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モオツァルト・無常という事

再読
著者 小林秀雄
出版 新潮社

🍀🍀🍀
「僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。  上手に思い出す事は非常に難かしい。だが、それが、過去から未来に向って飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。」

—『モオツァルト・無常という事(新潮文庫)』小林秀雄著
🍀🍀🍀

晩年の鴎外が考証家に堕したというのは取るに足らぬ事である、膨大な鴎外の考証によってようやく、歴史の魂に推参したのだ、と言い切る小林秀雄。

解釈だらけの現代にとって死者達の動じない美しさというものは、一見歴史の美しさを表現しているように見えて、間違いである、と小林秀雄は言う。

そして

記憶で頭を一杯にして、心が空っぽなので思い出す事ができないのだ。と、小林秀雄は鋭く諭す。

とても心に響く。

🍀
今日で娘が8ヶ月となった。

子どものころから、読書に限らず芸術に能動的に関わることは、情緒を育てる、心を育てるという観点からも、とても重要であろう。

無論、大人になってからでは、遅いだとか、そうした話ではないし、幾つになってからでも良いと思う。

しかし大人になってからでは、現代では特に、なかなか思うように貪るように乱読することはかなり厳しい。
そして、やはり、硬直化した価値観によって、バイアスをかけて、読んでしまいがちである。
あるいは、取捨選択して、濫読ではなく、厳選しはじめる。

子どものように素直に好奇心から純粋に楽しむというのをどこかで捨ててしまい、「目的」を求めがちだ。

だからこそ、子どものころから能動的に芸術に触れることが大事に思えてくる。

僕は祖父の読書好きが影響して子どものころかなりの量を読んだと思う。それは今、心の拠り所になっていたりする。
役に立つのか、立たないのかだとかそんなものではない。目には見えない財産になっている。

今は、再読ばかりで、昔読んだものの気に入っていた部分を読み返したりするくらいであまり、濫読はできていない。そして、悲しいことに、かなりバイアスをかけて読みがちになっている時がある。

娘と一緒に頭を空っぽにして心を満たす時間を大事にしたい。

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