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【広報日記】 内面を照らす光り、時がくればきっと花は咲く、気づきの九月。

 皆さん、こんにちは。このページは、広報である私の思い・考え・学び・気づき、読んだ本のことを書き記しております。今日もお越しいただき、ありがとうございます。


 九月も半ばを過ぎました。吹く風に秋を感じるのですけれど、東京は残暑厳しい日々です。これまで気まぐれでやっていたヨガを、今月から習慣として復活させることにいたしました。朝は15分、夜は20分〜30分ほど。やっぱりやった方が身体の調子がすごく良い。とくに夜やってから眠ると、翌朝の身体の柔軟性が高まっている。朝も朝で、凝り固まった身体をほぐすと、一日のはじまりの気持ちや気分にも良い影響を与えている。この流れで、そのままいつのも瞑想を・・・。もともと瞑想は朝のみと決めていたのですが、これを機に夜にも取り入れてみることにしました。心と身体ってつながっていますね。日々気づかぬうちに溜まっている、様々なストレス・心の痛み・精神的な苦しみ・・・そういうものを手放すのにも、ヨガと瞑想、そして祈りも欠かせません。心身を整えること、よく保つこと、大事なことですね。習慣として続けていきます。

孤独な人生を生きるには、
自分で自分の炭をつぎいれるほかはない。

 『私ってああいう文章しか書けないの、』と言ったら『それがいいの』とその人は笑顔を返してくれました。前回の広報日記を読んでくださった方から感想をいただいた。あれから私自身の内面的な成長が続いていて、と、そう言いながら気づきましたが、365日、毎日そういう小さな成長が日々繰り返されている。日記(自己対話)と読書が、私を成長を後押ししてくれているようにも思います。それは頑張ってそうしているのではなく、もう自然の当たり前の行動として行われている状態です。ただ今回はその反動が大きかったせいもあって。少し大きくジャンプしていることを感じています。うまく言葉で表現できないのだけれど、次のゾーンに入っている感覚です。一皮剥けてまた次へ進んでいる。少し前になりますけれど、若松さんのVoicyを聞いていたとき『人は探しているものを見つける』という言葉を聞いて、本当にそうだなと感じました。『何を求めているのか』『何を探しているのか』と、これは無意識に行われている部分もあると思います。そのこと知って『自覚する』こと大事ですよね。私がいるべき場所。私が会いたい人。私が話す言葉、わたしが本当に在りたい姿。何を探しているのか、時々立ち止まって、自分を見つめてみるのも大事なことと思います。

自然のままに、もっと野蛮に、
この原色の感じを失いたくない。

 九月は7つの習慣実践会ファシリテーターの資格を持つ方々との交流会がありました。『7つの習慣は、形がない、心の世界です』という言葉が心に残りました。この本は本棚にしまっておくものではなく、読み手の心の世界に広がるもの。形もなく、ひとりひとりの心に創られてゆくものです。
『治療教育講義〜高橋巌〜』という本のなかで『意思は人間が働きかけなければ、ほとんど正しい在り方をすることができません』と書かれていて、深く頷きました。『自覚・想像・良心・意思』も、自らの内面にあることに気づき、積極的に働きかける努力をし、そして獲得していくものであるということ。その道は平坦ではないし、人間として生きている限り終わりもない。ときどき『ほんとうに成長しているの?』と自分に問いかけてしまうけれど。信じてコツコツと歩み続けるしかない。今月ちょうど、『こころの時代〜宗教と人生〜 ヴィクトール・フランクル それでも人生に意味がある』全6回放送されていた番組の最終回でした。ファシリテーター仲間からこの放送を教えてもらい、第3回から見はじめましたが、まぁ、ほんとうに、すごく良かった。『第1の習慣』の大事さは研修で十分に教えられていたし、私自身も実践の中でそう感じていましたけれど。なるほど、そういうことか、とまた深く分かりました。『状況に左右される存在ではなく、状況を作りだす存在なのです』主体的である_第1の習慣の実践。ここに始まり、最後もここに戻ってくるのです。

生きられる場所が必要なのである。
そこで花が咲く。


 ときどき、自分を見失う。女の生き方、精選女性随筆集を読んでいると、それぞれの女の生き方が潔くかっこいい。とくに女性初の芥川賞作家・中里恒子さんの言葉が、好きでした。一瞬、少し憧れに似た気持ちを持つけれど、すぐに現実に戻ってくる。私を見つめる。女に生まれたのだから、女絵であることを忘れずに、大切に。この『わたし』という一人の人間を、しっかりと育て、根を張って生きていこうと心に誓う。
『昔はよかった、若い時はよかった、とはよく言う言葉だが、たしかに若い折にはそれなりの幸福もあった。しかし私は、自分について言えば、若い時の自分より、今の、現在の、歳月に晒された自分の方が、好きなのである』『花は、花自身のために咲く。私はこういう植物の移り変わり、花盛り、散りぎわなどを見ていると、人間の生きざまに似通うものがあり、老木になればなるほど、花が美しくなるのに気づく』『衰えた火に、また炭をつぎいれて火勢を持続させる心得と同じものを、絶えず自分の内部にもちつづけること』

本質へのまなざし。理(ことわり)を知る。


 ラジオを楽しめていない。納得していない。話したいことを話せていないからだろうか。言葉にして伝えたいことは、それじゃないと思いながら話している。毎回なんとなくテーマを決めて、会話もすすむし、ひとつの形となっているし、まぁそれでいいじゃないかと思うことも出来るわけだけれど。どうも、何か引っ掛かりをもっていて、そうは思えない。なんか違うのよね、これじゃないねって心の声がしている。ずっと。今思ったけれど、私だけのラジオじゃないってこともあるのかもしれない。ふたりで行うってそういうこと。どう受け止め、そこを潜り抜けて、作っていくのか。ほんとうに言葉にしたいことを話せるときがくるのだろうか。いまラジオは一発撮り。時間も限られている。もし何時間でも話しても良いときがあって、それをずっと録画していたら、そんな言葉や会話がでてくるのかもしれないと、ぼんやり思う。時間に追われていると、出てくるものも出てこないのかもしれない。まだ私は心から楽しめていない。この違和感を大事に考え続けている。


 振り返れば、はじまりもう1年半以上前からだったのでしょうね。八月下旬にことが起きてから(前回の日記のことです)九月に入って偶然にも、コヴィー博士、ヴィクトール・フランクル氏、ピーター・ドラッカー氏、ティク・ナット・ハン氏・・・師の教えに触れつづける運命にあった1週間を過ごしました。また、新しい世界が見えてきた。自分を知るということでしょうか。自分はこの人生をどう歩んでいかなければならないのか、と何かが分かったような気がしました。この「分かった」という経験が非常に大事でして。分かるということは、自分を信じて、力強く、またその道を歩めるようになるのです。これからも危機や困難、また苦しみを味わうのでしょう。生き生きと生きたいという気持ちがまた、私の心の中に巡りました。


季節の変わり目です。
ゆっくり秋へと向かっています。
どうぞお身体お大事に、お元気でいてください。
今日もありがとうございます。


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