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ヒマラヤ山脈の麓に佇むチベット仏教の王国|神秘と幸福のブータンで雷龍に出会う

いつか行ってみたい国といったアンケート調査で、毎度上位に顔を出すのがブータンだ。とくに、2011年の東日本大震災後には、新国王夫婦が新婚旅行で日本を訪れ、ブータン熱は一気に高まったのを覚えている人も多いだろう。ヒマラヤ山脈の麓に位置する、総人口70万人にも満たないこの小さな国は、静かに厳かにチベット仏教を信仰する王国であり、その神秘性が旅人を惹きつける理由となっているように思う。

関連する書籍が他の国々に比べて極端に少ないことも、ブータンをいまなお謎多き国という印象を与えるのに、図らずも一役買っていると言えるだろう。だから僕も、この国を訪れるにあたっては、いったいどんな国なんだろうと、ものすごく想像を広げ、ゆたかに妄想を膨らませ、はっきり言って、行く前からめちゃくちゃ楽しみだったのだ。


香港の旧国際空港(啓徳空港)が、街中に飛び込むように着陸するスリリングな空港と知られていたのと同じように、ブータンのパロ空港は現在も、山中の墜落するのではないかと錯覚するほど、世界で最もデンジャラスな空港として知られている。それもそのはず、バンコクを飛び立ったフライトは、雲を突き抜けて屹立するヒマラヤ山脈の絶景を眺めながら、ゆっくりとだが確実に、神秘のベールに包まれた王国に向かっていくのだから。


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ブータンの玄関パロ空港は、標高2,200メートルの高地に位置する。周りをヒマラヤの山々に囲まれ、その間を縫うように飛行し、谷底に広がるごく僅かな平地部に着陸するには、パイロットに極めて高度な技術が要求される。くわえて、管制施設がないために、飛行機が離着陸できるのも日の出から日没までと、なんとも旧式のやり方がいまも現役であり、悪天候の場合には遠慮なくフライトがキャンセルとなる。

そんな困難を乗り越え、ぶじにパロ空港に着陸した際には、機内搭乗客から自然と大きな拍手が起こったのが印象深い。ブータン国営のドゥク・エアには、ブータン国旗が輝く様がじつに格好よく、到着したあとも多くの人が記念写真を撮り続け、飛行機から離れるのをじつに名残惜しそうにしているのを見ると、こんなに愛されるフライトもなかなかないよなぁ、と強く思う。ちなみに、国旗の黄色は王室を、オレンジはチベット仏教を表し、中心にブータンの象徴である雷龍が居座る、世界の国々の中でもとびっきりに複雑な模様で、ヒマラヤの尾根と青空をバックにひときわ映えるデザインなのだ。


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さて、パロ空港についてまず僕を迎えてくれたのは、もちろん現在の国王夫婦だ。ブータン滞在中、ホテルやレストランどこに行っても、この夫婦の写真が飾られており、いかに王室がこの国の象徴として、しかも身近な存在として愛されているかを物語っているようだった。


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入国手続きを終え、空港の外で僕を待ち受けるのは、ドライバー(左)とガイド(右)のこのふたりぐみ。ガイドさんは日本語が流暢で、日本からの旅行者をこれまでにも数多く担当してきたそうだ。もちろん、バックパッカーにはドライバーやガイドなど不要である、というのもよく分かる。ただし、小国で人口も少ないブータンでは、観光が大きな産業であるとはいえ、必要以上に多くの観光客を受入れ、その結果として同国の伝統的な暮らしや文化・風習が失われてしまうことを極度に危惧している。その防止策として同国が採用しているのが、外国人旅行者に課す「公定料金」なのだ。


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しかも、この公定料金が、ひとりあたり一日200~290USドルと、結構なお値段がするのである。この価格には、上記のガイドやドライバーそして宿泊に食事と、基本的に必要な経費はすべて含まれているのだが、それでも、格安に旅したいと思う外国人にとっては、とても大きな障壁となっていると言えるだろう。

詳しくは以下のブータン政府観光局で確認できるが、これにより同国では、過剰な旅行者流入を防ぐと同時に、ある程度のお金をかけてもよいという人だけが来るような仕組みをつくっているのだ。だから、欧米の若者バックパッカーが数週間もしくは数カ月も安宿に滞在し、町中をぶらつくバンコクみたいな雰囲気はない。


僕がブータン滞在中に出会った外国人旅行者の多くも、ある程度の年配であったり、それなりに落ち着いた雰囲気の、ブータンの歴史と文化にきちんと敬意を示す人がほとんどだった。これもまたブータンという国を、安全で平和で幸福なものとし続ける理由であるように思う。

いずれにしろ、こうやって僕のブータンわくわく大冒険が幕を開けたのだ。こんな国、世界中探してもどこにもない、そんなユニークで、信心深く、礼儀正しく、経済指標で見れば世界最貧国のひとつに数えられるはずなのに、決してそう感じるさせることのないブータンは、僕がこれまで訪れたどんな旅にもない、思い出に残るものとなったのだ。つづく。

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