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『恋する虜』 ジャン・ジュネ

 デモクラシーとは、他民族排斥に立脚し、自民族中心的な平等を謳うものかもしれない。

宗教や政治的イデオロギーによらず、結局、人間という欲深い動物は、現代文明において〈理性〉を完成させつつあり、バタイユ的〈至高の感性〉への欲望など、消耗的資本主義と孤絶しても生きていけてしまう社会のなかでは、塵のような概念ですらないものになりかけている。ほんとうの友愛なんて幻想でしかないのだろうか。世界のいたるところで、民族弾圧/紛争/戦争が起きている。ヨーロッパ周縁国ならば、大々的に注目される。グローバル・サウスやアジアの紛争関連などは、見向きもされない。さまざまな研究者たちが高い関心を寄せつつも、〈無関心〉を世界は装い続けてきていないか?

悲痛な叫びはいつも一瞬で、他の情報の洪水によってかき消される。ヨーロッパ周縁から離れれば離れるほどにそのスピードは速い。二〇二三年十月七日、イスラエルに対して、パレスチナのハマスがテロ行為に及んだ。その後、イスラエルは報復に出て、再び、ガザは地獄絵図となっている。
この投稿記事を書いている二〇二三年十月十九日、安全保障理事会議で、米国は、ガザへの人道的救援物資を送るための一時停戦に拒否を投票した。にわかに信じがたい行動である。

イスラエル/パレスチナ問題は遡れば、紀元前にまで及ぶ。それでも一九一五年、英国の三枚舌外交までは、ここまで激戦的でもなかったように見える。

フセイン・マクマホン協定という協定をアラブ人たちとイギリスは結び、オスマン帝国からの独立をささやいた。
また、サイクス・ピコ協定では英仏露でアラブ一帯を分割統治することを結んだ。
さらに、バルフォア宣言にてユダヤ人たちにはイスラエルの復活をささやいた。

『世界史史料』10 歴史学研究会編集 岩波書店 参考

 二十一世紀に入ってから、とくに、二〇一四年付近のシリア内戦以降、宗教というよりも、宗教を大義名分にした、戦闘員の人間性の無さばかりが強調され目立つようにも思える。その戦闘員を育てたのは、どこなのか、誰が何のために、そうした使い捨ての駒のような人材を育成したのか。

また、一九九九年、ガザ沖三十六キロに、油田が発見され、資源をめぐってイスラエル周縁国がざわついた。

それ以降もいくつかガザ沖で発見されている。

イスラエルによるパレスチナ自治区との隔離壁は、西岸が二〇〇二年、ガザ地区が二〇〇七年。
この前後イスラエルによるガザ侵攻は、以下のとおり。

2008年、2009年、2012年、2014年、そして2021年と、イスラエル軍は逃げ場のないガザに大規模軍事侵攻を行いました。 2014年の軍事侵攻では、過去2回をはるかにしのぐ激しい攻撃が、空、陸から51日間にわたって行われ、 死者2,251人(うち70%が女性や子どもを含む民間人)、 負傷者約11,000人、全壊・半壊家屋18,000戸という大きな被害がもたらされました。

2021年5月には11日間にわたって空爆が続き、民間人や子どもを含む約2,500人が死傷しました。

停戦後の現在も封鎖は続き、破壊された町の復興は遅々として進んでいません。 人々は、 いつまた繰り返されるかわからない戦争の恐怖を抱えながら生活しています。

認定NPO法人 パレスチナ子どものキャンペーン
より引用

世界がイスラエルによるジェノサイドを見て見ぬ振りをするのはこれがあるからじゃないのか、と穿った見方をしてしまいそうになる。
しかしながら、地下資源発見前からも苛烈な民族浄化を植民地主義的シオニストたちによるイスラエルはパレスチナに対して行ってきた。

二〇一四年以降、サイードの『パレスチナとは何か』は何度も繰り返し読んでいた。

『パレスチナとは何か』は何度も読み返していた時期があった。
特に写真に見入った。
シオニズム、ユダヤ人の政策は国家を形成した。
一方、パレスチナ解放運動、世界からはテロと言われ、パラドクス的に彼らは利用されつくす。

〈かなり脆弱な基盤に対する十分な思いやりの感情〉─寛容さと連帯はどこかへ消え去り、いまや、報復に次ぐ報復で、〈目下のように暗い時期にも主要な慰めがあるとしたら〉、感傷のみであろう。

パレスチナのシオニズムとの負け戦を歴史的に特徴づけてきた健忘症と不注意さ、また、物事を十分に考え詰めず、目撃したことを記録にとどめず、人々の業績を記念せず、時間を紛失するにまかせるような近視眼的性格

『パレスチナとは何か』エドワード・W・サイード 岩波書店 pp111

これは何も遠い土地の空間に横たわる歴史の一部がもつ側面だけでなく、比較的平穏な日本に住む我々にも潜む〈歴史の健忘症が重度な傍観〉に繋がるのではないか? 僕は読んでいた当時も、いまも、そのように思えてならない。

