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ポール・マッカートニーが語る「Back In the U.S.S.R」- ビートルズが冷戦時代に放った社会風刺の真意

今回の記事は以下マガジンに収録させて頂きました。


Back In the U.S.S.R. - McCartney: A Life in Lyrics | Podcast

下のpodcast「lyricsの人生」より BEATLESの名盤 『 The Beatles / White Album』の1曲目「Back In the U.S.S.R」を分解・分析させて頂きます。

1968年にポール・マッカートニーがなぜソビエト連邦について書いていたのでしょう?、という疑問があります。リバプール出身のマッカートニーが、チャック・ベリーやビーチ・ボーイズのような音楽スタイル、さらにはパスティーシュ(他の作品を模倣した芸術作品)や多大なる風刺を取り入れていたことが明らかになります。「ザ・ホワイト・アルバム」のオープニング曲である「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」は、多くの人々の眉をひそめさせました。ビートルズがかつての東側諸国内で進化していく立場とともに、この曲は年月を経て独自の生命を持ち、西側諸国とその地域との間にしばしば生じた緊張関係の軌跡をたどるようになりました。

「マッカートニー:歌詞でたどる人生」は、iHeart Media、MPL、そしてプシュキン・インダストリーズの共同制作です。


ビートルズ"Back in the U.S.S.R"の重層的な意味 - 冷戦下の風刺から今なお問いかける自由の本質

冷戦の怒涛が渦巻く中の奇妙な一曲

1968年、ビートルズがリリースした「ホワイト・アルバム」に収録された"Back in the U.S.S.R"は、まさに冷戦最中の曲でした。東西の対立が極限に達し、ベルリンの命運をめぐって両陣営が戦力を投入する中、奇妙な一曲がタイムリーにドロップされたのです。西側から旅立ち、ソ連に戻ってきた人物の心境を歌った一見陽気なロックンロール・ナンバーですが、歌詞を見れば皮肉まみれであることがわかります。

チャック・ベリーへのパロディから生まれた皮肉

の曲のインスピレーションは、チャック・ベリーの"Back in the U.S.A"にありました。ベリーの曲はアメリカへの賛歌で、資本主義社会の英気を讃えていました。ところがマッカートニーは、この陽気なメロディーにソ連寄りの歌詞をのせることで、見事な皮肉を創り出しています。旅行からマイアミに戻ってきた人物が、ソ連の諸都市や共和国の名前を口にしながら「ここに戻ってきてよかった」と歌うのです。

ビーチ・ボーイズの影響がきっかけとなったサビ

歌詞の皮肉っぽい部分だけでなく、サビの部分にもユニークな側面があります。ハーモニーの織りなす美しいメロディーは、まさにビーチ・ボーイズの影響を色濃く反映したものです。実際マッカートニーは、この部分をビーチ・ボーイズを意識して作ったと語っています。アメリカを代表するような陽気な曲風の中に、「The UKRAINE girls」「MOSCOW girls」など ソ連の都市や共和国(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)の名前が無理なく交じり合うのです。21世紀の2024年 現在只今の時点では色々感慨深いものがあります。

愉快な歌の奥底に潜む深刻な現実

この曲が愉快な雰囲気と皮肉っぽい歌詞で作られた理由は、ソ連の現実が決して楽しいものではなかったからです。マッカートニーは「ソ連は灰色一色で自由がなかった」と語ります。検閲が厳しく、ビートルズの音楽さえ違法視されていました。彼らの音楽は密かに持ち込まれ、リスクを冒してごく一部の人々に聴かれていただけでした。自由な芸術作品さえ封じ込められていたのが、当時のソ連の現状だったのです。

時代の移り変わりと自由の行方

2003年、マッカートニーはモスクワ公演を果たし、当時の大統領プーチンと面会しています。プーチンは若い頃ビートルズに親しんでいたそうですが、今では独裁的な体制の中で自由を次々と奪っています。ウクライナ侵攻、報道や表現の自由の弾圧など、かつてビートルズが抗っていた権威主義的な体制に酷似する動きが見られます。時代は移り変わりましたが、音楽や芸術を通じて自由を訴え続ける必要があるのかもしれません。

自由な社会に生きる私たちへの問いかけ

ビートルズの"Back in the U.S.S.R"は、単なる皮肉の詰まった曲ではありません。この曲は、自由を失った社会への皮肉であり、同時に自由な社会に生きる私たちへの問いかけでもあります。権力が芸術を封じ込めようとするのはなぜなのか。表現の自由を守り続けることの意味は何か。優れた芸術作品には、そうした深い問題提起が隠されていました。時代を超えて語り継がれる名曲には、そうした重みがあるからこそ、永遠の価値があるのです。

