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編集者K氏の想い出①/プロの作品を読む

この文章は、ほとんど独り言のようなものとなる。
自分の中で「文章として残さなければ」という想いがあり、それをどこに書いたらいいのだろうか、と少しの悩みがあり、読書会というものに少しばかり関係するこの場所に書いてみようと思った。

ほとんど、人に話をしたことのないエピソードである。読んでもらったからと言って、面白いものではないかもしれない。
読書会と直接の関係はないけれど、「どうして読書会を行うのか」という理由のようなものについて、その土台になっていることは確かだ。

 ※ ※ ※

「読書会」という名前では無かったけれど、文章について、プロの小説というものについて、深く語り合うという時間があった。
もう20年以上も前の話になる。
東京の某所において、文章の書き方を学ぶ「講座」というものがあった。僕は最初、受講生ということで、この講座に関わった。そして、その後、スタッフという立場で関わることとなる。

講師は、当時大手の出版社に勤めていた。「第三の新人」などの作家の多くの担当した方で、その話からは、著名な作家との交流などについても数多くの話があった。

今から考えると、よくもまあこうした人がこの小さな、少人数、初心者を対象にした講座の講師をやったものだと、不思議な感じがする。講師には、体調の問題などもあったようだ。本業の編集の仕事については、少し休んでいたいような気持もあったのかもしれない。

その講座は、週に1回行われたのだが、3回に2回が、受講生の書いた文章での講義、3回に1回は、プロの作家の書いた作品を読む、という講義が行われた。

講座は、月曜日の夜に行われた。そして、講座が終わった後は、当たり前のように近くの居酒屋に行き、平日にも関わらず、参加者の多くは終電まで語り合うというのが、普通に行われていた。
僕はスタッフとしても関わったことで、かなり長い期間、この講座を受けることとなった。

その講師の名前がK氏という。
ネットで調べても、その名前が出てくることは、ほとんど無い。小説のあとがきなどで、謝辞として名前を見つけたことはあったが、ほんとうに少ない。本人から出てくる担当した作家の名前では、吉行淳之介、安部公房、大江健三郎、藤枝静男、佐木隆三などがあった。日本の文学を、編集者という側から、支えた人だったのだろう。

ちなみに、「プロの作品を読む」という講座では、次のような作品が取り上げられた。かなり難しくもあったが、凄い内容だった。
『文章の話』里見弴/岩波文庫
『悲しいだけ・欣求浄土』藤枝静男/講談社文芸文庫
『鞄の中身』吉行淳之介/講談社文芸文庫
『菓子祭・夢の車輪』吉行淳之介/講談社文芸文庫
『文体練習』レーモン・クノー/朝日出版社
『終りし道の標べに』安部公房/真善美社、新潮文庫
『上海』横光利一/講談社文芸文庫
『蛍・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹/新潮文庫
『われらの時代・男だけの世界』ヘミングウェイ/新潮文庫


こうした講座を受講し、関われたことは、間違いなく僕にとっての大きな財産となった。しかし、あまりにも力のない自分自身を嘆くことでもあった。それでも、K氏は、ひとりひとりをプロの作家と同じように、本当に対等に、ひとつひとつの意見について、じっくりと向き合ってくれていた。そのことが、一番学んだことのようのも思える。

この講座というものは、第三者が外から覗いたような状態であれば、まったく面白いものでなく、授業というものにさえなっていないように映ったかもしれない。
「う~ん。それは難しいよね」といった感じでK氏は、よく黙り込んだ。
講座の中では普通に、長い沈黙の時間があった。

例えば、ひとつの文章の句読点が必要か必要でないか、その意味について、考えていく。その文章を、いろいろな視点から、書き換えを行ったりする。
「正しい答え」というものがあるわけではない。文章をいろいろな角度から、見ていく。そうしていくことで、テーマを深く追及していく、とでも言うのだろうか……。

学校の国語の授業で習うこととは全く違った、プロの編集者だからこその、テーマを深く掘り下げるような見方があるということに、接することができた。

僕はこの講座の中で、何度も何度も、「鳥肌が立つ」ということを経験した。
文章を読むことで、鳥肌が立つのである。身体が震えるのである。
文章を読むこと、小説を読むこととは何か。
もちろん、気軽に、楽しく、ためになるような、いろいろな読み方があっていい。そうしたことを否定するつもりは全くない。
しかし、あえて言うならば。
「鳥肌が立つ」ような文章を読みたい。
それだけ、大きく、深い力が、本物のプロの文章にはあるのだと信じる。
そうした自分自身の読む力を磨きたい。

この講座が終了してしまった後、ときどきではあるが、K氏の自宅にお邪魔したり交流させてもらうこととなる。あるとき、K氏のいないときに奥様に聞いたことがあった。この奥様も、分野は違えども過去に編集者として一時代の中にいた人である。

「K氏の話は、とても貴重なのですが、会社などで、こうした話を受け継ぐような人はいるのでしょうか?」と。
「今はねぇ。時代が違うわよね……」


数年前となる。6月のある夜。
奥様から、K氏が亡くなられたというメールを受け取った。
長く病気をしていたことで、こうした日が来ることもあるかもと思ってはいたが、僕にとっては、大きな日となった。

何ら名声を求めることなく、静かにその人生を終えた。
K氏の担当した作家の多くは、すでに亡くなっている。
時代が、ひとつ次の時代へと移り変わったと言えるのだろうか。
こうした人がいたのだということを、胸の中で大切にしたい。

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