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生きることは勇気が必要だ

唐突だが、「今日も頑張って生きていこう」と思って
朝布団からゾンビのようにはい出たことがあるだろうか?
もしも経験済みであれば、あなたは僕と似た様な悩みをお持ちなのかもしれない。他人事で申し訳ないが、本当にお気の毒だと思う。

この世界は本当にディストピアで、いつうつ病を発症して行動不能になるのか、怯えながら過ごしている。生きるためには、いつだって「勇気」が必要なんだ。惰性で毎日生きている人たちは、本当に羨ましいと思う。
不安があるわけじゃない。

明日世界が滅ぶとか、地球が消えるとか、殺されるとか。そんな事を言われても、僕の生活に何ら関係はない。いつも通りの毎日を過ごして、倒れこむように眠り、気が付いたら現世とおさらば。そんな一日を過ごすだけだろう。何も難しいことはない。
だって、「今日という日を生きること」で既に僕は手いっぱいだからだ。

生きることに勇気をもって挑み通続けることは、なかなかに苦痛だ。
正直、何かしらの楽しみがなければやっていけない。僕は読書という楽しみがあるから、今も生きている。自殺は考えたこともあるし、実行したこともある。でも、衝動的に「生きる為の行動」をとってしまうので、僕には覚悟がないようだ。悲しいことに、生きていく定めなんだろう。

生きていくために必要なものを考えたとき「心のゆとり」が必要だった。静かで、落ち着けて、人が少なくて、自分を大事にできる時間だ。特に重要なのは、一番最後の「自分を大事にできる時間」なんだと思う。この時間があると、「生きていく覚悟」を決めて、明日を生きていける。
もちろん、覚悟なんて一過性ものものに過ぎない。当たり前だけど、覚悟を決めたら一生安泰で、一生心の闇のとらわれないなんて、フィクションだけだ。
艱難辛苦、様々なことがある。それは、些細な日常でも同じことだ。僕には、僕の苦悩があって。読者たる君は、君の苦悩がある。それは比較しようもないし、その大小には何の価値もない。だって、「等しくつらい」だけなのだから。不幸自慢なんて、幸福の自慢と同じくらい無意味で無価値だ。

そんなことをしている暇と時間があれば、僕は「生きる勇気」を獲得するために行動したい。時間を使って、「僕、今日も頑張って生きたね。えらくね?よし、明日も頑張ろう」と思う時間のほうが、100倍有用で重要だ。
今日を生きるために何の覚悟をするのか。よく聞かれるけど、正直すべてだ。すべてのことに対して覚悟を決めて、僕は朝布団からゾンビのように顔を出すんだ。その覚悟がなければ、僕の目覚めは一生来ない。

もしも、何もしなくていいのであれば、真夏でも冬用の布団にエアコンなしでくるまって、一日を過ごすことになるだろう。それはそれで、僕はとても幸せだったりする。誰にも理解されないことは重々承知の上で。

布団から這い出た瞬間、一日が始まる。今日という積み重ねをする時間が、訪れる。人を傷つける、人に傷つけられる、苦手なことに挑戦する、劣等感を感じる、優越感を感じる、自己否定の時間がある。自分を無意味に傷つける、マイナス思考で日本海溝に突き刺さる、失敗して地面にめり込む、面白い小説に出会って、富士山を超えるほどにジャンプする。

そんな、ありとあらゆる勇気だ。この勇気を持たずに生きていると、何もできなくなるのでよろしくない。朝、人にあいさつするとき「おはよう」の声がうまく出ない。何か失敗したとき、「すみません」の後に「どうしたらいいですか?」の言葉が出ない。暇な時間になっても「これ、よくするにはどうする?」を考えることができない。そんな、できないだらけの毎日になって、憂鬱とした一日を送ることになるんだ。

だから、生きる覚悟を持つ。その覚悟を持つための、勇気を持つことが重要だと僕は思う。もちろん、そんなことを考えずに済む生活が、何よりも幸せなことは間違いない。

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