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初恋 6月のピアスの女

縦書き版

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横書き版

「サルトル仮称くんなら私なんかより可愛い子見つかるよ。」

雨の降る9月中旬の三宮。駅の改札口でそう言いながら、手を振るかなちゃんの後ろ姿を呆然と見送った。高校を卒業したその年の、まだ時折、夏の空気が纏わりつく秋だった。

2ヶ月、いや3ヶ月近く彼女をほったらかしていて、その日午前中から、ようやく時間に余裕ができ、久しぶりにデートだった。
この夏、神戸で大工見習いも4年になり、5年目を迎えた。俺は建売3軒掛け持ちしながらリフォームやら応援で工事入ったりもしていたし、日曜なんてほぼなかった。とにかく忙しかった。帰ってきたらスマホなんて見るだけの気力も残っていなかった。だから、彼女のかなちゃんからのLINEには一応見てはいたけど、返信しなかった。
そんな状態が9月上旬まで続いていた。中旬になり、ようやく彼女に会えるくらいには落ち着いた。

俺とかなちゃんはいつも通り、スタバで待ち合わせしていた。雨でも俺は久しぶりにかなちゃんに会えると思うと気分は良かった。店に着くと、かなちゃんが先に来ていて、席を取ってくれていた。いつもなら、コーヒーは俺が奢ってあげていたのに、既にかなちゃんはコーヒーを飲んでいた。

「うちら、付き合ってたの3年半やけど、色々ありがとう」

俺が自分の分のコーヒーを持って席に着くと、かなちゃんは冷静な顔つきでそう一言言ってしばらく黙っていた。

別れ話を切り出されたのに、俺は機嫌が悪いんだろう程度にしか考えていなかった。
かなちゃんはいつもと違い、化粧をしていた。そのせいでなのか、とても凛々しくも見えたし、派手な感じもして、俺は居心地も悪かった。

「どういたしまして〜。何か美味いもん食い行く?そしたら機嫌治るんやないん?」
「そうじゃなくて、別れたい。ごめん。サルトルくん悪くないし、私のせいなんやけど、疲れたんよ。」
「なら2人きりなれるからホテル直行デートや」
俺はその時、正直言って、さっさと2人きりになってやる事やって仲良くしていたかった。
「そうやなくて。」
「なら、何?かなちゃん生理?何でそんな怒っとるん?」
「わかってもらえんのならもう帰るし。」
呆れながら、かなちゃんがそう言って席を立とうとしていた。

「意味わからん。何に疲れてん?仕事?」
「あんたに疲れたって。」
「何で?」

俺はかなちゃんに、この3ヶ月の話を説明して連絡くれても、ろくすっぽ返せなかったことを謝った。
それでも、かなちゃんは、ただ、「疲れた」としか言わない。

「だから、謝っとるやんけ。何で別れなあかんの?」

俺がそんな風に不貞腐れながら言うと、かなちゃんは、極めて冷静な顔つきで理由を少しだけ話し始めた。
久しぶりに見るかなちゃんの横顔は、化粧がしっかりされていて、小さなピアスもしていた。髪も下ろしていて派手なギャル風になっている気がして、落ち着かなかった。

かなちゃんは定時制高校1年の頃からの彼女で同級生だった。
地味な顔立ちのかなちゃん。小さな一重のつぶらな瞳と丸い団子鼻とおちょぼ口で丸顔だった。化粧はリップクリームくらいで、眉も描いてなかったし、髪は後ろでいつも一つに括っていた。背も150cmちょっとで、180cm以上ある俺の胸くらいしかなかった。
ある日、俺は高熱を出して提出物を出せず困っていた。工務店に寄って、俺の分を提出しておいて欲しいとかなちゃんにメールで頼んだ。かなちゃんの勤務するスーパーマーケットは工務店の近所にあったから、他の誰かに頼むより、速いだろうと思った。
すると、快く承諾してくれて、工務店に取りに来てくれた。
その夜遅く、かなちゃんからメールが届いた。
「いつもお仕事大変そうだね、怒られてたのこの前見たけど、頑張ってるなーって思って、私も頑張ろうって思ったよ。
早く元気になってね!」