ビートルズの「Back in the U.S.S.R.」:冷戦時代の風刺とロックンロールの融合

BEATLESの「Back in the U.S.S.R.」の更に裏側を詳しく分析し 掘り下げさせて頂きます。

「Back in the U.S.S.R.」の背景とインスピレーション

  • チャック・ベリーの「Back in the U.S.A.」とビーチ・ボーイズの「California Girls」をパロディ化

  • 歌詞はベリーの愛国心を逆手に取り、ソビエト連邦への帰還を喜ぶ内容

レコーディングにおける挑戦と工夫

  • リンゴ・スターの一時的離脱により、3人でレコーディングを実施

  • マッカートニーの批判とホワイト・アルバム制作時の緊張関係が原因

  • 複数テイクからコンポジットドラムトラックを作成

音楽的特徴とソビエト連邦へのオマージュ

  • ポール・マッカートニーのボーカルはジェリー・リー・ルイスを意識

  • ブリッジ部分では、ソビエト連邦各地の女性を称えるビーチ・ボーイズ風の歌詞

  • 冒頭と終わりには飛行機の着陸音をテープループで使用

リリース当時の反響と政治的背景

  • ワルシャワ条約機構のチェコスロバキア侵攻の3ヶ月後にリリース

  • ソビエト連邦を肯定的に描いたことで、西側の新左翼と右派から非難される。

後年の評価とライブパフォーマンス

  • 1976年に「Twist and Shout」とカップリングしてシングルリリース

  • 2003年、マッカートニーがモスクワの赤の広場で演奏

  • エルトン・ジョンとビリー・ジョエルもロシアでのコンサートで本曲をカバー

「Back in the U.S.S.R.」は、ビートルズが冷戦時代の政治的緊張を風刺しつつ、ロックンロールのエネルギーを注ぎ込んだ意欲作です。バンド内の創作的な試練を乗り越え、ソビエト連邦の文化を独自の視点で称えた楽曲は、リリース当時は論争を呼びましたが、現在では時代を超越した名作として評価されています。ビートルズの音楽的革新性と社会への鋭い洞察が結実した一曲と言えるでしょう。

楽曲の起源

"Back in the U.S.S.R"は、1968年に発表されたビートルズの名盤"ホワイト・アルバム"に収録された一曲です。ソ連の女性の魅力を賛美する風刺的な歌詞の裏側には、意外な着想のきっかけがありました。

当初ポール・マッカートニーは、1968年1月に英国で広く支持された愛国心高揚キャンペーン"I'm Backing Britain"から着想を得て、"I'm Backing the UK"と題する曲を構想していました。しかしチャック・ベリーの代表曲"Back in the U.S.A"に触発されて、最終的に"Back in the U.S.S.R"というタイトルに行き着いたのです。

ビーチ・ボーイズへのパロディ

この曲はチャック・ベリーへの賛辞だけでなく、ビーチ・ボーイズの楽曲、とりわけ"カリフォルニア・ガールズ"を明らかにパロディにしています。マッカートニーは米国愛国主義の精神を、ユーモア溢れるソ連寄りの視点で皮肉っています。モスクワやウクライナ地方の女性の魅力を、カリフォルニアの女の子のように賛美しているのです。

実は、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴが、ビートルズと共にインドで参禅に励んでいた際、マッカートニーに"カリフォルニア・ガールズ"にならった"ロシアの女の子"をテーマにしたブリッジ部分を提案したと言われています。この助言がきっかけとなり、曲中にそうした箇所ができあがったというわけです。

重厚な音楽性

音楽性の面でも"Back in the U.S.S.R"は見事な作品です。飛行機が着陸するようなEffectSound が冒頭と終わりに効果的に使われ、マッカートニーの疾走感あふれるピアノ、ハリスンの緻密なギターリフ、さらにはビーチ・ボーイズスタイルの重唱が圧巻の"壁のような疾風怒濤の音"(批評家ゲレエン・マクドナルドの表現)を生み出しています。ハリスンの見事なギターソロ、マッカートニーの独特のハイトーンでの歌唱も光ります。

論争と長く愛され続ける名曲

リリース当初、この曲は冷戦下の東西両陣営から物議を醸しました。米国の保守層は親ソ連的であると危惧し、一方の過激派左翼はソ連のチェコ侵攻を批判していた矢先だったため、この作品の軽薄さに疑問を呈しました。

しかし、そうした論争を越えて"Back in the U.S.S.R"は瞬く間にカルト的な人気を博しました。エルトン・ジョンやビリー・ジョエルといった著名アーティストがロシア公演で必ずこの曲を歌うようになったほどです。2003年、マッカートニーが35年の時を経て、ついにこの曲をモスクワの赤の広場で演奏した際、観客の熱狂ぶりは並々ならぬものがありました。

時代を越えて色褪せることのない、抜群のキャッチーさと愉快なユーモアを兼ね備えた名曲と言えるでしょう。

Personnel

Paul McCartney – double-tracked vocal, backing vocal, piano, bass guitar, drums, lead guitar, handclaps, percussion
John Lennon – backing vocal, rhythm guitar, six-string bass, handclaps, drums, percussion
George Harrison – backing vocal, rhythm and lead guitars, bass, drums, handclaps, percussion

日本語翻訳

[Verse1]
マイアミビーチからB.O.A.C.航空で帰ってきた
昨夜は眠れなかった
飛行機の中では膝の上に吐き袋があった
なんてひどい飛行だったことか
俺はソビエト連邦に戻ってきたんだ
君はどれだけ幸運か分かってるか? 坊や
ソ連に戻ってきたんだ

[Verse2]
長い間離れていたから、場所がほとんど分からなくなっていた
ああ、故郷に帰れて本当に良かった
明日まで荷ほどきは待ってくれ、ハニー
電話を切っておいてくれ
俺はソビエト連邦に戻ってきた
君はどれだけ運がいいか分かってるか? 坊や
ソ連に、ソ連に、ソビエト連邦に戻ってきたんだ

[Verse3]
ウクライナの女の子たちは本当に魅了的だ
彼女たちは西側の世界を捨て去る
そしてモスクワの女の子たちは俺を歌わせ、叫ばせる
ジョージアはいつも俺の心の中にあるんだ
俺はソビエト連邦に戻ってきた
君たちはどれだけ幸運か分かってるか? 坊や
ソ連に戻ってきたんだ

[Verse4]"Verse 4 continues with the same lyrics as Verse 3."

[Verse5]
南の雪を頂く山々へ案内してくれ
君のお父さんの農場に連れて行ってくれ
バラライカの響きを聞かせておくれ
さあ、同志を暖かく迎えてくれ
俺はソビエト連邦に戻ってきた
君はどれだけ幸運か分かってるか? 坊や
ソビエト連邦に戻ってきたんだ

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