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真夜中の支離滅裂

ー新しい神秘家 中二病患者編

私は妻が大好きである。
この投稿もそのために書かれたスピノザを受容体とした惚気でしかない。

大体、私はきちんとそうプロフィールに書いているのだ。

🍀

この数週間、マダムエドワルダ、目玉の話から始まり、青空、エロティシズムなど読んでいた。
私は明らかに深みに入ってしまうとバタイユワールドと<私>が共鳴することが目玉の話を読んで分かりきっていた。
これまで私が精神的な拠り所と言っても過言でないヤスパースやサルトル、ニーチェを部分的に引っ張っりだして、私は<私>を出来る限りバタイユワールドに共鳴させぬようにした。
結論からいうと、死ぬほどどうでもよく、共鳴することもいとわぬし、したからといって何かが変わるのか?というわけでもない。

私の今回のテーマは私にとって「黒のイロニー」とはなんなのかということだ。
つまり、私のリビドーが極限に至った際に何故私は動物的になり、その結果として手に入れることのできる瞬間、神秘的あるいは動物的な恍惚に至る瞬間とは、いったい私にとってなんなのか?ということである。
黒のイロニーが禁止に対する侵犯によって引き起こされる何かならば、それは私のエロティシズムの中では何なのか?
スピノザは周知のとおり、汎神論をエチカにて見事なまでに展開させ、スピノザワールドを築いた。
バタイユワールドでの実体の絶対的存在を無に置き換えるとスピノザワールド黒バージョンとなる。
何を言っているかわからない方はエチカと内的体験、エロティシズムを読んで比べて見てほしい。

スピノザのコナトゥス(あらゆるものには自分を維持しようとする力)における善とは、それを助けるもの。
コナトゥスの定理は以下である。

おのおのの物が自己の有に固執しようと努めるコナトゥスはその物の現実的本質にほかならない。
「エチカ」スピノザ第3部定理7

また真理についてはスピノザはこのようにも定義している。

真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの真理を疑うことができない。
「エチカ」スピノザ第2部定理43

実に、光が光自身と闇とを顕すように、
真理は真理自身と虚偽との規範である。
「エチカ」スピノザ第2部定理43備考

私がスピノザ的に私の黒のイロニーの真理を知るにはエロティシズムの恍惚自身を知りそれをさらに体験せねば真の観念を得ることには到達し得ない。
つまり、生と死、エロスとタナトスの水平線の完全性は一般的観念では説明するようなものではない。
生と死や自然物において、完全性はない。
白と黒のイロニーは不完全なものであり、一般的観念で説明するような代物ではないということを私はスピノザワールドを借りて言いたいのだ。

私のバタイユワールド探索はまだ続く。
支離滅裂な思考を無駄にしているだけだと、恐らくサルトルならいうであろう。
それでも私は愛の変態的支離滅裂思考のバタイユを知りたいと思うのだった。

人は何の為に哲学するのか?
愛の為なのだ。

そして、虚構と現実の蜃気楼の円環状の境界線上に浮かぶ小さなヨットは詩を運ぶ。
精神はその連続的円環状の中に愛がある限り永遠である。
ジョルジュ・ひろイユ

🍀
われわれは。われわれの愛する人々のなかで、われわれ自身となる。
われわれの方がまさっていると思われるような人々のなかではわれわれはわれわれ自身を失う。
ヤスパース 「哲学の小さな学校」

#なんのはなしですか

見つけ出すことができたんだ。
何を?永遠を。
それは、太陽と溶け合った海。
ランボー 地獄の季節 「永遠」より

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