行、9月には漱石『三四郎』新聞連載開始の年代観。日本で日本の事を書いている分には、荷風の作品にはあまり登場しないであろうp19「出稼ぎの労働者」が、作中にしばしば現れる。その結果、p107「加州に於ける日本の学童排斥問題」などという、反荷風風味な文言に出会ったりもする。日本人の出稼ぎの歴史について何か書かれたものはあるのだろうか?

20220601
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)。第1部現代の政治 第3章日本の政治制度。恥ずかしながら、p57「国会には,予算審議を中心に毎年1月に召集される常会(通常国会,第52条),総選挙後に内閣総理大臣を指名する特別会(特別国会,第54条),内閣や議員の要求で必要に応じて開かれる臨時会(臨時国会,第53条)の三種類がある。」、認識してなかった(汗&泣)。p64「行政を実際におこなうのは「全体の奉仕者」としての公務員で,複雑な行政システムを動かす専門的な知識を持った行政官僚の力が大きくなっている。」、続けて官僚制の問題点も列挙されており納得。

20220602
『志賀直哉全集 第十四巻 日記(四)』(岩波書店 2000)。昭和9(1934)年・昭和9年「山中日誌」、志賀51歳。いわゆる戦前期に書かれたものなんだけど、ほとんど平時にしか書きようのない、身辺雑記に終始していて凄い。あと芸術家としての変な自己愛なども皆無。いっそ清々しい。ものすごい健康体。

20220603
『谷崎潤一郎全集 第6巻』(中央公論新社 2015)始。単行本『小さな王国』天佑社1919 。奈良在住時の志賀直哉日記には、関西在住時の谷崎来訪の記事が多い。1883と1886、共に東京生で古典芸能好きなのだから話は合うだろう。なのに作風がまったく違うのが面白い。谷崎1918中国旅行(南京周辺)してる。

20220604
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。1890年9月12日、南部サハリン、コルサコフ(日本領時代は大泊)に到着。p285、セミョーノフやデンビーが出てきて吃驚。再読の甲斐あり。チェーホフはデンビーと会っている。清水恵『函館・ロシア その交流の軌跡』読も。

20220605
『民家論 今和次郎集 第2巻』(ドメス出版 1971)。「調査」「小笠原群島の家屋」に下見板張り(P264,264)が登場する。p259「現在の住民の先駆をなしたと考えられ、また大洋を漂流しつつ、小笠原群島にたどりついたと考えられるところの帰化人」の影響があったのかどうか。独自発明の下見なら面白い。

20220606
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)。「木喰五行上人の研究」「第四篇 故郷丸畑に於ける上人の彫刻」。いよいよ木喰上人の発見と評価は柳の大きな功績だった感が強い。岩波文庫『木喰五行上人の研究』刊行希望。20220606ブラジル戦があったので、ほとんど読み進められませんでした。

20220607
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫 2016 初出2009)。「2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題」。院ゼミ輪読レポートで『岩波講座 日本歴史 17 近現代3』2014の小川原宏幸「韓国併合と植民地官僚制の形成」担当中。両書を比較して読んでも考えが纏まらず。これぞ「演習」。

20220608
『突っかけ侍 下 子母澤寛全集 三』(講談社 1973)始。寝落ちしてほとんど読み進めず。約一ヶ月前に「上」を読んで、登場人物の名前と関係をすっかり忘れていることも判明。突っかけ侍ならぬ、すっかりご老体。4-8まで、勝小吉・海舟親子の物語になるので、それを楽しみに少しずつでも読み進めよう。

20220609
『中谷宇吉郎集 第五巻 立春の卵』(岩波書店 2001)了。1945年~1952年に発表された作品群。時代背景を考えながら読むとさらに印象深くなる。中谷随筆中の「土佐源氏」的作品「I駅の一夜」を再読、附記末「私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄てない。」に中谷の矜持を感じる。
「立春の卵」、p241「何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。」「そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。」いや、あるでしょう。「基本的人権」も発見されるまでなかったのだし。卵立てましょ。
岡部昭彦「解説」、p301「そのころ、著者の属する北海道大学理学部には三人の名エッセイストがいた。著者のほかに数学の吉田洋一と動物学の内田亨である。」吉田『零の発見』読んだ(内容、忘れた)。内田亨、読んでみよう。今の北大には、そういう方々はおられるのか?いないなら、何故消えた?
巻末「『団栗』のことなど」が素晴らしかった。岩波文庫『寺田寅彦随筆集』第一巻(1947)巻頭の『団栗』についての文章。寅彦が書きたくても書けなかった事情・事柄について触れられ、こちらは中谷の寅彦愛の深さを知る。結核と家族制度が、明治大正昭和初期を生きた寅彦にとって大障壁だった、と。