俺を見てくれている人がいた。

関東から関西へ家出同然のように叔父の工務店に住み込みの見習いでやってきて数ヶ月。知り合いはほとんど居ないし、毎日朝から叔父の親方に怒鳴られたりヘマをしてケツを蹴られたりしていた。先輩にもどやされたり、何かにつけてハーフである事をそれとなく意地悪く言われる毎日だった。
単細胞な俺は、そのメールに舞い上がって、あっさりかなちゃんに恋した。
学校帰りに一緒に帰り始めたり、とにかく1週間くらいかなちゃんに滑稽なほど涙ぐましいくらいに俺の存在をアピールしまくっていたと思う。
俺は自分で言うのも気が引けるが、背も高いし、日本人離れした人目を惹く顔立ちだった。
男友達にも女友達にも、地味な子が好きなんだ?とかからかわれたりしたり、意外だとか言われた。
俺の努力の甲斐と多少の見た目も手伝って、かなちゃんに付き合ってくれと頼んだら、少し戸惑いながらも、
「私なんかでいいの?」
と言いながらOKしてくれた。
当時の俺にとっては天使にしか見えないかなちゃんだ。だから俺は、「『私なんかで』ってより、かなちゃんしかおらん」とか言い返した。
かなちゃんは決して美人とは言えない顔立ちだったけど、俺にとっては世界一可愛い彼女だった。
そして何よりも他の女友達のようなギャルではなかった。素朴な化粧っ気のない、かなちゃんの素顔がホッとできて俺は好きだった。
それに背の低いかなちゃんを後ろからハグしながら歩くのが好きだった。

「サルトルくんみたいに私もピアスしようかな?」
付き合って半年くらいしてそんな事を言い出された。
「えー、絶対あかん!絶対ピアスとかやめて。俺ネイルとかもやるのあんまいい気せん。
かなちゃんにはとにかくそのままでいて欲しい」
俺の勝手な願望を延々と説明して、俺はピアスしているくせに、かなちゃんのピアスは反対して穴を開けないよう説得した。

スタバの中は雨の日の午前中ということもあって、さほど混んでいなかった。
「かなちゃんピアス開けたんや?」
「うん。7月に開けたよ…。そんなピアスとかどうでもええのよ。とにかく、うち、別れたい。」
「嫌や。それこそ、そんなんどうでもええやんけ。何か食いに行こうや」
「いや、『嫌や』、じゃなくて。そう決めたん。もう。」
「嫌やし。何で別れなあかんのよ。それに何でそんな化粧しまくっとるん?そのまんまのかなちゃんが落ち着くんに。髪色も変える必要どこにあんの?何かおかしいよ?」

そこまで言うと、冷静だったかなちゃんの表情が怒りを含んだ悲しそうな表情に変わっていった。
外の雨足はいよいよ激しくなっていて、時々、雷も鳴っていた。
俺は慌てて、「言い過ぎてるわ、ごめん」と言って、かなちゃんの小さな冷たい手を握った。かなちゃんの小さな目とは不釣り合いなほどの長いツケまつげが光っていて、かなちゃんが泣いているのもわかった。

「私みたいなチビでブスがメイクしたところで変わらんよね。髪やって似合っとらんやろうし。元がブスやから何しても無駄やねんな。そんなん自分が一番よく知っとるわ。
いつもあんたとおるとブスな自分が恥ずかしかったしあんたの顔まともに見れたことがなかった。私、めっちゃ自分の顔嫌いやねん。だからあんたの顔が羨ましいし綺麗やし、彼氏なんが信じれんくらいに自慢やった。でもあんたはそんな私の気持ち知ろうともせんかったし、平気で人前でくっついてくるし、みんなにあんたがB専言われとったんも知っとる?ねえ?B専やんって川端くんが私に聞こえるように言っとった。あんたがおらん時。だから整形するかとかまで真剣に考えてた。一緒に並んで歩くの気が引けるとかいつも悩んどった。だから後ろついて歩くようにしとったし。一緒に寝とっても絶対顔見られたくなかったし、あんたの目を私いつも手で押さえとったやん?」

俺は呆気に取られて、言葉が出てこなかった。それに川端に自分の彼女をブス呼ばわりされていたのもめちゃくちゃに腹が立ってきた。
かなちゃんは確かに世間一般的に言う美人ではなかった。ブスだの何だのなんて俺は思ったことがなかった。実際、ブスではなかったし可愛らしい子だったのは事実だ。だから、俺には、かなちゃんが何故そこまでコンプレックスの塊を抱え込んでいるのか理解できなかった。

孤独な俺を見つけ出して、俺を陽の当たる場所に連れ出してくれたのは、かなちゃんだ。

だから、何度も言うが、俺にとってその当時、かなちゃんは俺の天使でしかなかった。並んで歩こうとすると確かにかなちゃんはいつも俺の後ろに回った。だから俺は逆に後ろに回り込んで抱きついて歩いていた。
セックスする時もかなちゃんは確かにいつも俺の顔に手を当てていた。
かなちゃんの小さな手で目を覆われていたけど、俺はかなちゃんの顔を見つめていたかったから手をどけていつも見ていた。
でもかなちゃんはいつもその時顔を背けていた。俺は勝手にかなちゃんがイッてくれてるんだと思い込んで満足していた。