自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった

『日本の思想 (岩波新書)』丸山 真男

アウトサイダーとしてパレスチナ問題を書くことが自らの使命と考えたアメリカに亡命したパレスチナ人サイードだが、ユダヤをルーツにもつ、ジュネも晩年、それを使命としていたように、僕は感じる。

初期、中期のジュネは破天荒で官能的詩人のような作品を残してもいるが、晩年のジュネは、アメリカのブラック・パンサー1960年代後半から1970年代に黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開した急進的政治組織パレスチナ解放運動に深く関わり、自らの贖罪をするかのように、世界から無視されたようなひとびとを支援した。
僕は、晩年のジュネの遺作となった『恋する虜 パレスチナへの旅』に大いに感銘を受けた。

前半、海老坂武先生の訳もとても素晴らしいので、はじめだけ紹介したい。

 始めは白かったページが、いま、上から下まで、こまかな黒い記号によって走り抜けられている。文字、 言葉、コンマ、感嘆符などで、このページが読みうるとされるのは、これらのおかげだ。とはいうものの、 心の中には一種の不安が残り、吐き気にきわめて近いあのむかつきがあり、書くことをためらわせる気持 の揺れがある・・・・現実はこの黒い記号の総体なのだろうか? ここにある白い部分は一種の詭計で、 羊皮 紙の半透明粘土板のかき傷のある黄土に替わるものだが〔羊皮紙、書き板、共に紙の発明以前に用いられた〕、浮きあがっているあの 黄土も、あの半透明もこの白い部分も、おそらく、これらを変形させる記号以上に強力な現実性を備えて いるのだ。パレスチナ革命は無の上に書かれたものなのか? 無の上にかけられた詭計なのか? そして 白いベージは、また二つの言葉のあいだに姿を現わす白い紙のわずかな間隔の一つ一つは、黒い記号より も現実的なのか? 行間を読みとるだけなら技術は水平的で穏やかだが、言葉のあいだを読みとるともな ると垂直的で険しい。パレスチナ人たちのかたわらで彼らとともにではなく過ごした時間の現実 が、もしもどこかに留まるとするなら、うまくは言えないが、この現実を語り伝えようとする一つ一つの 言葉のあいだに保たれ続けるだろう。

『恋する虜』ジャン・ジュネ 鵜飼 哲/海老坂武 訳 人文書院

イスラエル建国前後から、この百年近く、とくに、近年の戦争は、彼らの時代のそれよりも、利己的で、ナルシシズムに満ち、ヒューマニズムは欠落している。

現代の紛争戦争の様相は変わったが、数千年にわたる歴史とそこに大きく横たわる宗教をまったく知識なく、無知なまま傍観者的に観念ばかりを声高にし、上辺だけを掬い上げたところで何ら前に進まない。

注視せねばならないのは、ハマスが、「こんなに武装政党となるまでに至ったのは、どういう背景があるか考えてみろ」というスタンスで人々の「感情」や「感傷」に訴えようとしている点であり、それらをコントロールしようとしている点も加えていいかもしれない。
ガザはハマスではないが、ハマスでもある。というパラドクスを持ってもいる点を忘れてもならない。
ハマスが、民衆と周縁国の感情や感傷を上手くコントロールしたとしたら、ファシズムあるいは恐怖政治が台頭するのだろうか。
これは、「ハマス」という語彙を、「イスラエル」と置き換えても同じことが言える。

注視せねばならないのは、イスラエルが、「こんなに極右政党となるまでに至ったのは、どういう背景があるか考えてみろ」というスタンスで人々の「感情」や「感傷」に訴えようとしている点であり、それらをコントロールしようとしている点も加えていいかもしれない。
カナン(パレスチナ)はイスラエルではないが、イスラエルでもある。というパラドクスを持ってもいる点を忘れてもならない。
イスラエルが、民衆と他国の感情や感傷を上手くコントロールしたとしたら、ファシズムあるいは恐怖政治が台頭するのだろうか。

上記は前述の僕の文章を「ハマス」から「イスラエル」に置き換えてみたものである。

〈強い〉というのは、弱った共同体の民衆の感情をコントロールしやすい。一時の武力による報復や衝突後は、〈弱った共同体〉の〈個〉の心のケアをするのでなく、全体主義へと向かうかもしれない。それぞれの共同体の様相が、恐怖によってひとを押さえつける最悪のケースになりかねない。

侮辱が心に残した跡は、あるいは私たちを傷つけたり苦しめたりした事柄は、優しさが残してくれた跡よりもずっとすばやく甦る。悔辱されたことを自分の意志で思い出すことは稀で、逆に私たちはそれを遠ざけておくものだ。幸福な瞬間を思い出す時、たとえ束の間のものでも、想像上のものでも、辛い出来事が残した跡はたちまちにして現れる、執拗な、一般に固定した形の記憶となって。