20220610
『旧約聖書 Ⅲ 民数記 申命記』山我哲雄・鈴木佳秀訳(岩波書店 2001)了。「申命記」、面白かった。今自分が漠然と旧約的モラルとして把握しているところのものが、次々列挙されていた。律法の言葉(民族のルール)を文字言語化し、後世にアーカイブとして残したもの達だけが、生き残るという話かと。

20220611
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』解説田端宏(北海道出版企画センター 1995)。「天明以前の蝦夷地開拓意見」。日本人の強固な稲作願望ミームについて考えるその1。「北海随筆」から引いて、p90「津軽も以前は松前の如くに米出来さる国なるへきに今弘前より外ヶ浜へかけて悉く平田と成しは…」

20220612
『宮本常一著作集 4 日本の離島 第1集』(未來社 1969)了。日本人の強固な稲作願望ミームについて考えるその2。p235「米への憧れというか魅力というか、それは日本人の宿命的なものであったといっていい。その本能に近いまでになっている愛着から人びとはなかなかぬけきれないのである」我等米国人。

20220613
『昭和史講義3 リーダーを通して見る戦争への道』2017。小山俊樹「田中義一 政党内閣期の軍人宰相」・西田敏宏「幣原喜重郎 戦前期日本の国際協調外交の象徴」・井上敬介「浜口雄幸 調整型指導者と立憲民政党」・五百旗頭薫「犬養毅 野党指導者の奇遇」・村井良太「岡田啓介 「国を思う狸」の功罪」。

20220614
『吉田健一著作集 第四巻 日本に就て 甘酸っぱい味』(集英社 1979)。「日本に就て」1957年刊。自分で何か書くより引用で済ませた方がいいだろうな。「知識人批判」p24「日本的であるといふのは、論理に対して感情で答へるといふことであつて、これは相手の論点が掴めないからである。」いや全く。
「二十年後の日本文学」34p「一つの文学作品にもし思想があるならば、それはその作品を書く仕事が進む形で育つて行き、書き上つた作品がその思想なのだといふことが、現在の日本文学では根本的に無視されてゐる。」「文学」のところに別の語句を入れても色々通用しそう。約65年前の文章なんだが。
p40「言葉の終りに学の字を付けたのはまづかつた。それで文学は一種の学問と誤解されることになり、だから、習へば覚えられて、覚えて置くだけだといふ考へが流布することになつたのである。」これは開高健も似たようなことを言っていた。「文楽」が良かったんだが的な。そのうち出くわすだろう。
「文士は、隠士であつて始めて士たり得る筈なのである。」。「チャアチルと文学」p59「候文が読み易くて、書き易いのは、それが何代もの人間の格調ある話し言葉から生れたものだからである。」、p64「文学の世界は健全な文明では、我々が生活する世界と同じ広さを持つものなのである。」すごいな。
日本史学専攻の大学院生(修士だけどね)として気になった箇所。上原勇作。「牧野伸顕」153p「西園寺は上原の申し入れをどう解釈すべきか解らなくて、牧野に上原の所に行かせてもう一度その真意を確めさせた。上原は牧野と開成学校の同窓で、二人はさういふ関係から気安く付き合つてゐたが、その日は上原は別人になつた様子で、西園寺に言つたのと同じことを牧野にも繰り返した。牧野は、予算案を議会に提出するのは憲法によつて規定されてゐるのであり、これには各大臣の副署が必要であつて、閣議に掛けずにかういふことを決めるのは違法であることを指摘した。併し上原は、自分はさうは思はないと言ふだけで話にならず、牧野は帰つてそのことを西園寺に伝へた。西園寺は改めて上原の申し入れを拒絶し、上原は単独に天皇に拝謁して辞職することを内奏し、陸軍はその後も何度か用ゐることになつた手段に出て後任の陸相を指名することを拒否したので、西園寺内閣は総辞職した。」歴史家じゃん。

20220615
『梅棹忠夫著作集 第4巻 中洋の国ぐに』(中央公論社 1990)了。「中東文化ミッション」1978、p503「トルコの近代化に対比できるのは中国の近代化ではないだろうか。オスマン帝国と大清帝国は平行的な存在であり、青年トルコ党の革命は辛亥革命に比較できるのではないか。ケマル・アタチュルクは孫逸仙(孫文)に匹敵するであろう。」 「イスラーム文明と日本文明」1980、p590「ヨーロッパと日本とは、文明史的位相がおなじである。ユーラシア大陸の両端において、近代化という平行現象がおこったにすぎない」「日本は、日本の歴史的な環境のなかで、独自の伝統のうえにたって近代化をなしとげたのであって、その近代化の技術をトランスファーするということは不可能でございます。近代化に通則はございません。秘訣もありません。それぞれの伝統と環境のなかで、独自の道をさぐるほか道はないのではないでしょうか。」 p522「基礎研究の重要性」を読んでリベラルアーツについて考えた。

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