俺は、とにかく、かなちゃんが大好きだった。他の女友達は大半がギャルだったし、派手な子が多かったと思う。美人な子も多かった。
かなちゃんはそうした女の子達とは真逆の子で地味な容姿でスーパーマーケットのレジ仕事を黙々としていた。
時々、日曜日もかなちゃんは仕事のシフトが入っていた。そんな時はわざと買い物しに行ってかなちゃんを驚かせたりした。かなちゃんがレジを打ったり、商品の棚に物を上げ下げしたりする姿を見るのが好きだった。

何度も言うが、かなちゃんは可愛いし俺の天使だった。

「ごめんほんま。でも俺そんなん気にした事ないし。夏ほんま大変やったんよ。」
「わかっとるよ。サルトルくん悪くないし。私が変なコンプレックス強すぎて疲れた。
だから、別れることにしたんよ。一緒におっても落ち着かんし。今も顔見れんし。サルトルくんならすぐ新しい可愛い子見つかるし。私は相応しくないから。私なんかの事はすぐ忘れれるよ」
「意味わからんわ。ほな勝手にしたらええやんけ」

そう俺が言うなり、かなちゃんは立ち上がり、俺も立ち上がって、店を出た。俺はあまりのショックで駅へ向かう最中、何も言えなかった。かなちゃんの後ろ姿をその間ずっと見つめていた。

改札口でかなちゃんは、俺に振り向きもせずに、けど言い聞かせるかのように、「サルトルくんならすぐ可愛い子見つかるよ」と言って足早に人混みに紛れて行った。
俺はその時になって、ようやく、かなちゃんの瞳の中には、もう俺が映っていないことを思い知った。

寮に戻って、ぼんやりスマホの写真だとかLINEの2人のトークルームのやりとりだとか見ていた。
無性に腹が立ってきて俺はそのトークルームをそれまで絶対消さなかったのに消そうと決めた。でも消せないでいた。
高校卒業間近の時に、「卒業式のあと誰にもボタンあげないでね!」とか書いてあって、俺はふざけて、「一個千円で売るわ。かなちゃんには特別にタダであげる」とか返してた。
遡って行くと、「今日仕事雨で飛んだからスーパー迎えに行ってあげる」とか「サルトルくん大好き!」とか仲良い2人の会話が続いていた。
付き合って間もなく撮ったプリクラは全部スマホの裏に貼っていた。学校の帰りは毎回かなちゃんの後ろから抱きついて駅まで送ってあげた。色んな事を思い出すと同時に、確かに、かなちゃんが俺を見つめてくれた事が一度もない事を思い知らされた。
あの日、最初にくれた夜中のメールも残してあった。
明かりもつけず暗い部屋で俺はずっとぼんやりそのメールを眺めて、気付いたら大泣きしていた。

かなちゃんと別れて1週間後、本屋でかなちゃんを見かけた。別れ話をされた時みたいにギャル系の化粧をしていた。
隣には俺の知らない奴がいて、寄り添うようようにしていて、かなちゃんはそいつの顔を覗き込むように話していた。男がかなちゃんの耳のピアスを揺らしたのを見て、「あー、あれってそういう事やったんや…。」と勝手に納得してしまった。
女友達にそれを言ったら、夏になってすぐ、俺じゃないやつとデートしたりしていたらしいと聞かされた。

不思議とそれを聞かされても裏切られた感じはしなかった。

それ以降俺は特定の女の子に真面目に向き合うのを二度としないでおこうとか、くだらない誓いを立てて、お互い都合の良い関係でしかない子たちと薄っぺらな時間を過ごした。女の子たちと寝ていても表情なんてどうでもよかった。かなちゃんへの当て付けとかではない。単純にしばらく彼女を作りたくなかったし、かなちゃんを忘れたかった。

それから更に数年たち、俺は縁があって関東の地元の幼なじみシモーヌ仮称と遠距離恋愛をしていた。そんな6月のある日、彼女と電話しながら三宮駅構内を歩いていると、かなちゃんに似た女が1人改札口に向かうのを見かけた。
後ろ姿は昔のように髪を一つに束ねていて、横顔は何処となく疲れていたが、目はまっすぐと前を見つめていた。耳には小さなピアスが光っていた。
一瞬俺の方角を見てくれたような気がした。ピアスの女が雑踏に消えて行くのを見届けて、俺は駅の外、陽の当たる場所へと向かった。

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