『恋する虜』ジャン・ジュネ 鵜飼 哲/海老坂武 訳 人文書院
pp 561

感傷がスタートではあれど、冷静にいま目の前で起きていることを整理して考える力をみうしなっては、ならないだろう。感傷に浸っていると、〈固定した形の記憶〉から抜け出すことなく憎しみの連鎖を断ち切れないかもしれない。感傷に囚われることは、ヒューマニズムと逆行する結果に陥ることもあるかもしれない。

ヒューマニズムの欠落からの残虐性は、紛争や戦争といった大きな不条理だけではなく、我々の社会生活、そのものにも大きく影を落としている。独裁政権と言っても過言ではない今の政治やそれに隷属する行政。憲法にいたっては、特権を持つものと市民との契約書であり、特権を持つものが守らねばならぬものなのに、今や、一党独裁の政党は、市民に憲法を守らせようとしている。 

密室会議によって決められ、トップダウンでおりてくる国の施策。 税は上がる一方でじっと傍観者として、斜陽を嘆く〈太陽の街〉──ユートピアの市民たち。
何をするわけでもなく、声もあげず、ただ、状況は知っているふりをする傍観者たちのいかに冷酷なことか。権力者とそこに隷従するものたちの暴力のひとつではないか?

一九四二年に、レジスタンスの時すら耳にしないうちに投獄された十六歳の若いユダヤ人は、ある朝人質として銃殺されようとしていることを知った。大人たちは彼が生きられる世界をこしらえるのだと主張していたが、彼らはその代わりに彼の信頼を要求し彼は大人たちを信頼していた。ところがそれは彼を殺すためだったのだ。この盲目的な信頼と、大人たちが彼に教え込んだ楽天主義と、彼の正義と無限の投企との名において、彼は反抗しなければならなかった。だが誰に対して? 誰にそれを訴えるのか? 〈神〉にか? 

『聖ジュネ』 J.P.サルトル 人文書院 pp403-404

ジュネの本望ではなかったにせよ、サルトルの洞察力は、ジュネの多角的な魅力がプリズムのようにして、僕に彼の残した作品のもつ人間らしさを燦然と輝かせてくれてもいる。

 ときおり、このようにして、〈言葉〉は書いたものの肉体が朽ちても、あかるく輝き続ける。宗教、宗派、世代、人種、国境、環境──こうしたあらゆる〈境界〉を超えて、寛容さといたわりとをやさしさを持ち寄って、共生するための手段が〈言葉〉でもあり、人間の叡智の結晶のひとつではないか?
消耗的資本主義のなかで、気を抜くと、傍観者になり、すべては他人事にするような時代の潮流に流されてしまっていると、言葉そのものが、いくら、観念的であったり、差し障りのない個に留まり、自己の中心の底抜けの闇から突き抜けた先の社会へと視座をあげることなく、書く、あるいは、読むのみで行動するふりをすることが、いかに〈理性的〉か、考えない。
そうした状況のままで書かれたもの──それは、魂が乗っておらず、非常に軽いものですぐに陳腐なものへと変わるかもしれない。
けれども、サルトルらの時代の人々の文章、言葉には、魂が乗っている。
だから、いかりのように重く、陳腐化しにくい。

なぜならば、

彼らの言葉は、他者をとおし、自らの自由を選択し続けそこに全責任を負って、行動する、という泉から湧き起こったもの

だからだ。決して、知識だけに留まることなく、彼らは、行動した結果として、記憶を記録したからだ。

だから、彼らは、〈言葉〉、として、いまも生きて、耳を傾ける者たちに、語りかけてくる。

これを書いている僕や、この拙い僕の文章を読んでいるきみは、耳を傾け、目を見開き、行動しているか? ──常に、問われる。

カストールボーヴォワールの愛称が亡くなったあと、後を追うようにしてジュネも亡くなった──彼女ほどにはその死は世界から注目されなかった。無垢で堕落した自由を追い求めた先に、移民や難民、解放を求めるひとたちに身を捧げたジュネが、僕は好きだ。

ペンは剣より強し──そのような幻想を手繰り寄せながら、ルポを超えるルポのような文学、あるいは、文学のようなルポで表現したジュネの遺作、『恋する虜』を読み返していた。




参考文献

『日本の思想』丸山眞男 岩波新書
『世界史史料』10 歴史学研究会編集 岩波書店
『パレスチナとは何か』エドワード・W・サイード 岩波書店
『恋する虜』ジャン・ジュネ 鵜飼 哲/海老坂武 訳 人文書院
『聖ジュネ』 J.P.サルトル 白井 浩司 訳 人文書院
『ヒロシマの人々の物語』G.バタイユ 酒井 健 訳 景文館書店
『ユダヤ人の歴史』上下 ポール・ジョンソン 徳間書店

東地中海への期待と不安(1):イスラエル・レバノン海上境界合意とイスラエル・エジプト探鉱ブーム、そして新規入札ラウンドへ』独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構

イスラエル・ハマース衝突が石油・天然ガス情勢に与える影響』同上


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