“臨床の極意とは「ケースバイケース」をちゃんと生きることなんです。” 心理、デイケア、作業療法に携わる人は必読!! 『居るのはつらいよ』
大学院を卒業した著者が、心理士として臨床の世界に飛び込んで奮闘しながらケアとセラピーについて考え、それを分かりやすく説明していく「エッセイの形をとった学術書、のようなエッセイ」。
「居るのはつらいよ」
この一文を読んで「分かる……」と感じる援助者はけっこう多いのではなかろうか。
私自身、外来デイケアや入院での作業療法の場に「手持ち無沙汰で、いる」という経験を何度もしてきたので、この「居るのはつらいよ」という言葉に強く共感する。
著者は、この「つらさ」から出発して、臨床心理士の視点で「ケア」と「セラピー」について考察を深めていく。
まず、ケアとセラピーの違いだが、ケアの目的が「ニーズを満たすこと」であるのに対して、セラピーは「ニーズを変更すること」を目標にすることがある。ニーズが満たされることで逆に生きづらくなってしまう例として、以下のようなものが示してある。
「ずっと一緒にいて欲しい」と言われたとき、その人と2時間一緒にいたら(ニーズを満たす「ケア」)、相手はもっといて欲しいと感じる。そこで、思いきって23時間一緒にいてあげるとする。それでも、24時間のうちの残り1時間を一緒にないと、その人は寂しくなる。なぜなら、一緒にいればいるほど、「いない時間には自分を迷惑に思っているに違いない」と恐ろしくなってしまうからだ。セラピーでは、その恐ろしさに向き合うことで「一緒にいて欲しい」というニーズを「一緒にいなくても自分のことを悪く思っていないと分かる」に変更する。こうすれば、その人は生きやすくなる。
セラピー(カウンセリング)には厳しい側面がある。そのことに無自覚な援助者が安易にカウンセリングを勧めた結果、余計に傷ついてしまい、もともとあった問題をさらに大きく深くしてしまう、というケースはよくある。
ケアが必要な人には、まずケアを提供しないといけないのだ。
この「ケア」と「セラピー」は、明確に役割分担されるものなのかというと、そうではないと著者は言う。料理における糖分と塩分のようなもので、援助する人の中にケアもセラピーも両方あって、あとは配分の問題なのだ、と。
そして、傷つけないか、傷つきと向き合うか、依存か、自立か、ニーズを満たすか、ニーズを変更するか、そうしたことを画一的にやるのではなく、その人、その時、その場に応じて調整していく。
著者のこの言葉は、本当に「極意」だと思う。
エッセイとして非常に面白く、学術書としても理解・納得しやすい内容で、臨床心理、デイケア、作業療法に携わる人には必読の本だ。
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